2009年9月5日土曜日

自由の理念と現代思想

自由、平等、個人、民主制などを現代思想と近代思想はそれぞれどのように扱っているのでしょうか?

自由:
自由は近代でも現代でも大切な理念です。
近代の社会思想ではそれを原理として扱うことが多いようです。
近代ではしばしば自由の原則が他の事情とぶつかった場合にはしばしば自由に制限を課そうという方向に傾きます。
例えば集団のためには個人に制限を課すという形です。
近代の思想的な枠組みでは集団のために個人が犠牲になるのは仕方がないことだという考え方が醸成しやすく、それに対して反論をする有効な言い方がなかなかなく、あってもつぶされてしまうことが多かったようです。
これは空気とかパラノイド性とかいうものに支配される人間の姿でした。
近代では思想そのものが何らかの確実なものの基盤に立っているというのが建前でしたので、思想が自分の正当性や確実性、絶対性や真理性、価値付けや倫理性、正義や差別というものを作り上げる傾向があったからです。
20世紀はこれらのイデオロギー性の故に偉大と悲惨の世紀でした。
20世紀は人類の進歩と繁栄の時代でしたが、一方で民族や大量に虐殺されたり、正義の名の下に大戦争が行われたり、多数派が少数派をいじめた世紀でもありました。

現代思想では集団やイデオロギーのために誰かの自由を封殺しようとする言説に対して有効な反論ができます。
現代でも自由はおそらく近代以上に大切な理念です。
現代思想は何かの理由で個人の自由を奪ってもいいという考え方には本質的に何の根拠もないことを明らかにします。
近代では集団のために少数者が犠牲になっても仕方がないという言い方が有効でした。
現代思想は集団のために個人を犠牲にしたとしてもそれに何らかの理論的な根拠付けはできないことをはっきりといいます。
現代主義ではたとえ世界が滅びるとしても個人が自分のために生きるということさえも否定されません。

近代では個人に完全な自由を与えることはできないという主張に傾きがちです。
これは性悪説的な見方もあるでしょうし、その他のいろいろな思い込みのために自由な思考が制限されていた時代の制約もありました。
思想の進歩もまだ十分ではありませんでした。
現代では個人は完全に自由であり、それに制約を加えるあらゆる考え方には恣意によるのでなければ不可能であることを示しました。
我々は現代思想を理解さえすれば完全な自由の世界を生きることができます。


原理ですのでそれらは他の原理とは独立で、他の原理からは導かれません。
二次的にそれらは関連を示しますが、個々の理念はそれぞれ

は、現代哲学の同一性についての考え方と構造や関係性の概念を基礎においた場合には、現代ではむしろそこに織り込まれ、そこから導き出されるような、現代社会と親和性の高い社会理念として設定できる可能性がある。

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