2026年6月5日金曜日

いまは「新冷戦」なのか、それとも「第一次世界大戦前夜」なのか 昨日の世界がもう一度 ——ベル・エポックという既視感について

 

いまは「新冷戦」なのか、それとも「第一次世界大戦前夜」なのか

現在の世界情勢は、よく「米中新冷戦」と呼ばれる。

たしかに、アメリカと中国の対立は大きい。
半導体、軍事、台湾、南シナ海、AI、サプライチェーン、通貨、金融、宇宙。
あらゆる領域で、二つの大国が張り合っている。

しかし、私は最近、これは冷戦というより、むしろ第一次世界大戦前夜に近いのではないかと思うようになった。

冷戦は、ある意味では分かりやすかった。

アメリカとソ連。
資本主義と共産主義。
NATO
とワルシャワ条約機構。
核抑止。
鉄のカーテン。
二つの陣営。

もちろん危険な時代ではあった。
だが、構造はかなり明瞭だった。

ところが現在は違う。

アメリカと中国だけではない。
ロシアがいる。
EU
がいる。
インドがいる。
トルコがいる。
イランがいる。
中東が揺れ、台湾海峡が緊張し、ウクライナでは戦争が続き、南シナ海では人工島が軍事拠点になり、日本もまた静かに安全保障の言葉を増やしている。

これは二極構造というより、多極化した大国間競争である。

しかも各国は、完全に切り離されているわけではない。
経済は深くつながっている。
貿易も金融もサプライチェーンも、相互依存している。
それなのに、政治と軍事は分断へ向かう。

これは、冷戦よりも、むしろ第一次世界大戦前の世界に似ている。

第一次世界大戦前のヨーロッパも、完全な暗黒時代ではなかった。
むしろ多くの人にとって、それは豊かで、華やかで、進歩的で、未来が明るく見える時代だった。

鉄道が伸びた。
電信が世界をつないだ。
新聞が世論を作った。
都市文化が栄えた。
科学技術が進歩した。
万国博覧会が開かれ、芸術もファッションも花開いた。

フランスでは、のちにその時代を「ベル・エポック」と呼んだ。
美しい時代、である。

しかし、その美しい時代の下では、帝国主義、軍拡競争、民族主義、同盟の複雑化、植民地競争、階級対立、労働運動、金融不安、技術への過信が進んでいた。

表面は華やかだった。
地下では火薬が積まれていた。

現在の世界も似ている。

スマートフォンがある。
AI
がある。
衛星通信がある。
高速物流がある。
SNS
がある。
世界中のニュースが一瞬で届く。
個人はかつてないほど自由に見える。

だが、その裏では、国家は再び国境を固め始めている。
サプライチェーンは「安い国」から「信頼できる国」へ移される。
貿易は効率より安全保障で語られる。
技術は便利な商品であると同時に、国家の武器になった。

半導体は、二十一世紀の石炭であり、鉄であり、火薬である。

第一次世界大戦前の時代も、グローバル化の時代だった。
人も金も物も、海を越えて移動した。
イギリスの金融、ドイツの工業、フランスの資本、ロシアの人口、オスマン帝国の弱体化、バルカンの民族問題。
それらは別々に存在していたのではなく、複雑に絡み合っていた。

絡み合っていたから戦争にならない、と思われていた。

現在も同じである。

アメリカと中国は貿易している。
中国は世界の工場であり、アメリカは巨大市場であり、台湾は半導体の中心であり、日本は部品と装置と金融と同盟の結節点である。
だから戦争は起きない、という人もいる。

しかし、第一次世界大戦前のヨーロッパでも、似たようなことは言われていた。
これほど経済がつながっているのだから、大戦争など合理的ではない、と。

合理的ではなかった。
しかし起きた。

歴史は、人間が合理的に動くとは限らないことを、何度も見せつけている。

現在のロシアや中国の動きを見ると、冷戦というより、古い帝国の復活を思わせる。

ロシアはクリミアを併合し、ウクライナへ全面侵攻した。
それは共産主義革命の輸出ではない。
むしろ帝国の版図、勢力圏、歴史的権利、民族的一体性を語る十九世紀的な言葉に近い。

中国もまた、改革開放の軽やかな実利主義から、習近平体制の下で、党の統制、国家安全、民族復興、台湾統一、海洋進出を強く語るようになった。

これは「思想としての共産主義」ではなく、むしろ「国家としての中国」「文明としての中国」「帝国としての中国」の回帰である。

冷戦という言葉では、少し足りない。

冷戦は、イデオロギーの対立だった。
今は、文明、資源、技術、人口、領土、歴史的屈辱、民族的誇り、安全保障不安が、すべて混ざっている。

第一次世界大戦前夜の方が、むしろ近い。

そして、さらに不気味なのはパンデミックである。

二十世紀初頭には、第一次世界大戦の最中にスペイン風邪が世界を襲った。
二十一世紀初頭には、新型コロナが世界を襲った。

もちろん同じではない。
しかし、歴史は同じ歌を歌わず、韻を踏む。

パンデミックは、世界が一つにつながっていることを示すと同時に、各国が最後には自分の国を優先することも示した。

マスクが足りない。
薬が足りない。
ワクチンが足りない。
港が止まる。
飛行機が止まる。
部品が届かない。
人が移動できない。

その瞬間、グローバリズムの美しい理念は、かなり現実的な不安に変わった。

世界は一つにつながっている。
だからこそ、世界のどこかが止まると、こちらも止まる。

ここから、時代の価値観は変わった。

効率よりも冗長性。
自由貿易よりも安全保障。
安さよりも確実性。
成長よりも防衛。
開放よりも遮断。

これは国家だけの話ではない。

日本社会の内部でも、二〇一〇年代から二〇二〇年代にかけて、同じような転換が起きた。

かつての日本は、よくも悪くも「人間関係で何とかする」社会だった。
会社に尽くす。
親族に保証人を頼む。
上司に従う。
無理をしてでも穴を空けない。
長時間働く。
空気を読む。
家族や会社や地域が、個人の人生を背負う。

ところが二〇二〇年前後から、その構造が大きく変わった。

連帯保証人は保証会社へ。
会社への滅私奉公はコンプライアンスへ。
長時間労働は残業規制へ。
パワハラは「厳しい指導」ではなく法的リスクへ。
通勤はリモートワークへ。
飲み会文化は任意参加へ。
家族の役割は外部サービスへ。
人情の曖昧さは、契約と規約に置き換えられていく。

これは日本の中の小さな変化ではない。

世界全体が、リスクを遮断し、境界を引き、責任範囲を明文化する方向へ動いた。
日本ではそれが、労働法、民法、コンプライアンス、保証会社、リモートワークとして現れた。
国家間ではそれが、経済安全保障、フレンド・ショアリング、ブロック化、軍事同盟、輸出規制として現れた。

個人も国家も、同じことをしている。

「もう、無制限には背負えません」

これが二〇二〇年代の基本感情である。

では、日本はどこにいるのか。

日本だけを見れば、少し明治末から大正モダンに似ている。

明治の近代化を終え、制度は整い、都市文化が広がり、新聞、鉄道、百貨店、カフェ、映画、文学、洋装、都市生活が生まれる。
一見すると軽やかで、明るく、モダンである。
だがその背後には、世界大戦、帝国主義、社会不安、都市と農村の格差、軍事、人口、労働問題があった。

現代日本もまた、表面だけ見れば平和で、清潔で、便利で、コンビニがあり、スマートフォンがあり、生成AIがあり、リモートワークがあり、キャッシュレスがある。
だが背後には、人口減少、高齢化、社会保障費、地方衰退、対中リスク、台湾有事、エネルギー不安、円安、安全保障費増大、労働力不足がある。

明るい都市文化と、重い歴史の足音が同時に存在している。

だから「大正モダン的」と言いたくなる。

モダンで、少し浮かれていて、少し不安で、世界の危機に半分だけ気づいている。

現在を「米中新冷戦」と呼ぶのは間違いではない。
しかし、それだけでは足りない。

今起きているのは、もっと古いものの回帰である。

帝国の回帰。
民族主義の回帰。
勢力圏の回帰。
軍事同盟の回帰。
保護主義の回帰。
パンデミックの回帰。
世代交代の回帰。
技術への過信の回帰。

そして、おそらく最も重要なのは、平和な時代の人間が「この秩序は続く」と思い込む癖の回帰である。

ベル・エポックの人々も、明治末から大正の人々も、自分たちの時代が後から「戦前」と呼ばれるとは思っていなかっただろう。

私たちもそうである。

いまを「戦前」と呼ぶのは大げさかもしれない。
しかし、あとから振り返れば、二〇一〇年代はすでに戦前だった、と言われる可能性はある。

クリミア併合。
習近平体制の強化。
ブレグジット。
トランプ現象。
香港の変容。
コロナ。
ウクライナ侵攻。
ガザ。
台湾海峡。
半導体戦争。
生成AI
人口減少。
団塊世代の引退。
グローバリズムの翳り。

これらは別々の事件ではなく、一つの時代の地殻変動である。

歴史は繰り返さない。
だが韻を踏む。

二〇二〇年代の世界は、冷戦の再来というより、第一次世界大戦前夜の韻を踏んでいる。
そして日本は、その中で、明治末から大正モダンのような不思議な明るさと不安の中にいる。

華やかで、便利で、洗練されている。
しかし、遠くで大砲の準備をする音が聞こえる。

問題は、その音が本当に遠いのかどうかである。

 

昨日の世界がもう一度

——ベル・エポックという既視感について

冷戦になぞらえるのは、たぶん間違っている。

いま私たちが立っている場所を、米ソ冷戦の再来——「米中新冷戦」——と呼ぶ習慣がある。だが冷戦は、思想と思想の戦いだった。資本主義か共産主義か、どちらの未来が正しいか、という競争だった。両陣営はそれぞれ「人類はこちらへ進むべきだ」という設計図を持っていて、世界中の国がどちらの設計図を選ぶかを迫られた。少なくとも建前としては、未来をめぐる争いだった。

いまのロシアに、中国に、そういう設計図はない。プーチンは世界に向けて「ロシア式の未来を選べ」とは言わない。彼が言うのは「ここは昔からロシアの土地だ」である。習近平が掲げるのは新しい人類の未来ではなく、「中華民族の偉大な復興」という、過去の栄光への回帰である。これは未来をめぐる争いではない。縄張りと面子をめぐる、ずっと古い争いだ。

その古さに名前をつけるなら、冷戦の四十年前ではなく、もう一度四十年さかのぼった先——第一次世界大戦の前夜が、いちばん近い。


ヨーロッパは、あの時代を「ベル・エポック」と呼んだ。良き時代、という意味である。

一八九〇年代から一九一四年まで、ヨーロッパはかつてない繁栄のなかにいた。鉄道が大陸を縫い、電報が海を越え、人々はパスポートなしで国境を越えて旅をした。パリには電灯が灯り、ウィーンにはカフェが溢れ、ロンドンには世界中の物産が集まった。資本は国境を軽々と越えて投資先を探し、株式市場は沸き、万国博覧会は人類の進歩を寿いだ。当時の知識人の多くが、本気でこう信じていた——これだけ各国の経済が密接に結びついた以上、もう大きな戦争は割に合わない、起こりようがない、と。

ある経済評論家は、一九一〇年の著書で、国家間の経済的相互依存が深まりすぎたために大国間の全面戦争はもはや無益で不可能になった、という趣旨のことを論じ、広く読まれた。商売でつながった国同士は、戦争などしない。そういう「合理性」が、平和の保証だと思われていた。

四年後、その世界は終わった。

サラエヴォで一発の銃声が鳴り、誰も望まなかったはずの全面戦争へ、ヨーロッパは夢遊病者のように歩き込んでいった。相互依存は戦争を止めなかった。むしろ、複雑に絡み合った同盟と利害が、一つの小さな火種を大陸全体の炎へと増幅する導火線になった。良き時代は、その豊かさと開放性のただなかで、自分が終わりかけていることに最後まで気づかなかった。

オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクは、亡命先でその時代を回想して、一冊の本を書いた。題は『昨日の世界』。彼が描いたのは、安定と進歩を疑いもしなかった世界が、いかに脆く、いかにあっけなく崩れたか、そしてそのなかにいた人々が崩壊の予兆をいかに楽観で塗りつぶしていたか、だった。ツヴァイクは本を書き終えた後、自ら命を絶った。彼にとって、昨日の世界はもう二度と戻らないものだった。


二〇一〇年代を、いまの私たちは、まだうまく名づけられずにいる。

だがいくつもの細部が、ベル・エポックと韻を踏む。

グローバル化は頂点にあった。人もモノも金も、かつてない速さで国境を越えた。経済の相互依存はあまりに深く、専門家の多くがこう信じていた——これだけサプライチェーンが絡み合った以上、大国はもう戦争などしない、割に合わないから、と。百年前とほとんど同じ確信である。

そこへ、力による現状変更が始まった。二〇一四年、ロシアがクリミアを併合した。隣国の領土を、住民の民族を理由に奪い取るという、十九世紀以来見慣れたはずの手口が、二十一世紀のヨーロッパに戻ってきた。南シナ海では人工島が築かれ、既成事実が積み上げられた。ナショナリズムが各国で再点火し、指導者たちは国民の不満を外へ、敵国へと向けさせた。世界は、再び陣営へと分かれていくように見えた。

そして——パンデミックである。

ベル・エポックの終幕には、スペイン風邪があった。大戦の末期から戦後にかけて世界を覆い、戦争に倦んだ社会をさらに痛めつけ、古い秩序の崩壊を加速させた。流行のピークは大戦の終結と前後し、戦争と疫病はどちらが原因でどちらが結果とも言えぬまま、絡み合って一つの時代を閉じた。

百年後、グローバル化の絶頂で、新型のウイルスが世界中の移動を止めた。国境が閉じ、各国は「効率より自国の安全」へと舵を切った。サプライチェーンを国内へ引き戻し、信頼できる相手だけで囲い込み、リスクのある国を締め出した。ベル・エポックの開かれた世界が疫病とともに閉じたように、二〇二〇年代の開かれた世界も、疫病とともに閉じていった。

歴史は繰り返さないが韻を踏む、とよく言われる。誰の言葉かは定かでないが、この一句はあまりにしばしば引かれすぎて、もはや韻というより、こちらが先回りして韻を踏みに行っている気配さえある。だが少なくとも、構造の相似は否定しにくい。豊かで、開かれていて、もう戦争などしないと信じ込んでいた世界が、その豊かさと開放性のただなかで、古い暴力に足をすくわれていく——この筋書きを、私たちは百年前に一度、見ている。


ここで、参照されがちな図式を一つ、疑っておきたい。

いまの世界を「西側 対 中露」という二つのブロックの対立として描く語りが流行している。第一次大戦前の三国協商と三国同盟になぞらえて、世界は綺麗に二分され、一つの火種でドミノが倒れる、と。

だが大戦前の同盟は、後世の教科書が描くほど整然と二分されてはいなかった。同盟の一角にいたイタリアは、いざ戦争が始まると敵側へ寝返って参戦した。各国の利害は流動的で、誰がどちらにつくかは最後まで読み切れなかった。「世界は二つに割れていた」という像は、むしろ大惨事のあとから、説明をつけるために整えられた後知恵である。

そして、ここが肝心なのだが——当時を生きた人々もまた、「世界は二つの陣営に割れている」と信じていた。その単純な敵味方の図式こそが、流動的で曖昧だったはずの状況を、引き返せない対決へと固めていった一因だった。二分されていたから戦争になったのではない。二分されていると皆が信じたから、二分が現実になっていった。

いまの「西側対中露」も、たぶん同じくらい、現実の記述であると同時に、自己成就する予言である。インドはどちらにもつかず双方と商売をし、湾岸諸国は是々非々で動き、ヨーロッパの内部も一枚岩ではない。世界はまだ、見かけほど割れてはいない。割れているという物語が、割れ目を本物にしていく。ベル・エポックの教訓があるとすれば、それは「敵味方の単純な地図を信じすぎた者が、その地図を現実にしてしまう」ということだろう。


そして、日本である。

百年前、ヨーロッパが破局へ向かっていたあいだ、極東の島国は奇妙に華やいでいた。明治の末から大正にかけての、あの時期。大正デモクラシー、大正ロマン、大正モダン。銀座にカフェーが並び、モボとモガが闊歩し、円本が売れ、活動写真に人が群がり、デパートが開業し、文化住宅が建った。ヨーロッパの大戦は、日本にとってはむしろ特需であり、好景気の源泉ですらあった。遠い戦争を背景に、日本は妙に明るく、妙にモダンで、妙に脆い、独特の時代を生きた。

その明るさは、世界の本流から半分ずれていたがゆえの明るさだった。本場の破局を、海の向こうの出来事として眺めていられた。ガラパゴスであることが、束の間の幸福を可能にした。そしてその大正の華やぎが、昭和の暗転へとなだれ込んでいったことを、私たちは知っている。良き時代は、日本でも、自分が終わりかけていることに最後まで気づかなかった。

いまの日本に、どこか既視感がある。世界が陣営へ割れ、力による現状変更が常態化し、疫病が秩序を揺さぶるなかで、この島国はやはり半分ずれた場所で、独自のテンポを刻んでいる。社畜という言葉が消え、働き方が更新され、契約が情に取って代わり、社会が静かに合理化されていく——それらの変化は、それ自体としては穏当で、進歩的ですらある。だが大正の人々もまた、自分たちの華やぎを進歩と感じていた。

問題は、ずれていられる時間がどれだけ残っているか、である。百年前、極東のずれは長くは続かなかった。本場の破局は、遅れて、しかし確実に、島国にも及んだ。


ツヴァイクが『昨日の世界』で繰り返し書いたのは、当事者には自分の時代が「昨日」になる瞬間が見えない、ということだった。崩壊は、崩壊しているあいだは、ただの日常に見える。カフェは開いていて、列車は走っていて、株は上がっていて、人々は来年の旅行の計画を立てている。終わりつつある世界の住人は、その世界がまだ続くという前提で、淡々と暮らしている。

私たちがいま「良き時代」のどのあたりにいるのか——一八九〇年代の入口なのか、一九一三年の、破局の前年の、最後の穏やかな夏なのか——それは、当事者には決して分からない。分かるのは、もしこれが昨日の世界なのだとしたら、私たちはその只中で、いつものようにコーヒーを飲み、来年の計画を立てている、ということだけである。

ベル・エポックの人々が、そうしていたように。

 

補足・根拠メモ

  • 第一次世界大戦前の欧州は、後世に「ベル・エポック」と呼ばれる繁栄・都市文化・科学技術・植民地拡張・ナショナリズムが同居した時代でした。フランス史でも、第一次大戦前の十年は後に la belle époque と回想されたと整理されています。(Encyclopedia Britannica)
  • 第一次世界大戦の背景には、暗殺事件だけでなく、同盟関係、帝国主義、民族主義、軍事化が絡んでいました。ブリタニカも、1914628日のフランツ・フェルディナント大公暗殺を開戦の直接契機として整理しています。(Encyclopedia Britannica)
  • 2014年のクリミア併合は、国際法上ロシアの正当な領有とは認められず、ロシアのナショナリズムを強く刺激した出来事として説明されています。(Encyclopedia Britannica)
  • 習近平体制については、2018年に国家主席・副主席の任期制限が撤廃され、2023年以降も続投可能になったことが大きな転換点でした。(Encyclopedia Britannica)
  • コロナ禍ではグローバル・サプライチェーンの脆弱性が露呈し、IMFもパンデミック時の供給制約と供給網混乱を分析しています。(IMF eLibrary)
  • グローバリズムについては、世界銀行系の分析でも、200809年の金融危機後にグローバル化は逆転まではしていないが鈍化した、と整理されています。(オープン知識リポジトリ)
  • 日本については、人口高齢化と労働力縮小が生活水準・社会支出・労働市場に大きな課題をもたらすとOECDが整理しています。(OECD)
  • 添付資料では、2020年前後の民法改正、保証人制度、働き方改革、パワハラ防止、リモートワーク、家族から契約への移行を、日本社会の大きな変化として扱っており、本文の「個人も国家もリスク遮断へ向かった」という視点の出発点にしています。

 

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