戦争抑止のリアリズム
——「むき身の牡蠣」が地獄を見ないための、唯一の一次予防——
はじめに:軍役でおなかを壊すストレスを知っていますか?
私は予備自衛官(衛生の予備士官)です。 だからやや生々しい話をします。 自衛隊の訓練は、勇ましいものではありません。それは「生理的尊厳の維持」のための普段の努力です。
プライバシーのない集団部屋での集団生活。分刻みのスケジュールで、自由時間は少なく早寝早起きで娯楽の時間も僅か。 あまりにも日常とかけ離れた生活はストレスとなり過敏性腸症候群になって品弁を繰り返す。歯根には膿瘍が再発し、その後家に帰っても慢性化で何かストレスがあると歯ぐきから腫物が飛び出してきます。
訓練期間を早めて帰ってしまったり予備役止めてしまう人も多いです。これは演習の話です。実戦なら、単に生活の不自由さや快適さがないことに加えて、ここに「死傷の恐怖」や「家族へのおもい」、「仲間との良くも悪くも人間関係の様々なこと」が加わります。
ウクライナのYouTuberの動画を毎日見ています。 彼は前線の兵士ではありませんがロシア軍の民間インフラ攻撃(国際法違反)によりマイナス20度の極寒、停電した暗闇の中でいつ普及するかもわからない電気の復旧を待ちます。徐々に精神が削られていきメンタル不調のなかも配信を続けています。
それが戦争です。銃後でさえこうです。エアコンの効いた部屋で「戦う覚悟」を語ることと、排せつ物処理が難しいこともある不衛生な塹壕で震えることの間には、限りない断絶があります。
私の祖父母は戦中派で祖父は2人とも戦地に行きました。祖母たちは空襲に遭い大阪のお御堂さんの焼ける豪華を見ながら中之島まで逃げていったそうです。もう一人の祖母も空襲で家財系図をやかれ戦後は食料良達のために奔走します。父は「戦争を知らない子供たちさ」などの北山修のフォーククルセイダーズのフォークソングが青春の戦後派ですが子供の頃に兄弟で食べ物を取り合った記憶があります。
私の子供の頃は戦争体験者が生きていましたし、朝の連続テレビドラマにせよ大河ドラマにせよ戦時中ものは定番で学校でも戦争の実情を伝える努力をしていたようです。
現在でも戦争教育はあると思いますがなかなか私の父も私も含めて戦争の感覚はどんどん失われていると思われます。
戦争や軍隊生活も昔と今では違うので第二次世界大戦以前の軍隊生活や戦争体験は今とは違うかもしれません。しかし向いている人はいるかもしれませんが私を含めて現在の若者から年配者まで戦時下の生活を軍隊生活であれ銃後であれすることはストレスを感じると思います。
だからこそ「国防(軍備)」が必要です。 それは戦争をするためではなく戦争、それ以前に軍隊生活を物理的に回避(一次予防)するためです。はっきり言って病気になったり怪我をしたり心身を壊したりしたら治療できても治っても負けくらいに思って体を大切にするのがこれからの人生には大切です。不養生して体を壊したら治療できても治っても損です。
戦わずして勝つのではなくそもそも戦わない状態をキープできるかどうかです。戦争は勝っても国内が戦場になれば負けです。現代という時代はもう戦争になった時点で圧勝しようがどうしようが負けです。ストレス、トラウマ、事態が収まった後の気持ちの折り合いもすんなりいくとは限りません。以前のような生活や仕事が残されていて戻れるかも分かりません。
「金持ち喧嘩せず」ではありませんが「争いになったら負け」です。争いどころか戦争になったらもう目も当てられません。
1. 日本はすでに「殻のない牡蠣」である
明治の日本人は、黒船を見て「このままでは植民地になる」と直感し、必死で富国強兵に走りました。 しかし令和の日本人は、黒船以上の危機が迫っているのに、まだ「平和憲法」と「日米同盟」という殻の中にいるつもりでいます。
はっきり言います。その殻は、もう割れています。 私たちは今、捕食者のうろつく真冬の海に、むき身のままで放り出された牡蠣のようなものです。
2. 「アメリカが守ってくれる」というカルト宗教
「いざとなれば米軍が来てくれる」。 これは現実ではなく、一種の信仰(カルト)です。
日米安保条約第5条をよく読んでください。「自動的に参戦する」とは一言も書いてありません。「憲法上の規定及び手続に従って行動する」とあります。
つまり、アメリカ議会が「NO」と言えば、米軍は来ません。
考えてみてください。 もし台湾や尖閣で有事が起きた時、アメリカ大統領はこう考えるでしょう。 「日本を守るために、ロサンゼルスやニューヨークが核攻撃されるリスクを冒せるか?」
答えは明白です。 彼らは武器や情報はくれるでしょう。しかし、血を流して戦うのは、私たち日本人だけです。 ウクライナを見れば、それが「世界のリアル」であることは明らかです。「アメリカが守ってくれたらラッキー」くらいに思っておくのが無難です。アメリカが守ってくれなかったらどうしましょう。誰かに生殺与奪の権を渡すのは鬼滅の刃ではありませんが懸命とは言えないどころか愚か者のすることだと有名な投資家なら言うかもしれません。
3. 国防とは「戦争のワクチン(一次予防)」である
「軍備を持つから戦争になる」という主張があります。 医学的に言えば、これは「ワクチンを打つから病気になる」と言っているのと同じです。
- 一次予防(発症させない):
こちらが強力な反撃能力(長射程ミサイル、無人機、サイバー攻撃能力)を持ち、「日本に手を出したら、お前の国もただでは済まないぞ(コストが合わない)」と相手に思わせる。これが**「抑止力」**です。戦争という病気を未然に防ぐ、唯一のワクチンです。
- 二次予防(発症後の治療):
抑止が破れ、敵が上陸し、本土決戦となる。これは「手遅れのがん治療」です。今のウクライナが置かれている、最も苦しいステージです。
私たちが目指すべきは、断じて「勇ましく戦うこと」ではありません。 「戦うなんて割に合わない」と相手に諦めさせることです。
4. 「軍隊」を知ることもまた、予防である
色々な歴史的経緯で、軍隊や兵器に対してアレルギー反応を示し日本人も多くいます。しかし、「知らない」ことは「備えられない」ことです。
軍隊とはどういう組織か。兵器とは扱いも整備も自分でやらないといけなくてそれがどんなに面倒くさいか。兵士の生活や訓練がいかに神経を使うか、実際に戦争が始まったらさらにがいかに過酷になりうるのか。
これらを具体的に知る(0次予防)ことで、初めて現実的な議論ができます。
- 「人が死ぬのが嫌なら、無人兵器(ドローン)を大量配備しよう」
- 「兵士のストレスを減らすために、処遇や装備(アメニティ)を改善しよう」
- 「いざという時に予備自衛官が動きやすいよう、法制度を整備しよう」
これらは「戦争賛美」ではありません。「リアリズムに基づく人命救助」です。 現場を知らないまま反対することは、手術室を見たこともない人が「メスは危険だから捨てろ」と言って、患者(国民)を殺すようなものです。
結語:静かなる「マインドセットの再軍備」を
今、この瞬間も、日本の防衛力を底上げしようと必死に動いている現場の人々がいます。 彼らは「戦争屋」と罵られながらも、国民が「むき身の牡蠣」として食われないよう、必死でチタン合金の殻を編んでいます。
彼らに必要なのは、熱狂的な喝采ではありません。 昔1970年頃「日本人は戦争と水はタダだと思っている」という言葉が流行りました。しかし現代の我々はコストとリスクをちゃんと考えるようになりました。国民一人ひとりが、「平和はタダではない」「全てのものにはコストがかかる」「ただより高いものはない」「コストがかからないように見えても実はトレードオフで機会費用を払っている」「裁判になる前に解決するのがかしこい」「弁護士も行政も年金も政党も宗教もいろんな組織も最近はあてにならない」「自分の身は自分で守るしかない」という冷徹な事実を受け入れ、国防強化という「保険料」を支払うことに合意するしかありません。
戦争に行きたくないなら、備えましょう。 あのウクライナやロシアの兵士たちのようにが寒くて臭くて痛い塹壕の中で震えたくないなら、今、思考のOSを入れ替えましょう。
「備えあれば憂いなし」ではありません。 「備えても憂いはあるが、備えなければ死あるのみ」くらいに構えましょう。
これが、令和の日本人が直視すべき、生存のためのトリアージです。
最後に繰り返しますが「戦争になったら勝っても負け」「戦いになったら負け」です。「戦争にならないように、争いにならないように、2手3手4手5手と先手を打ちかつ多方面に同時に手を打ち続ける地道な泥臭い懐も痛む実務処理が大切です。
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