2009年11月1日日曜日

"力"について

現代思想において力と呼ばれるものが大変重要な概念になります。
ここでは一応力と書きますが、ニーチェが力への意志と呼ぶもの、現代思想的精神分析のラカンがエスと呼ぶもの、現代思想のいろいろな方面で欲望と呼ぶものなどがだいたい同じ役割を担います。

現代思想の中心的な原理の一つは意味というのは人間が作るもの、人間の認知システムや認識の機構が作るものであるというものがあります。
世界と意味の関係は重要で、現代思想の中心的なテーマです。
現代思想では実存主義、現象学、言語・記号論、構造主義などがこの問題を取り上げその結果の合意された結果がポスト構造主義です。
ポストモダンはある種の傾向を持った一群の思想の集まりであり、共通したタームを使いますが、そのある種の傾向と共通点というのはこの世界と意味の関係についての見方です。
まあ現代だろうと近代だろうと哲学自体がある面から見ると世界と意味の関係を探求する学問といえるのかもしれませんが。
ともかく現代思想では意味は人間が作ったものであるということがはっきりと明示されますが、問題になるのが、人間が作り出す意味の全体=意味的世界の形が何によって決まっているのかということです。
ソシュールによって意味するもの-意味されるのも(シニフィアン-シニフィエ)の関係は恣意性があるという見方が導入され、これがその後の現代思想の展開の一つの出発点となりました。
その後の記号論や構造主義の発展によりシニフィアンの優位性が認識されていき、最終的には上記のような、人間の意味は認知システムによって生成されるものであることが明示されます。
意味生成は実は自由度が高く一意である必要もなく、人間はいろいろな意味生成を行える可能性があります。
これは個別のものの意味もそうですし、意味の集合=世界にしてもそうです。
どうゆう意味群を生成して世界を作るかについては恣意性があり、自由度が高く、多様な世界生成の可能性があります。
いろんな意味生成の可能性、生成意味群=世界を作り得る可能性のある中でなぜあなたが、あるいは私が今認識している形の世界をあなたが、あるいは私が作り上げたのか?

この問題と問題への解答を初めて現代的な形で提示したのがニーチェであり(あるいはニーチェのドゥルーズ的解釈)、この問題とそれへの回答はポスト構造主義に至るまで引き継がれています。
彼は意味や世界がその形に形成されるには、そのような形に形成されるだけの理由があり、それはある力が働いて意味をその形に生成したり世界をその形に生成するのだとういう風に考えました。
力の種類や強さや方向や数がまた別なら意味や世界の形はまた別のものになります。
ニーチェは力としてとりあえず力への意志(権力への意志)やルサンチマンなどを考えました。
ラカンは意味生成の力としてフロイト以来のエスをあげます。
意味が生成され維持されるにはモチベーションやエモーションや力動などなんらかの力が必要であり、そのような意味を生成する力がなければ、人間の中でおそらく意味も世界も形成され得ないのではないかと現代思想では考えます。
現代思想的意味生成機構を理解するには力概念ともう一つ構造概念の理解が大切のように思えますがここではふれません。

現代思想的な対象理解では力を意識してそれにどのような力が働いて対象がそのような形に表象・現象しているのかが非常に役に立ちます。
精神分析や社会分析などいろいろな構造に対しての分析に使えます。
認識や分析だけでなく、自分の行動や実践や判断する際に力を知る知りコントロールする方向に現代思想は帰結します。
これらは我々が生きていく際に現代思想が与えてくれる現代思想の最も役に立つことの一つです。
人生への現代思想の意義を最もよく伝えてくれているのはドゥルーズ=ガタリだと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿