東京独立
東京独立(1)
東京都が突如、日本国からの独立を宣言した。
理由は極めてシンプル。「地方を養うコスパが悪くなったから」である。
「我が社……いえ、我が国(東京)は、これより不採算部門である地方自治体を完全に切り離し、究極のスリム化を図ります」
初代東京CEO(旧都知事)の会見は、無駄な感情を一切排したAIアバターによって淡々と読み上げられた。
独立後の「ネオ・トウキョウ」は、徹底した資本主義と合理性のユートピアとなった。 都民は「株主」と呼ばれ、スマートウォッチで計測される日々の「生産性スコア」がそのまま社会的地位に直結する。
無駄な会議、無意味な慣習、非効率な人間関係は、すべてアルゴリズムによって最適化(排除)された。地方出身者が皇居の周りを歩くためには、分単位で課金される高額な「就労ビザ」が必要になった。
独立から五年。 東京は一人当たりのGDPで世界トップに躍り出た。 街からゴミが消え、犯罪率はゼロになり、誰もが完璧なスケジュールで動き、完璧な栄養素のサプリメントだけを摂取するようになった。すべてがシステム化され、もはや人間が思い悩む(=エラーを起こす)余地すら残されていなかった。
そんなある日、完璧な要塞都市となった東京から、日本国(旧地方自治体連合)に向けて、一通の緊急外交電電が打たれた。 極秘回線を通って届いたそのメッセージには、かつての冷徹なAIの言葉とは似つかない、人間の悲痛な叫びが綴られていた。
『至急、以下の物資の輸入を要請する。関税は言い値の百倍を支払う』
リストには、こう書かれていた。
『一、オチのない世間話』 『二、意味もなく海を眺める時間』 『三、実家から送られてくる、少し酸っぱくなった梅干し』
そして、最後に一行、震えるような文字でこう付け加えられていた。
『……頼む。もう「効率」には耐えられない』
東京独立(2)
東京は、ある朝、独立を宣言した。
理由は、疲れた、だった。
地方交付税、再分配、過疎地の維持、整備新幹線、誰も乗らない高速道路。 「もう、養えません」 都知事は会見でそう言った。冷たくはなかった。むしろ、長年の疲れがにじんでいた。
「東京は、東京の分だけで、やっていきます」
国境は環状線の外側に引かれた。 線の内側に、日本のGDPの多くが残った。本社が残り、官庁が残り、大学が残り、人が残った。
独立の朝、東京は晴れていた。誰もが、これでうまくいくと思った。
最初の異変は、三日後に来た。
野菜が、来なくなった。
東京は、ほとんど何も作っていなかった。米も、葉物も、魚も、肉も、すべて線の外から運ばれていた。独立した瞬間、それは「輸入」になった。関税の交渉相手は、昨日まで同じ国だった人々だった。彼らは、別に意地悪をしたわけではない。ただ、これまで通りに送る理由が、もう、なかった。
水が、来なくなった。
利根川の水源は、線の外にあった。 電気が、来なくなった。 発電所は、福島にあり、新潟にあり、東京の中には、ほとんどなかった。
東京は、自分が何の上に立っていたのかを、失ってから知った。 ビルは建っていた。金融は動いていた。データは流れていた。 だが、それを動かす水も電気も、外から来ていた。
一か月が過ぎた。
人が、減りはじめた。 故郷に戻る者が出た。「実家、線の外やから」と言って、彼らは静かに荷物をまとめた。残った者たちは、東京が人の集まる場所であって、人を生む場所ではなかったことに、ようやく気づいた。
子どもの多くは、地方で生まれ、東京で消費されていた。供給が止まれば、街は老いていくしかなかった。
半年が過ぎた。
都知事は、もう一度、会見を開いた。 今度は、誰もいない会見場だった。記者の多くも、線の外に帰っていた。 都知事は、カメラに向かって、ただ一言、述べた。
「長らくのご滞在、ありがとうございました」
それは、半年前に京都が日本国に送った言葉だった。 だが、向きが、逆だった。 京都は、客に礼を言って送り出した。 東京は、自分が客であったことに、半年かけて、気づいたのだった。
東京は、独立を撤回しなかった。 できなかった、というのが正しい。撤回の文書を受け取る相手は、もう、東京を必要としていなかった。
日本国は、東京がいなくても、水が流れ、電気が灯り、米が実った。少し不便で、少し静かで、それで、足りた。
線の内側で、東京は、ひとり、夜景を灯し続けた。 その電気が、どこから来ているのか、もう誰も、確かめなかった。
東京独立(3)
東京が独立を宣言した。
いや、正確には、都庁は「独立」という言葉を使わなかった。
発表された文書の表題は、こうだった。
「首都機能の高度自律化に関する基本方針」
記者たちは困惑した。
「つまり、東京が日本から独立するということですか」
都知事は微笑んだ。
「独立ではありません。これまで実態として東京に集中していた機能を、制度上も整理するということです」
霞が関は沈黙した。
丸の内は株価を見た。
渋谷はすでに新しいロゴを作っていた。
六本木では、各国大使館が臨時説明会を求めた。
新宿の大型ビジョンには、英語でこう表示された。
TOKYO IS NOW OPTIMIZED.
地方は怒った。
「東京だけで国が成り立つと思っているのか」
東京臨時政府は、ただちに声明を出した。
「東京だけで成り立つとは申し上げておりません。皆様には、これまで通り日本国として各地域を維持していただきます」
さらに怒りが広がった。
「地方を切り捨てるのか」
東京臨時政府は、丁寧に訂正した。
「切り捨てではありません。外部委託です」
独立初日、東京では特に混乱は起きなかった。
電車は遅れた。
人々は謝った。
謝ったあと、すぐにスマートフォンを見た。
コンビニには弁当が並んだ。
会議は予定通り始まり、予定通り長引いた。
誰も独立を実感しなかった。
ただ、天気予報だけが少し変わった。
「本日の東京国は晴れ。周辺日本地域では曇りでしょう」
その一言で、地方の怒りは頂点に達した。
各県は共同で東京国に抗議文を送った。
しかし、返事は自動応答だった。
「お問い合わせありがとうございます。現在、多数のお問い合わせをいただいております。回答までに三から五営業日ほどかかる場合があります」
北海道は牛乳の供給を止めると警告した。
東北は米を止めると警告した。
九州は半導体部品を止めると警告した。
関西は交渉団を出そうとしたが、誰が代表かで揉めた。
京都は何も言わなかった。
ただ、東京臨時政府宛てに一通の文書を送った。
「新しいお国、たいへんどすなあ」
東京はそれを外交文書として処理するか、嫌味として処理するかで三日間会議を開いた。
そのころ、東京国民には新しい身分証が配られていた。
氏名、住所、職業、納税番号、通勤経路、利用駅、購買履歴、健康状態、信用スコア。
すべてが一枚に統合された。
政府はそれを「高度市民カード」と呼んだ。
市民たちは便利だと言った。
便利すぎて、不安になる暇もなかった。
一週間後、東京国は新しい憲法を発表した。
第一条
東京国は、効率をもって国体とする。
第二条
すべての国民は、最適化される権利を有する。
第三条
不要な感情については、可能な限り簡素化する。
憲法は高く評価された。
短く、分かりやすく、検索しやすかったからである。
だが、ある日、ひとつだけ問題が起きた。
東京国の国歌を決める会議で、誰も歌える歌を思いつかなかった。
候補はたくさんあった。
企業のテーマ曲。
駅の発車メロディ。
動画広告のジングル。
しかし、どれもどこかの会社のものだった。
国旗も同じだった。
赤い丸は使えなかった。
青も緑も、すでに企業イメージと重なった。
黒は高級すぎた。
白は余白として広告に使いたいという意見が出た。
結局、東京国の国旗は透明になった。
掲揚式では、何も描かれていない旗が風に揺れた。
人々は拍手した。
何に拍手しているのかは、誰にもよく分からなかった。
その夜、東京タワーのふもとで、一人の老人が孫に言った。
「昔はここも、日本だったんだよ」
孫は不思議そうに尋ねた。
「日本って、何?」
老人は答えようとした。
山。
海。
田んぼ。
祭り。
方言。
雪。
港。
神社。
商店街。
畳。
仏壇。
甲子園。
正月。
盆踊り。
いくつもの言葉が浮かんだ。
だが、そのどれも、東京国の公式分類には入っていなかった。
老人はしばらく黙ってから言った。
「たぶん、東京以外のことだ」
東京独立から一年後、東京国のGDPは伸びた。
行政は効率化された。
交通は管理され、治安は安定し、投資は集まった。
世界の都市ランキングで、東京国は一位になった。
その発表の日、東京中のビルに祝賀映像が流れた。
人々は足を止め、画面を見上げた。
そこには、誇らしげな文字が表示されていた。
TOKYO HAS BECOME ITSELF.
東京は、ついに東京自身になった。
そしてそのとき初めて、東京は気づいた。
東京自身とは、誰の故郷でもない場所のことだった。
東京独立(4)
東京都が独立した。
正確には、宣言などしていない。
都知事が定例会見の最後に、ほとんど興味なさげにこう言っただけだった。
「うちはもう、日本全体の面倒を見る義務はないと思います。これからは東京だけでやっていきます」
記者:「都民以外は……?」
都知事:「知りません。勝手に頑張ってください」
その夜、都庁から国会議事堂に届いた通知は、極めて事務的だった。
日本国様 長らくのご協力、ありがとうございました。 これにより、東京都は事実上独立いたしました。
地方交付税、消費税、社会保障負担など、すべてお断りいたします。 山手線内側を「東京特別経済区」としますので、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
PS. 成田空港と羽田空港は当面共同管理としますが、使用料は今後改定します。
独立から一週間後、東京は急速に様変わりした。
23区は「東京シティ」として完全に分離され、多摩と島しょ部は「緩衝特別自治区」とされた。
新しく導入された「東京市民権」は、年収と資産によって審査され、取得率は初年度わずか12%だった。
渋谷のスクランブル交差点では巨大スクリーンにこう表示されていた。
「本日、日本円→東京クレジット変換レート:1円=0.68TC」
新宿のサラリーマンがため息をつきながら言った。
「まあ、元々東京だけが日本みたいなもんやったしな……」
一方、地方では混乱が広がっていた。 「税金返せ」「東京の大学はもう地方枠なしなのか」「食料はどうなるんだ」という声が上がる中、意外なことに多くの若者が東京に向かって動き始めた。
「やっと本当の意味で東京に住める……」
政府は「話し合いを求める」と何度もコメントを出したが、東京都側は毎回同じ返事だった。
「スケジュールが詰まっていますので、Zoomで簡潔にお願いします」
三ヶ月後、総理大臣は疲れ果てた顔で記者団に言った。
「京都は文化的に、関西は勢いで独立した。 でも東京は……ただ、面倒くさくなっただけなんだろうな」
ある晩、皇居の近くで一人の老人が空を見上げて呟いた。
「結局、日本は三つに分かれたのか…… でも本当は、昔からこうだったのかもしれん」