2026年1月20日火曜日

現代哲学の解説、実用的に見る大乗仏教の三諦論、OSのシェルとカーネルと仏教の中、戯(仮)、空の関係、脳科学や認知科学にも寄せて ~三諦は“世界の見方のOS”で、OSは空(カーネル)と仮(シェル)の同時運用で動く~

 

現代哲学の解説、実用的に見る大乗仏教の三諦論、OSのシェルとカーネルと仏教の中、戯(仮)、空の関係、脳科学や認知科学にも寄せて

~三諦は世界の見方のOS”で、OSは空(カーネル)と仮(シェル)の同時運用で動く~

 

・コンピュータや脳を使って現代哲学と大乗仏教を説明する

 

 大乗仏教の三諦論は現代哲学を洗練させたものです。

三諦論の方が古いのですが現代哲学はたかだか100年、大乗仏教は2000年くらいの洗練があるので結果的に新しい現代哲学よりそれより古い大乗仏教の三諦論の方が現代哲学より洗練することになりました。

三諦論を理解することで現代哲学も理解しやすくなる、というよりは既に理解していることになるので三諦論の解説を行います。

三諦論の理解にも色々な方法があります。

また三諦論はいろいろな理解の仕方が可能です。

多様な解釈を許してそのどの解釈も間違っていないということが可能です。

結果として三諦論はいろいろな理解の仕方ができますしいろいろな使い方ができます。

仏教的に例えや方便を使って三諦論を説明してみましょう。

ここではコンピュータや脳を使って三諦論を説明します。

あるいは逆に三諦論を用いて脳とコンピュータの説明を行ってみます。

  

OSと仏教の比較

 

 OSはハードウェアとコンピュータをつなぐものです。

 OSは大雑把にシェルとカーネルに分かれています。

 シェルとカーネルの意味は以下の通り。

 

  • カーネル(Kernel:核)
    • 役割: OSの最深部で動作する中核プログラム。
    • 機能: CPU、メモリ、ディスクなどのハードウェア資源を直接制御・管理します。
    • 特徴: ユーザーからは直接見えませんが、アプリケーションが動くための土台となります。
  • シェル(Shell:殻)
    • 役割: ユーザーとカーネルを仲介する「橋渡し役」のプログラム。
    • 機能: ユーザーが入力した文字(コマンド)を解釈し、それをカーネルに伝えて処理を実行させ、結果を画面に表示します。
    • 名前の由来: 核心であるカーネルを包み込む「貝殻」のような存在であることから名付けられました。 

 

「シェルを触っているつもりで、実はカーネルの振る舞いが変わる。カーネルだけ語っても、シェルがなければ使えない。」という関係になります。

 

 誤解を恐れず大雑把に言って、

 

OS=カーネル+シェル

 

となります。

 

 これを仏教の本質である三諦論と対照させると以下のようになります。

三諦(空・仮・中)の観点からの解釈と、コンピューターにおける実際の役割を整理します。

三諦論による解釈:戯(シェル)と空(カーネル)

「戯(戯論や仮の姿)」をシェル、「空」をカーネルとする見方は、仏教的な真理の捉え方とシステム構造の対比として成立し得ます。

 戯と空は同じものとされますしこれらは色とか実とか言い直してもいいかもしれません。

 結局同じものの別々の見方、別々の側面を指します。

 「戯」というと「たわむれ」という意味もありますが、「演戯」「戯曲」みたいに外装や形態、インターフェースと見ることができます(ちなみにこういう言葉遣いにバルトやデリダやラカンなどの思想の仏教からの影響が垣間見えることがあります)。

 「仮」は現実対象を「本質」「真実」「真理」「事実」と思い込んでしまわないように注意喚起するニュアンスが大きいです。

 「色」は十二因縁生起の「名色」で人間は対象を名という記号、ラベルや感覚的に近くされる色や音や味や匂いや肌触りなどの表層的な部分で理解する傾向を強調します。

 「実」は人間が対称を素朴実在論的にとらえる側面が必ずあることの念押しです。

 以下に三諦をまとめます。

 

  • 「仮(け)」= シェル(戯の側面)
    三諦の「仮諦(けたい)」は、実体はないが縁によって仮に現れている姿を指します。シェルはユーザーが目にする「対話のインターフェース」であり、人間が理解できる言葉(コマンド)で操作するための「仮の窓口」です。これは、真理そのものではなく、人間が関わるための「戯(たわむれ/仮設)」の領域と解釈できます。

 

  • 「空(くぅ)」= カーネル(本質の側面)
    「空諦(くうたい)」は、あらゆるものに固定的な実体がないという真理です。カーネルは直接目には見えず、ハードウェアを抽象化して管理する「実体のない制御の中枢」です。ユーザーから見ればカーネルは「空」のように背後に隠れた本質であり、全ての動作の根源的な可能性を保持しています。

 

  • 「中(ちゅう)」= OS(システム全体)
    空と仮が別々ではなく、一体となって機能している状態が「中道(ちゅうどう)」です。シェル(仮)がなければ人間は操作できず、カーネル(空)がなければコンピューターは動きません。両者が融和して初めて「OS」という一つの機能が発揮される姿は、円融の三諦(三つの真理が一体であること)に近い構造と言えます。 

 

  まとめると、

 

 OS(中)=カーネル(空)+シェル(戯)

 

 中(OS)=空(カーネル)+戯(シェル)

 

これを三諦円融と呼びます。


と両方の見方でとらえるといいでしょう。

 

 空と戯を対立、背反、相互排除的にとらえることは実用的ではなくて対象を両方の見方、例えば形態と機能の両面から見る方がいいよということを表現してみました。

 

 

・脳もおんなじ

 

 脳もコンピュータと一緒で対象を実在と見るか構造としてみるかと分けて考える必要はなく実在と構造の両方としてみたら分かりやすいと感じる人もいるでしょう。

 生物学や医学などが生物や人間を形態と機能の両面から見るのと一緒です。

 物質的に見れば実在論や唯ぶ移論的かもしれませんし、精神的に見れば観念論とか構造論的と言えるかもしれません。

 デカルトの二元論は両者がけんかして神様に無理化し調停させましたが結果的にというか一元論的に見る見方もあります

 例えばスピノザとかヘーゲルとかベルクソンとかのやや一元論的見方は同じ対象の別の側面ということで二元対立を最初から作らせません。

 実在論だけでも構造主義を含めた何もかもを説明できるかもしれませんし、構造主義だけでも実在論を含めた何もかもを説明できるかもしれませんがそういう極論を前面に出すのは非経済的で非実用的かもしれません。

 ですので両者を同時に使うのを前面に出しつつ脚注とか補遺とか付録とか捕逸とかかでどちらかだけの一元論だけでも全部説明できるんだよと書いといた方が分かりよいでしょう。

 論理学の入門やら初歩では最初から標準形を出す必要はなくそういうのは記号論理学の共通文法を説明してから必要と思えば後から付け加えてもいいですし、そもそも入門や初歩では付け加えなくてもいいでしょう。

 

 

・中、中観、中道は究極の自由主義

 

 どちらかでもいいし両方併用してもいいしという選択ができるのが大切です。

 選べる選択肢が多ければ多いほど、自由、あるいは自由度が高い、あるいは自由度最大化の思考法と言えます。

 自由というと何かどこかに究極の絶対的な自由があると固定観念を持ってしまう人が多いので自由度が高いという後者の表現の方がより実用的かもしれません。

 自由主義と言っても究極、絶対、無制限の自由などないと考えるのが無難なところです。

 西洋のrealismは日本語では実在論とリアリズムの両者に翻訳されてそれぞれ使い方が違うのは非常に便利なことです。

 存在論の実体や実在を扱うときは実在論を使いますが実在論を含む思想やイデオロギーは机上の空論、空理空論、アームチェア・ディテクティブのようになりがちです。

 囲碁や将棋の終盤のように完全に読み切れればいいのですが、頭だけで考えていると具体的、実際的なことで結局実現不能であることを思い知ることは多いです。

 軍隊では前線と後方で対立が起こりがちですし、計画者が現場に行ってみると思いもよらなかった障害が多すぎて思い描いているようにはいかず、想定に比べると不完全、あるいはそもそも完成させられないことになることが多いです。

 実在論で作った思想やイデオロギーや設計図がリアリズムの前では無効であったり機能不全だったりします。

 この場合同じ言葉であったはずの実在論とリアリズムがけんかをしているのは面白いことです。

 空気と水の原理とでも言いましょうか。

 空気の原理で空気を醸成しそれに個人なり集団は取りつかれますが、現実という水を差されて醸成された空気は胡散霧消してしまうわけです。

 ですから昔から学習は理論と実務を交互に学ぶ仕組みが作られていることが多いです。

 どこかでこの行き来、往来、振り子をなくしてどちらかだけに縛られてしまうと失敗することがあります。

 ある程度の組織や集団内での立場になればどちらか一方に固定されてしまうこともおおいですが、その組織や集団全体としては理論と現実の間を行き来したり全体のポートフォリオというか設計で偏らないようにしないとただでさえ組織管理も集団秩序の維持も難しいのに崩れてしまうことがありますし、どちらかに偏って一時的に大成功収めたとしてもその大成功が後での大失敗の原因になることもあります。

 聖書には「人間には空気と水がないと生きられない(実際には空気というより息、霊と訳す方がいいかもしれない)」という言葉がありますが空気という理想と水という現実、空気の原理と水の原理をうまく使いこなしていくとうまい生き方、うまいやり方でやっていけるかもしれません。

 

 

人間も世の中も永遠に不完全で終わらぬ修行の途中に居続けるのが人の世の理

 

・バグとしての煩悩、デバッグとしての修行

 OS(中)が、カーネル(空)とシェル(仮)の絶妙な連携によって動いていることは前章で述べました。  しかし、現実のコンピュータがそうであるように、私たちの「人生というシステム」も常にサクサク快適に動作するわけではありません。  フリーズしたり、動作が重くなったり、予期せぬエラーで落ちたりします。  仏教ではこれを「苦(Dukkha)」と呼びますが、OSのアナロジーで言えば、これはシステムに発生した「バグ」や「マルウェア」、あるいは「メモリリーク」と言い換えることができます。

1. 三毒(貪・瞋・痴)というシステムエラー

 仏教では人間の根源的なバグを「三毒(貪・瞋・痴)」と定義しますが、これはシステム障害の種類として分類すると非常に分かりやすくなります。

  • 貪(とん:貪り)= メモリリーク(Memory Leak 「もっと欲しい」という欲望は、使用済みのメモリを開放せずに抱え込み続けるメモリリークと同じです。リソース(金、物、承認)を際限なく食いつぶし、やがてシステム全体の動作を重くし、最終的にはハングアップさせます。
  • 瞋(じん:怒り)= 無限ループ(Infinite Loop 「あいつが許せない」という怒りは、特定の処理プロセスが暴走し、CPU使用率が100%に張り付いている状態です。他の重要な処理(理性的な判断や日常業務)を受け付ける余裕がなくなり、システムが熱暴走を起こします。
  • 痴(ち:無知)= ドライバの不具合・リンク切れ 「道理が分からない」状態は、ハードウェア(現実世界)を正しく認識するためのドライバが破損しているか、インストールされていない状態です。入力されたデータ(現実)を正しく処理できず、誤った出力(行動)を繰り返します。

 これらのバグは、カーネル(空=本来の仏性)に問題があるのではなく、シェル(仮=ユーザーインターフェースや思考の癖)側のコーディングミスや、長年の運用で蓄積した「ゴミデータ(ログ)」に起因します。

2. 修行とは「デバッグ」と「リファクタリング」である

 では、仏教的な「修行」とは何でしょうか。  滝に打たれたり座禅を組んだりするのは、精神論的な根性試しではなく、エンジニアリングにおける「デバッグ(バグ取り)」作業です。

  • 止観(しかん)とログ解析 瞑想(止観)において「自分の心を静かに見つめる」という行為は、システムの「エラーログ」を一行ずつ読み解く作業に他なりません。 「なぜ今、怒りのプロセスが立ち上がったのか?」「どのトリガーが欲望のメモリリークを引き起こしているのか?」

無意識下で走っているバックグラウンドプロセスを可視化(意識化)し、バグの原因を特定すること。これが「気づき(マインドフルネス)」の本質です。

  • 業(カルマ)のリファクタリング 過去の行い(業)によって形成された思考パターンは、古くて非効率な「レガシーコード(スパゲッティコード)」のようなものです。 大乗仏教の修行は、このコードを単に削除する(小乗的な禁欲)のではなく、より効率的で美しく、バグの少ないコードに書き換える「リファクタリング」を目指します。 「怒り」という強いエネルギーを出力するコードを削除するのではなく、「正義感」や「情熱」という建設的な機能へと書き換えるのです。これを仏教用語で「転識得智(てんじきとくち:識を転じて智を得る)」と呼びます。

3. アップデートによる「中道」の最適化

 OSは一度リリースして終わりではありません。環境の変化(時代の変化やライフステージの変化)に合わせて、常に「アップデート(更新)」が必要です。

 三諦論でいう「中(ちゅう)」とは、固定された静的な状態ではなく、常にバグを修正し、コードを最適化し続ける「動的な運用プロセス」そのものを指します。  「悟り」とは、バグが一つもない完璧な静止状態に到達することではなく、どんなバグが発生しても即座に検知し、パッチ(修正プログラム)を当て、システム全体をクラッシュさせずに回し続けられる「堅牢な運用体制」が確立された状態と言えるかもしれません。

 私たちは、この「人生」というOSのユーザーであると同時に、そのコードを書き換える権限を持つ開発者(デベロッパー)でもあります。  日々の生活の中でバグを見つけ、修正し、バージョンアップを繰り返すこと。それが、現代における「仏道修行」のリアルな姿なのです。

 

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