堂島ばけもの算用
第一話 米を喰わぬ男、千両を呑む
天は米を降らさず、されど堂島には米が満ちた。 ──と、いきなり大仰に始めてみたが、念のため申し添えておく。この堂島の浜に満ちていた米というのは、蔵にも舟にも一粒として存在せぬ、いわば「気(き)」の米である。 享保の御代、八代将軍吉宗公がしぶしぶ御免(ごめん)を出して以来、大坂堂島の米市は、世界のどこにもまだ無かった奇態(きたい)な商いを始めていた。帳合米(ちょうあいまい)という。籾(もみ)の一俵も受け渡さず、ただ米の値が上がるか下がるかだけを紙の上の数字でやり取りして、差額をふところに入れる。早い話が、ありもせぬ物を売り買いするのである。罰当たりにも程があるが、なに、これを後の世の異人どもがそっくり真似て「フューチュル」だの「先物(さきもの)」だのと気取って呼び、ロンドンだのシカゴだのが百年遅れで自慢することになるのだから、堂島の旦那衆(だんなしゅう)の慧眼(けいがん)、恐るべしというほかない。 さて、その堂島へ、出羽(でわ)の酒田から一人の男が下(くだ)ってきた。──いや、「下ってきた」は語弊がある。上方(かみがた)から見れば江戸も奥羽(おうう)も等しく「下(しも)」であって、上方の上物が「下り物(くだりもの)」、江戸の安物が「下らぬ物」、ゆえに今日われわれが下らぬ駄洒落(だじゃれ)を「くだらない」と申すのも、もとはと言えば大坂のこの高慢から出ている──と、まあそれはよい。とにかく、本間宗久(ほんまそうきゅう)という。 酒田の本間家といえば、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と里謡(りよう)に唄われたほどの分限者(ぶげんしゃ)で、つまりそのへんの大名よりよほど金がある。その本間家の男が、なんだって自前の蔵に米をうならせておきながら、わざわざ大坂くんだりまで来て、ありもせぬ気の米を売り買いしているのか。 理由は一つ。──面白いからである。 なお、この本間宗久、後の世では「蝋燭足(ろうそくあし)という罫線(けいせん)を編み出した相場の神様」ということになっている。実のところ、あの蝋燭の絵を最初に引いたのが本当にこの御仁(ごじん)かどうか、学者衆のあいだでは今もって怪しいものだとされておるのだが──まあ、よい話というのは、たいてい少々怪しいほうが面白い。我らはしばらく、怪しいほうの本間宗久につきあうことにしよう。
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話を寛政九年(かんせいくねん)の夏に進める。 その日の堂島浜は、いつもどおり気が狂っていた。
米会所(こめがいしょ)の立合(たちあい)というのは、正気の沙汰ではない。何百という男が地面に膝をつき、額をぶつけ合うほどに寄り集まって、てんでに腕を振り上げ、指を立て、唾を飛ばし、「買うた」「売った」「いくらや」「あほんだら」と喚(わめ)き続ける。傍(はた)から見れば、米屋の集会というよりは、何かの宗派が一斉に憑(つ)かれて踊っているとしか思えぬ。げんに、ここで動いているのは米ではない。男どもの胸の内にある、欲と、恐れと、見栄(みえ)と、隣のやつには負けたくないという、あの煮えたぎった汁だけである。 立合の終いは、火縄(ひなわ)で計る。一日の刻限を決めた火縄が、じりじりと焦げて尽きる。その火が消えたが最後、立合は終(しま)い、もう何を喚いても勘定には入らぬ。ところが欲のかかった男どもは、火が消えてもなお「あと一声、あと一声」と粘りやがる。そこでどうするか。──水である。「水方(みずかた)」と呼ばれる屈強(くっきょう)な若い衆が、桶(おけ)になみなみと汲んだ水を、粘る男どもの頭から容赦なくぶっかける。世界に冠(かん)たる金融市場の引け方が、頭から水ぶっかけ、というのが、いかにも大坂らしくて私は好きだ。 その水しぶきの中を、一匹のすばしこいのが、ぬらりくらりとくぐり抜けていく。
寅吉(とらきち)、歳(とし)は十四。 仲買(なかがい)の「鯰屋(なまずや)」に奉公する丁稚(でっち)である。鯰屋というけったいな屋号は、初代が鯰(なまず)の蒲焼(かばや)きで身上(しんしょう)を築いたとも、地震のたびに身代(しんだい)が揺れるからとも言うが、ともかく今の主(あるじ)、利兵衛(りへえ)の代になってからは、もっぱら米相場でちまちまと張る、けちな仲買屋に成り下がっている。 寅吉という男は、これがまた、算盤(そろばん)がまるで駄目(だめ)である。三と七を足させると、たまに九になる。掛算(かけざん)に至っては、九九を「ろくしちしじゅうろく」などと、聞いたこともない数を堂々と言い放って、店じゅうの者を凍りつかせる。 そのかわり、足だけは速い。 堂島から、北浜(きたはま)の両替屋まで、人混みをすり抜けて駆けて、また戻ってくる。その間(あいだ)に、どこそこの店で誰が泣いていた、誰が高笑いしていた、どの蔵屋敷(くらやしき)の門の前に立派な駕籠(かご)が止まっていた、という見聞きしたことを、ぜんぶ覚えて帰ってくる。数は覚えられぬが、噂(うわさ)は一度で覚える。妙な才能である。 その寅吉が、水方の若い衆に尻(しり)を蹴(け)とばされながら、浜のはずれまで転がり出てきて、どてっと尻もちをついた。
ここで、引けたばかりの堂島浜を、ひとつ見渡してみよう。 水をかぶってずぶ濡れのまま、なお算盤を弾(はじ)き直して「勝った勝った」と踊る男がいる。隣では、今日一日で身上(しんしょう)を溶かしたとみえる男が、会所(かいしょ)の白壁(しらかべ)に向かって両手をついて、声もなく嘔吐(へど)を吐いている。その横で、別の男が、その同じ壁に向かって、これは盛大に小便をひっかけながら、「相場なんぞ、どこのどいつが考えやがった」と呪詛(じゅそ)している。──ちなみに考えたのは大坂商人である。自分で考えたものに自分で呪われておるのだから世話はない。 その向こうを、蔵屋敷の留守居役(るすいやく)とおぼしき侍(さむらい)が、供を従えて、苦虫を噛みつぶした顔で通る。藩(はん)の年貢米(ねんぐまい)を金に換えに来て、思うた値がつかなんだか、刀の柄(つか)に手をかけたいような顔をしているが、ここ堂島では侍の刀よりも商人の算盤のほうが切れる、ということを、この御仁もそろそろ思い知り始めているらしい。 その後ろから、墨染(すみぞめ)の衣(ころも)の坊主が、米切手(こめきって)の束を懐(ふところ)から覗(のぞ)かせて、いそいそと両替屋のほうへ歩いていく。寺の喜捨(きしゃ)で張った相場が当たったとみえる。仏は果報(かほう)を諭(さと)すが、坊主は相場を張る。けっこうなことである。 そのまた後ろを、医者がひとり、薬箱を担(かつ)いだ供を連れて、これは何やら難しい顔で空を見上げながら歩いていく。──この男のことは、いずれまた書く。今は名だけ覚えておいていただきたい。伏屋素狄(ふせやそてき)という。犬や豚の腹をかっさばいて、腎(じん)の臓(ぞう)に醤油(しょうゆ)を注ぎ込み、それがどこから滲(にじ)み出てくるかを、目を皿にして眺めているという、たいそうな変人である。後の世では「日本の実験生理学の祖」などと、ずいぶん御立派な肩書(かたがき)を頂戴(ちょうだい)することになるのだが、この時分(じぶん)の堂島では、ただの「臓物(ぞうもつ)いじりのけったいな先生」で通っていた。 米を売る者、米を買う者、米を金に換える侍、その金で経(きょう)をあげぬ坊主、その坊主を診(み)る変人医者──。 この狭い浜に、武家(ぶけ)も、町人(ちょうにん)も、僧(そう)も、学者も、博奕(ばくち)打ちも、ずぶ濡れの破産者も、ことごとくが渾然(こんぜん)と入り混じって、てんでに勝手な欲をかいている。これを一色(ひといろ)に染めようなどというのは、土台(どだい)無理な相談で、大坂という街は、もとからこういう、けったくその悪い、ありとあらゆる色のごった煮なのである。
さて、その寅吉が尻もちをついて、空腹(すきばら)を抱えて、ぼんやり浜を眺めていると、腹の虫が「ぐう」と、それはもう情けない音で鳴いた。 考えてみれば妙なものである。 寅吉は、朝から晩まで米のことしか喋(しゃべ)っておらぬ。米が上がる、米が下がる、米が何万石(まんごく)動いた、と、口を開けば米、米、米。それでいて、その寅吉が今日の昼に食ったのは、塩をまぶした握り飯がたった一つ。米を商う街のどまんなかで、米を商う者が、その米を腹いっぱい食えぬ。天下の台所(だいどころ)と呼ばれる大坂で、いちばん米に困っているのが、米を扱う者だというのだから、世の中というのは、よくよく出来そこないに出来ている。
その、出来そこないの世の中の片隅(かたすみ)に、一人、妙な爺(じい)さんが座っていた。
浜のはずれ、荷揚(にあ)げの済んだ空き樽(あきだる)を椅子(いす)がわりにして、その爺さんは、引けてがらんとし始めた米会所のほうを、じっと眺めていた。 歳のころは、わからぬ。六十にも見えるし、八十にも見える。日に焼けた顔は皺(しわ)だらけだが、背筋(せすじ)はしゃんと伸びて、目だけが、やけに澄んでいて、若い。よれよれの木綿(もめん)の着物を着ているが、その着物の上から、なんとも言えぬ──そう、相場で言うところの「地合(じあい)」のようなものが滲(にじ)み出ていて、近寄りがたい。 その爺さんが、寅吉のほうをちらと見て、こう言った。 「坊(ぼん)。腹、減っとるな」 出羽訛(でわなま)りの、ぼそりとした声であった。 「減ってへんわい」と寅吉。腹が「ぐう」と返事をした。 「正直な腹じゃ」爺さんは笑った。「主(あるじ)よりよう出来とる」 寅吉はむっとした。むっとしたが、相手の懐(ふところ)から、握り飯らしき紙包(かみづつ)みが覗(のぞ)いているのを見て、むっとしたまま、そろりと近寄った。 「爺(じ)い。それ、なんや」 「握り飯じゃ」 「食わへんのか」 「歳をとると、あんまり食わんでも生きとられる。──やる。そのかわり、ひとつ走ってもらおう」 寅吉は、握り飯ほしさに、ぱっと受け取って、ほとんど噛(か)まずに半分を呑(の)み込んでから、口をもごもごさせて尋ねた。 「どこへや」 「升屋(ますや)の番頭はんとこじゃ」
ここで、語り手として、ひとつ申し上げておかねばならぬ。 升屋といえば、その敏腕(びんわん)の番頭、山片蟠桃(やまがたばんとう)である。──と、ここまでは、たいていの御方(おかた)が御存じであろう。だが、世間には妙な誤解がはびこっておって、この蟠桃という御仁を、まるで「相場や金貸(かねか)しのごとき虚業(きょぎょう)を嫌(きら)い、米や物の実(じつ)だけを尊(たっと)ぶ、お堅い実物の人」のように思っている向きがある。 とんでもない。 蟠桃という男は、相場と金融の、これ以上ないほどの信奉者(しんぽうしゃ)である。あの男は、その著(あらわ)した『夢の代(ゆめのしろ)』の中で、将軍家のお膝元(ひざもと)たる江戸を、「あんなものは、ただ食って捨てるだけの、なんも生まぬ田舎じゃ」と平然と言い切り、下関(しものせき)だの尾道(おのみち)だの、市(いち)が立って物が動く湊(みなと)のほうが、よほど上等じゃと喝破(かっぱ)した男である。物の値というものは、お上(かみ)が「これこれの値にせよ」と力ずくで決めるものではなく、市場(いちば)が、おのずからの理(ことわり)で──まるで目に見えぬ手にでも導かれるように──ひとりでに釣り合うところへ落ち着くのだ、と説いた。これは、海の向こうの紅毛(こうもう)の国で、スミスとやらいう学者が同じようなことを書物(しょもつ)に著(あらわ)したのと、ほとんど同じ時分のことである。 つまり蟠桃は、相場を嫌うどころか、相場の中に天地(てんち)の理を見た男なのだ。 であるから、これから先、この物語に出てくる二人の怪物──升屋の番頭・蟠桃と、酒田の妖怪・宗久とを、「実(じつ)の人」と「虚(きょ)の人」とに分けて読もうなどとは、ゆめゆめ思われぬほうがよい。二人はどちらも、相場という名の、あの巨(おお)きな生き物に惚(ほ)れ込んだ者どうしである。ただ、その惚れ方が、ちがう。 蟠桃が惚れたのは、相場という生き物の「骨」である。米の出来(でき)、藩の台所(だいどころ)、舟の費(つい)え、銀(かね)の利(り)、誰がいくら借りて誰がいくら儲(もう)けたか──そういう、勘定の通った、揺るがぬ骨組(ほねぐ)みのほうを、惚れ惚れと眺める。 いっぽう、この爺さんが惚れているのは、その生き物の「肉」のほう、それも、肉の奥でどくどくと脈打っている、熱い血のほうだ。皆が上がると思えば、もう上がらぬ。皆が怖(こわ)がって投げ売れば、そこが買い場じゃ。──人の心の、あの煮えたぎった汁を読む。 骨を読む番頭と、血を読む爺さん。 この二人を引き合わせるための使い走りに、よりにもよって、九九もろくに言えぬ寅吉が選ばれた、というところに、私はどうも、この世というものの、底意地(そこいじ)の悪い采配(さいはい)を感じるのである。
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「升屋やったら、知っとるわ」と寅吉は、握り飯の残り半分を頬張(ほおば)りながら言った。「けど、爺い。あんた、誰や。升屋の番頭はんに、なんて言うて取り次げばええんや」 爺さんは、しばらく黙って、引けたばかりの浜を眺めていた。それから、ぽつりと、 「本間宗久(ほんまそうきゅう)が来とる、と」 と言った。 寅吉は、握り飯を喉(のど)に詰まらせかけた。 本間宗久といえば、堂島で知らぬ者はない。──いや、正しくは、堂島じゅうが「知っている」と思い込んでいる、という言い方のほうが当たっている。なにしろ、その噂(うわさ)たるや、 「宗久先生は、酒田から、ようやく出てきはったらしいで」 「あほ言え、あの御方はもう江戸の根岸(ねぎし)に住んではる」 「いや、三日で十万両(まんりょう)儲けて、もう国へ帰らはったがな」 「あれは本人やのうて、弟子(でし)の宗久二代目(にだいめ)や」 「そもそも本間宗久ちゅう人間、ほんまにこの世におるんか」 と、会う者ごとに歳(とし)も、住まいも、儲(もう)けた額も、生きているか死んでいるかさえもが、ことごとくちがう。堂島の連中(れんじゅう)にとって、本間宗久という名は、もはや一人の人間の名というよりは、「相場で途方(とほう)もないことが起きたとき、とりあえずその名を口にしておけば恰好(かっこう)がつく」という、便利な掛(か)け声(ごえ)、いわば縁起物(えんぎもの)に近いものになっていた。 その、縁起物が、目の前で空き樽に腰かけて、握り飯を恵んでいる。 「……うそやろ」と寅吉。 「うそかもしれん」と爺さん。 「えっ」 「相場師に歳と儲けを訊(き)くな、と言うてな」爺さんは、皺(しわ)の中の目を、いよいよ細めて笑った。「どっちも、答えた途端(とたん)に、嘘になる。──わしが本間宗久じゃと答えれば、それもまた、そのへんの噂(うわさ)と、たいして変わらん嘘になる。じゃがな、坊。嘘でも、皆がそれを信じれば、相場は動く。米の一粒も動かんでも、人の胸の内は、嘘ひとつで、ごっそり動く。──それが、わかるか」 寅吉には、さっぱりわからなかった。 わからなかったが、この爺さんが、ただの腹をすかせた行き倒(だお)れではない、ということだけは、なんとなく、背中(せなか)の毛(け)が逆立(さかだ)つようにして、わかった。 爺さんは、空き樽から、よいしょと腰を上げた。背は、思うたより高い。立ち上がると、よれよれの木綿(もめん)の着物が、急に上等の絹(きぬ)ででもあるかのように、ぴんと張って見えた。 「ついでに、もうひとつ覚えておけ」 と、爺さんは、引けてがらんとした米会所のほうを、顎(あご)でしゃくった。 「あの蔵(くら)にはな、坊。──米が、無い」 「は?」 「いや、米会所の話やない。中之島(なかのしま)の、とある御藩(ごはん)の蔵屋敷(くらやしき)の話じゃ。あすこの蔵には、帳面(ちょうめん)の上では、それはもう、ぎっしりと米が積まれとることになっとる。その米を担保(かた)にした米切手(こめきって)が、今、天下(てんが)じゅうを、立派(りっぱ)な財産(ざいさん)の顔をして、ぐるぐる回っとる。──ところがな、坊。その蔵を開けてみたら、中は、すかすかの、もぬけの殻(から)じゃ」 寅吉は、ぽかんとした。 「……米、あらへんのに、米の証文(しょうもん)だけ、回っとるんか」 「そういうことじゃ」 「そんなん、ばれたら、どうなんねん」 爺さんは、ひどく愉(たの)しそうに、笑った。それは、後にも先にも寅吉が、これほど嬉(うれ)しそうに人の破滅(はめつ)を語る顔を見たことがない、というほどの、見事な笑顔であった。 「ばれるまでは、財産(ざいさん)じゃ。ばれた途端(とたん)に、ただの紙(かみ)きれじゃ。──ええか坊、世の中というものはな、米で回っとるんやない。『あの蔵には米がある』と、皆が信じとる、その信じ込みだけで、回っとる。その信じ込みが、ぱちんと弾(はじ)けるとき、堂島は、わしの生涯(しょうがい)で見たこともないような、それはそれは見事(みごと)な、地獄(じごく)を見せてくれるはずじゃ」 そう言うと、本間宗久と名乗った爺さんは、寅吉の頭をひとつ、ぽんと叩(たた)いて、 「行ってこい。升屋の蟠桃はんに伝えよ。──『酒田の照る照る、堂島曇(くも)る。蔵の米は、空(から)を売る』とな」 と、なんとも人を食った謎掛(なぞか)けを言い残し、ゆらりと、夕暮れの人混みの中へ、消えていった。
あとに残されたのは、握り飯を呑み込み損(そこ)ねて目を白黒(しろくろ)させている、九九もろくに言えぬ丁稚(でっち)が、ただ一人。 この、いちばん間の抜けた男が、これから、天下を揺るがす「米のない蔵」の一件(いっけん)に、まるで関(かか)わりたくもないのに、首までずっぷりと突っ込んでいくことになる──のだが、それは、まだ、この子(こ)の知ったことではない。
今はただ、腹を満たした一匹の丁稚が、夕焼(ゆうや)けの堂島を、升屋目指して、たったか、たったかと駆けていく。その背中の向こうで、何百という男が、ありもせぬ米のために、まだ何やら喚(わめ)いている。 米のない天下の台所に、夏の日が、ゆっくりと、暮れていった。
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(第一話・了。第二話「升屋の番頭、鬼を勘定に入れず」へつづく)
◆この物語の史実と虚構について(語り手より)
帳合米市場、米切手、中之島の蔵屋敷、升屋と仙台藩、火縄と水方による引け、銀建ての大坂——このあたりは、おおむね本当の話である。山片蟠桃が無類の市場肯定論者であったこと、江戸を「消費するだけの田舎」と評したこと、市場の自然な理を信じたことも、本当である。
いっぽう、本間宗久がこの年この場所にこの恰好で座っていたかどうか、蝋燭足を本当にこの男が引いたのかどうか、「米のない蔵」の一件が実在したのかどうか——このあたりは、ことごとく、怪しい。怪しいが、怪しいほうが面白いので、そう書いた。
寅吉とお駒(次話より登場)と鯰屋は、まるごと、わたしの拵(こしら)えものである。