仏教と現代哲学を理解する鍵は「中」を2つに分けること! ~「妥協」と「超越」を混同していませんか?~
■ はじめに:「中」の誤解を解く 現代哲学や仏教を広める上で、最大の障壁となっているのが「中(Middle)」という言葉の曖昧さです。 中国、中道、中間、中庸、折衷、中心……すべて「中」がつきますが、これらは全く異なる2つの意味で使われています。ここを混同すると、哲学も政治も見誤ります。
■ 1. 「中」は明確に2つに分けられる 結論から言えば、以下のAとBを区別することが「現代哲学のツール」として最強です。
A. 「中間」としての「中」(Horizontal Middle)
意味: 両極端のあいだ。足して2で割る。折衷案。バランス。
イメージ: 右翼と左翼の真ん中。熱湯と冷水の間のぬるま湯。
弱点: 「どっちつかず」「妥協」「現状維持」に見られがち。
B. 「中核・超越」としての「中」(Vertical / Meta Middle)
意味: 対立する二項(AとB)を高い次元で統合する。矛盾を超える本質。
由来: 龍樹(ナーガールジュナ)の「中観」、天台の「中諦」、そして國分功一郎氏らが語る「中動態」。
強み: 妥協ではなく、「第3の正解」や「メタ認知」。
現代哲学や本来の仏教が目指しているのは、Aの「妥協」ではなく、Bの「超越」です。
■ 2. なぜ分ける必要があるのか(復習) 大切なことなので繰り返しますが、「中」には決定的に異なる2系統があります。
A系統(折衷中): 二項対立の真ん中、平均、調停。
B系統(中観中): 二項対立そのもの(有/無、空/仮)を成り立たせている条件を見る「メタ認知的な中」。
議論が噛み合わないときは、たいてい片方が「A(妥協)」の話をし、もう片方が「B(本質)」の話をしているからです。この「交通整理」をするだけで、物事の理解度は格段に上がります。
■ 3. 具体例で見る「中」のズレ
(1) 中国:真ん中か、それとも中心(中華)か 「中国」と聞くと地理的な真ん中をイメージしがちですが、歴史的には「中華思想(文明の中心)」という意味です。 周辺国を「東夷西戎南蛮北狄」と見下す秩序観ですが、唐の時代などはインドを「天竺(先進国)」として敬うおおらかさがありました。 しかし現代の中国は、文革を経てこの伝統的な世界観(大人君子の国)を見失い、単なる覇権主義的な「中心」になろうとしているように見えます。
(2) 中道:政治的妥協か、哲学的正統か 最近話題の「中道改革連合(公明党・立憲民主党など)」。「中道」という言葉が使われていますが、これはA(政治的妥協・中間)の意味でしょう。 本来、日蓮仏教における「中道」とは、三諦論(空・仮・中)に基づくB(超越的真理)を指すはずです。しかし、果たして現代の政治的スローガンや、過去の創価学会(池田大作氏)の路線が、この高度な「Bの意味」を正確に理解して使っていたかは疑問が残ります。「中道」という言葉の響きの良さを、政治的なポジショニング(中間層の取り込み)に利用しているように見えなくもありません。
(3) 中途半端と「厨二病」 「中間」は線分の真ん中ですが、悪い意味では「中途半端」になります。 若者が「中国(真ん中の国)」という言葉にかっこよさを感じたり、「中道」に神秘性を感じるのは、ある種の「厨二病(レーニンの言う小児病)」的な憧れかもしれません。 しかし大人の知性とは、A(バランス感覚)を持ちつつ、思考においてはB(超越的な視点)を持つことではないでしょうか。
■ 結論 「中」を、地味で平凡な「妥協(A)」と捉えるか、レベルの高いインテリジェンスな「超越(B)」と捉えるか。 この2つを峻別する視点こそが、現代哲学や仏教の深淵を世界に広める鍵になるはずです。
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