2009年11月16日月曜日

構造化について

構造化こそがドゥルーズの核心です。
現代思想の理解には構造の発見が必要です。
そして構造を必要に応じて解体できることで何かに支配されない見方を持つことができるというのが、現代主義では必要になります。
そういったことは比較的他の現代思想家で中心的な問題になっていることです。
ただ、構造の理解にいたった以上、我々はもう一歩先に進めるはずです。
関係性や構造などの仕組みについて理解することで我々は自分で構造を作り出すことができます。
構造を必要に応じて作り出すということ、これがドゥルーズ=ガタリが導入したことです。
構造を自由自在に生成し解体すること、それを無自覚にではなく自覚的にメタなレベルで理解し行うこと、これがドゥルーズ=ガタリの言ったことです。
この自覚と構造の仕組みや生成と解体の技術をしること、これがドゥルーズ=ガタリの核心であり、現代主義はこれをバックの見方として成立しています。
これはDeleuzismドゥルーズィズムと言えます。
現代主義者のかく生きるべきヴィジョンと言えます。

新たに構造を作ることのみならず、我々が対象を分析する際に行っているのも対象/情報の構造化です。
我々は対象/情報をいろいろな見方や考え方、いろいろな枠組みや切り口、いろいろな角度から眺めたりしますし、いろいろな既にある理論やフレームワーク、図式化、整理法を使って読み直します。
レクチュール(読解)というのはそれが行われた瞬間にもとの対象/情報を変質させます。
情報処理が行われたからです。
変換、新たな枠組みに対する対応付けや投射、加工、情報処理、なんといってもいいのですがこれらは全て構造化です。
一つの構造化しかできずかつそれに膠着してしまうとこれはパラノイドと呼ばれ、一つの対象/情報に対して多様な構造化を行うことで、どれか一つの構造化に捕らわれないでいられること、これをシゾイドといいます。

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