2009年9月26日土曜日

ドゥルーズなどの現代思想家がベルクソンから取り入れたもの

ベルクソンの思想は後の現代思想の発展に予兆的な面を持っているように見えます。
例えばドゥルーズ-ガタリの思想はベルクソンのアイデアを利用している面があります。
そのまま用いている場合もあると思いますが、読み替えを行っているところもあります。
この読み方の違いは例えば20世紀の近代的なイデオロギーにより起こされたとも考えられる悲惨な出来事や歴史を経験しているかしていないかの差とも考えられ、面白い問題だと思います。
例えば大戦争やユダヤ人虐殺や共産圏の問題などです。
ベルクソンが経験していないことが、ドゥルーズやガタリでは歴史として経験したことだからです。
ベルクソンは近代主義と現代主義の過渡期の哲学者のようなところがありますが、ドゥルーズ-ガタリはポストモダンの思想家です。

ベルクソンのイマージュ概念は後のラカンやドゥルーズ-ガタリ等の思想と比較すると非常に面白い問題を提供します。
イマージュは人間の認識と同一性は知覚と記憶によって形成されるのだという風に読めます。
特に記憶と時間、同一性の関係が現代思想に対してとても興味深い見方を提供します。
ベルクソンは当時の自然科学を含めた諸科学の知識などのいろんな言い方などを用いてそれを説明しているようですが、もし構造主義の考え方の流行や現在の高次脳機能科学の知識があったら、また別の面白い説明の仕方をしたかもしれません。
エラン・ヴィタールは力の哲学に関係する概念としてフランスの現代思想家に読み込まれている場合もあるかもしれません。
力と変化については現代思想には重要な問題ですが、ベルクソンは本国フランスも含めて非常に影響力のあった哲学者のようです。


現代思想の考え方について少し解説を加えます。

人間は何かを認識します。
また何かに確実性を感じます。
また何かに同一性を感じます。

今の自分と5分前の自分は同じなのでしょうか?
今の目の前にある何かの物と5分後のそれは同じものなのでしょうか?

近代思想では5分前の自分と今の自分は同じものであると考えます。
一方、現代思想では5分前の自分と今の自分を同じであるとする根拠はないと考えます。
あるのはそれを同じものにまとめ上げようとする心の傾向です。
心の機能がそれを同じものとして、認識の一貫性、確実感、ひいては同一性を作り上げるのだと考えます。
自分の頭の中であれ外であれ、世界というのはこの心の機能により作り上げられたものだという風に考えます。
世界と我々は認識と同一性と確実感に囲まれた世界の中に存在しているという風に現代思想では眺めます。
このことはいろんな意味を持っていて、統合失調症の問題やドゥルーズ-ガタリの生き方のビジョンとモデルを考える際に関係してきます。

同一性(identification,identity,identify)というのは現代思想では非常に重要な言葉であり概念です。
この概念に対する考え方の違いが現代思想と近代思想を分けます。
現代思想と近代思想は同一性をどう考えるかについてによって決定的な断絶があります。
そもそも近代思想ではこの言葉、この概念自体が大きなトピックにはならなかったのではないでしょうか。
現代思想と近代思想の断絶と切断はこれだけではありませんが、この本質的な違いによって現代と近代は全く別のシステムを作り出します。

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