2025年9月27日土曜日
最新科学の日本人と中国人の起源
最新科学の日本人と中国人の起源
・ようやく人類史が見えてきた
現生人類が生まれたのが東アフリカです。
そして現生人類がアフリカを出たのが10万年前です。
だいたい我々が歴史の授業で文明の夜明けや農耕の開始とイメージするのが前の氷河期が終わった1万年前、紀元前8000年くらいでここら辺からは歴史の授業で身近に感じられるレベルに近くなるのではないでしょうか。
・グレートジャーニーの変化
昔は東アフリカで生まれた現生人類は陸沿いに世界に広がっていったと考えられていました。
現在は東アフリカからインド洋やインド洋沿岸を通って東南アジアに至り太平洋の島しょ部やオーストラリアに散らばった、そして一部は大陸沿いに北上し長江あたりや日本に到達したと考えられています。
もちろんユーラシア大陸を陸沿い陸沿いに移動してきたグループもいてそれも日本人の起源の一部ですがそっちの方は南の海洋海岸沿いよりずっと規模が小さかったと考えられています。
・歴史学の陸地中心主義から海川中心主義への転換
歴史は長らく陸地を中心に考えられてきました。
直感的には陸地は歩いていけるし移動がしやすそうです。
まあ陸地を歩いていくのも大切ですが実際には海や川、湖の移動が大切なのが分かっています。
まあこれは昔から分かっていたのですが日本は長らくイデオロギー的歴史学が強く実証主義歴史学がイデオロギーに合わないと黙殺されてきました。
ようやく実証主義歴史学が浸透してきたのが1980年代くらいからで網野義彦や阿部欣也が有名です。
でも例えば江戸時代の運送、流通は99%と言っていいくらい海運や川や運河を通じてなされています。
山を越えて物を運びません。
山形県の酒田から大阪や江戸にコメを運びたければ西回り航路で海運で輸送します。
縄文時代でも伊豆諸島の神津島から取れた黒曜石は定期便で日本各地に輸送されていたのが分かっています。
陸の人は海は障害とみるかもしれませんが船やいかだやカヌーに乗った海上民にとっては陸は障害物です。
船を担ぐか引きずって陸地を歩くのは大変です。
山や谷を越えるのはもっと大変です。
・あついのも寒いのも嫌
寒い所と温暖なところでは人間はどちらに向かいたいでしょうか?
多分温暖なところです。
氷河期の内陸なんかは現代人は住みたくないでしょう。
氷河期であっても海辺は温暖です。
現代日本で冬の寒さも夏の暑さも内陸よりかは海辺は体温を緩めてくれます。
天気予報の気温は都心では役に立ちません。
気温というのは芝生の広場で白い浮き床式の屋根のある建屋の中で測られる温度です。
都心はヒートアイランド現象が生じます。
コンクリートもアスファルトも建築部材もいろいろなものも空気と同じ温度ではありません。
例えばアスファルトは空気より暑いので熱伝導で都心の空気を気温より厚くします。
そもそも我々の人間の体表温度は我々の接する温度とは違います。
輻射熱や照り返しなどにより体表の周りの空気より高くなります。
その上湿度があります。
犬は呼吸で体温を下げます。
人間は犬と違って汗でも温度が下げられますが湿度が高いと汗が蒸発しません。
気化熱で体表温を奪う方法がありません。
温暖化している都心の熱中症は気温より輻射熱や湿度の影響が大きい場合があります。
寒い冬でも内陸より海辺の方が温暖です。
海水はどんなに冷えてもせいぜい0℃です。
もっと冷えたら氷ができるかもしれませんが海にぷかぷか浮いているだけです。
よっぽどの高緯度までいかなければ海表を氷が埋め尽くすことはありません。
・地球は氷河期と間氷期がある
地球は寒い時期と暑い時期があります。
思いっきり寒い時期は氷河期といいます。
氷河期と氷河期の間は間氷期で暖かい時期もあります。
地球が暖かろうが寒かろうが赤道付近はそこまで寒くありません。
同じように氷河期だろうが間氷期だろうが高緯度は寒いものです。
陸と海では違いますがこの傾向に変わりはありません。
氷河期は寒くていやそうですがそれはそれでメリットがあります。
氷が増えるので海水面が下がります。
今海だったところが広く陸だった時代がありました。
実はグレートジャーニーは現生人類だけのものではありません。
現生人類の前の原人も行っています。
ジャワ原人というのを聞いたことがあるかもしれません。
これは200万年くらい前の話です。
現生人類の10万年前どころか200万年前には原人はすでに東南アジアまで到達しています。
どうしていったかというと歩いて行ったのではないかと言われています。
氷河期には現在のインド洋の浅い所は陸地でした。
そこをとことこ歩いて行ったのではないかと言われています。
他方で現生人類のグレートジャーニーは歩くだけではなく海上移動を行ったのではないかと言われています。
それでも氷河期の海岸の延伸も利用していたと考えられます。
氷河期は寒いですが赤道付近はユーラシア大陸を北回りに移動するよりもずっと快適だったのではないかと考えられます。
内陸ほど寒くはないはずですし海は生命の起源ですので食べ物も海や海辺から得られます
そして海からは川にもアクセスしやすいです。
・川も大事
ヴァイキングは海と川を移動したのが有名です。
現生人類のグレートジャーニーも海だけでなく川も移動しました。
海や海辺を移動しつつ川があったらさかのぼればいいのです。
これは海から川を伝っての内陸への浸透と言えます。
世界の文明は川と関係あることが多いです。
東アフリカから東アジアに南回りで海洋や海岸を通るなら途中にチグリス川、ユーフラテス川、インダス川、ガンジス川、メコン川、長江、黄河などがあります。
そういった大きな川だけでなくても我々のご先祖様たちは小さな川沿いにも住んでいたのではないかと思われます。
大きな川はのちに大きな文明を作りました。
多分地球がもっと寒くて海岸がもっと現在より海よりだった時代には大きな川の河口部には人間がたくさん住んでいて文明の芽になったと思われます。
多分今は海の中なので今後考古学が進めばそういうところから遺跡が見つかったり調査されたりするのではないかと思います。
・東シナ海の海面上昇、海面下降
東シナ海は氷河期には海面下降が起こって陸地か陸地が多い、間氷期には海面上昇で海になっていると考えられます(考えられるというか事実そうです)。
そこらへんにも南回り海と海沿い人類は到達していました。
長江文明を作ったのはこの人たちで、日本列島の主要な人口もこの人たちだったと考えられます。
他方で中国については黄河周辺はユーラシア大陸陸地北回りルートを通ったご先祖玉たちが作ったと考えられています。
単に仮説というだけでなく状況証拠はいくつもあります。
一方で日本はというとアムールや沿海州から樺太、北海道を通って人と文物が入ってきています。
この場合は文物はいっぱい入ったようですが人は南回りよりかは少なかったようです。
・中国文明と日本文明
中国文明も日本文明もこの南回り海回りと北回りユーラシアの陸地周りの終着点でありハイブリッド文明です。
中国はよくわかりませんが日本の場合は南回りの人は海面上昇すると人や文物の移動がやや流入型の逆方向の流出過小でやや一方通行になったようです。
他方で北回りユーラシア大陸の陸地周りの人々とは双方向交流が可能だったと思われます。
文物は入っていますが人の流入がやや少なそうなので交流、交易で行き来しやすかったのではないかと思われます。
・ユニークな縄文文化
石器時代は旧石器時代と新石器時代に分かれます。
大まかにみると旧石器時代は打製石器に狩猟・漁労・採集、新石器時代は磨製石器に農業です。
それに農業に伴う土器の発明があります。
日本の縄文時代は特殊で石器は磨製石器だけど農業ではなく狩猟と漁労と採集、それに農業抜きで土器を発明しています。
しかも狩猟と漁労と採集なのに定住生活生活しています。
しかも数百人規模の集落がありました。
かつ日本全国でおそらく交流がありました。
流通と交易のネットワークであったと考えられます。
これはヒスイや黒曜石の産地と分布で考古学的に証明されています。
縄文時代は内需主導の社会で外部と貿易があったとしても細々としたものではないかと考えられます。
とするとほぼ閉鎖した環境です。
その中で独自の土器の様式や土偶を作りました。
独自な土器というよりは現在の考古学のエビデンスでは土器の起源は日本です。
世界最古の土器は日本のものです。
まあ多分輸出していなかったと思われるので起源というか孤立進化と言えるかもしれません。
日本の旧石器時代の遺跡は多いです。
世界最高レベルの密度です。
この時代は氷河期ですが氷河期が終わって間氷期になって暖かくなって海面上昇が起こり森林が針葉樹から広葉樹になりました。
ナウマンゾウやヘラジカなどの大型食糧野生生物もいなくなってしまいました。
他方で広い汽水域ができて山川草木広葉樹汽水域などからのいろいろな食物を得られるようになりました。
そして海面上昇は日本を大陸から切り離しました。
交流は可能だったかもしれませんが石器時代レベルでは海流や大陸からの距離からなどで移動が大変だったと思われます。
イギリスくらい大陸に近くてアクセスもしやすければまた何かが変わっていたかもしれません。
・DNAの断片
なぜ見てきたかのように言えるかというと古い時代ですから分からないことも多いですけども現代の科学技術ではいろんな証拠を拾うことができるからです。
例えば日本人は特殊なDNA配列を持っています。
このDNA配列を持つのは現在チベットとカリマンタン諸島にしか見つかっていません。
これは南回りのインド洋太平洋地域へ拡散した現生人類のグループの断片です。
一般に孤島、半島の先っぽ、山の中などには古いものが残りやすいことが知られています。
例えば日本の島しょ部や半島の先っぽにはHLA(だったかな?)というウイルスを持つ人たちが多いことが知られています。
このウイルスは母乳感染を起こすのでちょっと有名な遺伝子です。
この遺伝子はHIVの兄弟遺伝子で日本人が発見したものです。
母子でウイルスが受け継がれるのでちょっとミトコンドリアDNAに似た感じです。
ミトコンドリアDNAと似ているのでミトコンドリアDNAのように人類史を研究するのに使うことができます。
・縄文文明か?
縄文時代が特殊なのはこのとんがった新石器時代、あるいはとんがった旧石器時代が1万年以上の期間極端に独自に進化、特化、ガラパゴス化、許されたリソースの中で極限ともいえるまで洗練したことです。
昔は弥生時代に縄文人が未開人として侵略されていったという史観だったのが縄文側が渡来人の文化を摂取し編集していった過程だったと見方が変わっています。
DNAでみれば縄文人の遺伝子の方が強く縄文人の人口と文化の中に少数の技術を持つ渡来人が受容されていった過程という風に見方が変わっています。
縄文文化が日本文化の起草として現在も生きていると考えると日本は一つの文明圏ではないかという考え方がありえて昔から多くの欧米の学者が日本を一つの他の文化圏と異なる文明と区別して分類することがあります。
もちろん中国文明の影響も近代には西洋文明の影響を圧倒的に受けているのでその見方も同時に持つ必要があります。
何にせよ何に対しても複数の見方をできるのが大切ですので「日本人とは何か?」についての一つの見方としてまとめてみました。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿