2026年1月18日日曜日

仏教と現代哲学を理解するためには中を分けて考えよう!  -「中」に関する誤解-  --中国、中道、中間、中庸、折衷、中途半端、中心、中核、その他―― 「中」は少なくとも2つに分けるべき 「中」を「妥協(A)」と「超越(B)」に分けて説明することは、現代哲学を広める最強のツールになります。  現代哲学や仏教を広めようと考えている立場から見ると「中」という言葉の意味を2つに分けると分かりやすくなります。 「中道」「中庸」「中動態」……すべて「中」がつきますが、これを以下の2つに明確に分類して説明すれば、多くの誤解(特に政治的な中道への失望など)が解けるはずです。 A. 「中間」としての「中」(Horizontal Middle) • 意味: 両極端のあいだ。足して2で割る。折衷案。バランス。 • イメージ: 右翼と左翼の真ん中。熱湯と冷水の間のぬるま湯。 • 弱点: 「どっちつかず」「妥協」「現状維持」に見られがち。 B. 「中核・超越」としての「中」(Vertical/Meta Middle) • 意味: 対立する二項(AとB)を高い次元で統合する。矛盾を超える。本質。 • 由来: 龍樹(ナーガールジュナ)の「中観」、天台の「中諦」、そして「中動態(能動と受動の対立以前の純粋な生の営み)」。 • 強み: 妥協ではなく、「第3の正解」や「メタ認知」。 現代哲学が目指すのはAの妥協ではなく、Bの超越です。 「中」という字を2種類に分けて使う案は、かなり役に立つ 大切なことなので繰り返しますが「中」には2系統あります(もっとあるかもだが)。 A) 中間・中庸・折衷の「中」 二項対立の 真ん中、バランス、妥協点、平均、調停。 B) 中観・三諦の「中」 二項対立そのもの(有/無、空/仮、主/客…)を 成り立たせている条件性を見て、どちらにも固定しない「メタ認知的な中」。 天台の三諦(空・仮・中)でいう中諦の語りも、だいたいこの方向です。 この2つを同じ「中」と言い続けると、議論がよく“すり鉢”になります。だから普及の工夫としては、 • Aを 「折衷中」(または「中庸中」) • Bを 「中観中」(または「条件中」「関係中」) みたいに仮ラベルを貼って話すの、かなり効くと思います。哲学の普及って、概念そのものより「交通整理の標識」が先に必要な場面が多いので。 使い方の例 1. 中国  中国というといっぱいある国の中の真ん中とイメージしやすいです。  子供などは地理的な中心にあるから「真ん中の国、中国」とイメージしやすいのではないでしょうか。  ただ別の見方をすると中国は宗主国、その他の国は朝貢国、中国と関係ない国は東夷西戎北テキ南蛮で中国だけがレベルの違う一段上の国という意味になります。  日本は節操なく都合がいいときは朝貢国、特に利益がなければ東夷と立場を変えて出入りを繰り返してきた国です。  こういう中華秩序は宋学からが本格的というか本番なので唐の玄奘などはインドを天竺としたり先進国にお経をもらいに行く感覚でインドに行ったりとおおらかです。  共産中国は特に文革後こういう世界観自体が自分でもよくわからなくなってしまっているので大人君子のいない国になってしまいました。 2. 中道  公明党と立憲民主党が新しく中道改革連合というのを作るようです。  日蓮は「三諦論と法華経だけが正統」みたいな立場なので世間一般には政治的中道しか浮かばないかもしれなせんが仏教関係者にとっては「公明党が立憲民主党の無教養に付け込んでうまい党名をつけるのに成功したな」というように読み取れます。  ただここも研究者やら専門家レベルで意見の分かれるところで日蓮が三諦論を理解していたのかははっきりしない面があるのと、日蓮が三諦論だけでいいのに法華経を前面に出したのは理論としては余計な蛇足に見えるのと故池田大作氏が三諦論と中道をちゃんと理解していたのかははっきりしません。  池田氏は中道なんとか論というのを唱えていたらしいのですがこれは中庸とか中間とか折衷の意味に近いようです。  中道改革連合という名前を聞くと中核派を思い浮かべたり親中を思い浮かべたりこの漢字三字略は若くない人には新左翼のセクトを想起させたり池田大作氏の小説「人間革命」を思い浮かべたりする人がいると思われます。  日蓮は「自然災害やら戦争は国のせい」みたいな現代の自然の災害の被害者や20年ほど流行った自己責任論者から見れば賛成にせよ反対にせよ複雑な感情を抱かせる主張をした人ですがそれはいい面も悪い面もあったのだと思いますが確かに現在の公明党も似ているところがありますので日蓮宗の子孫ではあるのでしょう(というと他の日蓮宗系の日蓮正宗や法華宗の各流派や霊友会や立正佼成会、あるいは創価学会からも怒られるかもしれませんが)。 3. 中心、中間、中途半端  これは図形的なイメージでいいでしょう。  中心は円のど真ん中みたいなピンポイントの場合もあればぼんやりとど真ん中をイメージする場合もあると思いますがこれは幾何学的な内部の中心付近のイメージでいいでしょう。  中間といえば一直線や線分の中のどちらかの極に近すぎないところです。  政治的中道はここに含まれます。  中途半端なイメージを持つとこれはネガティブなイメージもあるので「中国」はもっととんがったかっこいい克明にしたらいいのではないかと子供は思ったりすることもあるでしょうがこれは仏教的中道を知らないレーニンのいう(左翼?)小児病というか厨二病的な考え方と言っていいかもしれず大人はしっかり真ん中を占めるのが対人的ともいえるかもしれません。 「中」も使い方や意味の理解によっては地味で平凡な使い方からとんがったとかかっこいいとかよりはかなりレベルが高いインテリジェントというかインテレクチャルすぎてかっこいいとはまた別の軸で見てしまうような超越的な概念でも使われるのでこの2つを峻別してみると現代哲学や仏教の理解がもっと深まって、哲学や仏教がもっと世界中に広まるひっかけになるのではないでしょうか?

 

仏教と現代哲学を理解するためには中を分けて考えよう! 

-「中」に関する誤解- 

--中国、中道、中間、中庸、折衷、中途半端、中心、中核、その他――

 

 

「中」は少なくとも2つに分けるべき

 

「中」を「妥協(A)」と「超越(B)」に分けて説明することは、現代哲学を広める最強のツールになります。

 現代哲学や仏教を広めようと考えている立場から見ると「中」という言葉の意味を2つに分けると分かりやすくなります。

「中道」「中庸」「中動態」……すべて「中」がつきますが、これを以下の2つに明確に分類して説明すれば、多くの誤解(特に政治的な中道への失望など)が解けるはずです。

A. 「中間」としての「中」(Horizontal Middle

  • 意味: 両極端のあいだ。足して2で割る。折衷案。バランス。
  • イメージ: 右翼と左翼の真ん中。熱湯と冷水の間のぬるま湯。
  • 弱点: 「どっちつかず」「妥協」「現状維持」に見られがち。

B. 「中核・超越」としての「中」(Vertical/Meta Middle

  • 意味: 対立する二項(AB)を高い次元で統合する。矛盾を超える。本質。
  • 由来: 龍樹(ナーガールジュナ)の「中観」、天台の「中諦」、そして「中動態(能動と受動の対立以前の純粋な生の営み)」。
  • 強み: 妥協ではなく、「第3の正解」や「メタ認知」

 

現代哲学が目指すのはAの妥協ではなく、Bの超越です。

 

 

「中」という字を2種類に分けて使う案は、かなり役に立つ

 

大切なことなので繰り返しますが「中」には2系統あります(もっとあるかもだが)。

A) 中間・中庸・折衷の「中」

二項対立の 真ん中、バランス、妥協点、平均、調停。

B) 中観・三諦の「中」

二項対立そのもの(有/無、空/仮、主/)を 成り立たせている条件性を見て、どちらにも固定しない「メタ認知的な中」。
天台の三諦(空・仮・中)でいう中諦の語りも、だいたいこの方向です。

この2つを同じ「中」と言い続けると、議論がよくすり鉢になります。だから普及の工夫としては、

  • A「折衷中」(または「中庸中」)
  • B「中観中」(または「条件中」「関係中」)

みたいに仮ラベルを貼って話すの、かなり効くと思います。哲学の普及って、概念そのものより「交通整理の標識」が先に必要な場面が多いので。

 

 

使い方の例

 

1. 中国

 中国というといっぱいある国の中の真ん中とイメージしやすいです。

 子供などは地理的な中心にあるから「真ん中の国、中国」とイメージしやすいのではないでしょうか。

 ただ別の見方をすると中国は宗主国、その他の国は朝貢国、中国と関係ない国は東夷西戎北テキ南蛮で中国だけがレベルの違う一段上の国という意味になります。

 日本は節操なく都合がいいときは朝貢国、特に利益がなければ東夷と立場を変えて出入りを繰り返してきた国です。

 こういう中華秩序は宋学からが本格的というか本番なので唐の玄奘などはインドを天竺としたり先進国にお経をもらいに行く感覚でインドに行ったりとおおらかです。

 共産中国は特に文革後こういう世界観自体が自分でもよくわからなくなってしまっているので大人君子のいない国になってしまいました。

 

2. 中道

 公明党と立憲民主党が新しく中道改革連合というのを作るようです。

 日蓮は「三諦論と法華経だけが正統」みたいな立場なので世間一般には政治的中道しか浮かばないかもしれなせんが仏教関係者にとっては「公明党が立憲民主党の無教養に付け込んでうまい党名をつけるのに成功したな」というように読み取れます。

 ただここも研究者やら専門家レベルで意見の分かれるところで日蓮が三諦論を理解していたのかははっきりしない面があるのと、日蓮が三諦論だけでいいのに法華経を前面に出したのは理論としては余計な蛇足に見えるのと故池田大作氏が三諦論と中道をちゃんと理解していたのかははっきりしません。

 池田氏は中道なんとか論というのを唱えていたらしいのですがこれは中庸とか中間とか折衷の意味に近いようです。

 中道改革連合という名前を聞くと中核派を思い浮かべたり親中を思い浮かべたりこの漢字三字略は若くない人には新左翼のセクトを想起させたり池田大作氏の小説「人間革命」を思い浮かべたりする人がいると思われます。

 日蓮は「自然災害やら戦争は国のせい」みたいな現代の自然の災害の被害者や20年ほど流行った自己責任論者から見れば賛成にせよ反対にせよ複雑な感情を抱かせる主張をした人ですがそれはいい面も悪い面もあったのだと思いますが確かに現在の公明党も似ているところがありますので日蓮宗の子孫ではあるのでしょう(というと他の日蓮宗系の日蓮正宗や法華宗の各流派や霊友会や立正佼成会、あるいは創価学会からも怒られるかもしれませんが)。

 

3. 中心、中間、中途半端

 これは図形的なイメージでいいでしょう。

 中心は円のど真ん中みたいなピンポイントの場合もあればぼんやりとど真ん中をイメージする場合もあると思いますがこれは幾何学的な内部の中心付近のイメージでいいでしょう。

 中間といえば一直線や線分の中のどちらかの極に近すぎないところです。

 政治的中道はここに含まれます。

 中途半端なイメージを持つとこれはネガティブなイメージもあるので「中国」はもっととんがったかっこいい克明にしたらいいのではないかと子供は思ったりすることもあるでしょうがこれは仏教的中道を知らないレーニンのいう(左翼?)小児病というか厨二病的な考え方と言っていいかもしれず大人はしっかり真ん中を占めるのが対人的ともいえるかもしれません。

 

 

「中」も使い方や意味の理解によっては地味で平凡な使い方からとんがったとかかっこいいとかよりはかなりレベルが高いインテリジェントというかインテレクチャルすぎてかっこいいとはまた別の軸で見てしまうような超越的な概念でも使われるのでこの2つを峻別してみると現代哲学や仏教の理解がもっと深まって、哲学や仏教がもっと世界中に広まるひっかけになるのではないでしょうか?

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