2025年9月16日火曜日
しなやかな「現代」を生きるための哲学——“主体”を“信仰”から“運用”へ切り替える
しなやかな「現代」を生きるための哲学——“主体”を“信仰”から“運用”へ切り替える
近代も現代も、哲学は「主体(自分自身)」のあり方を問い続けてきました。しかし、その理想とする姿は大きく異なります。この違いを理解することは、変化の激しい現代社会をより良く生きるための、強力な羅針盤となります。
1. 近代の主体:「城」に立てこもるパラノイア
近代哲学が描く主体は、しばしば一つの確固たる理念や思想を「城」とし、そこに自らを据える傾向があります。それは時に、揺るぎない信念を持つ職人のような高潔さとして現れますが、一方で「自分の考えだけが正しい」という硬直した状態に陥りやすい危うさも持っています。
現代思想の言葉を借りれば、このあり方は**「パラノイア(偏執)的」**と比喩されます。これは、単一の価値観を絶対視するあまり、自分と異なる考え方に対して過度に猜疑的・攻撃的になってしまう精神の様式です。自らの「城」の正しさを守るために、城壁の外にあるものすべてを敵と見なしてしまう。これが近代が「戦争の時代」であったことと無縁ではないかもしれません。
2. 現代の主体:「道具箱」を携えた旅人
これに対し、現代思想が示す主体は、特定の「城」を持ちません。むしろ、様々な道具が入った**「思考のツールボックス(道具箱)」**を携えた、しなやかな旅人のようです。
この旅人は「すべてを疑う」と言われますが、それは全てを否定する虚無的な態度ではありません。むしろ、「どんな思想や考え方も、絶対的なものではなく、特定の状況で役立つ一つの道具にすぎない」と理解する態度のことです。フランスの哲学者リオタールが看破したように、世界全体を説明し尽くすような**「大きな物語」(絶対的なイデオロギー)がもはや信じられなくなった現代では、私たちは目の前の状況に応じて、様々な「小さな物語」(有効な考え方やノウハウ)**を道具として使い分ける必要に迫られています。
これは仏教の**「中道」**の精神にも通じます。一方の極端に固執するのではなく、状況に応じて最適なバランスを見つけ出し、柔軟に対応していく知恵です。
3. 実践としての現代思想:思考を「使う」ための3つの習慣
では、この「旅人」のような主体性を、私たちはどうすれば身につけることができるのでしょうか。それは、思想を信仰の対象ではなく、あくまで**「使う道具」**と捉え、以下の3つの習慣を意識することから始まります。
相対化の習慣
どんなに魅力的な考え方にも、必ず長所と短所(光と影)があると心得ること。「絶対的な正解はない」と前提づけることで、心は硬直化から解放されます。
距離化の習慣
自分の「好き」という感情を大切にしつつも、その「好き」が判断を曇らせていないかを客観的に見つめること。思想を「鑑賞」する自分と、「運用」する自分を分ける感覚です。
更新・切替の習慣
ある考え方が今の状況に合わなくなったら、躊躇なく別の道具に切り替えること。完璧な道具を探し続けるのではなく、不完全な道具をうまく使いこなすことを目指します。
まとめ:支配される主体から、使いこなす主体へ
二つの主体像をまとめると、以下のようになります。
近代的な主体:一つの考え方(城)に自らを据え、そこから世界を判断する。
現代的な主体:多数の考え方(道具)を持ち、状況に応じて柔軟に使い分ける。
私たちは無意識のうちに、何らかの考え方に影響を受け、時に支配されてしまいます。しかし、それに気づき、意識的に様々な視点を取り入れ、使い分ける訓練を続けること。それこそが、現代思想が示す「主体性」であり、予測不可能な時代をしなやかに生き抜くための、最も実践的な哲学だと言えるでしょう。
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