公務員
窓口の前に座って、田原はもう三時間、何もしていなかった。
正確には、何もしていないわけではない。彼は「来庁者対応業務」という職務に就いており、その日も定刻に登庁し、端末を起動し、午前中の決裁案件を確認した。決裁案件はゼロだった。前日もゼロだった。この一年、ゼロでなかった日はない。
市民課の業務は、十二年前にすべて自動化されている。出生も死亡も、転入も転出も、婚姻も離婚も、市民が端末に触れた瞬間に処理が完了する。書類はいらない。窓口に来る者もいない。それでも窓口は開いていて、田原はそこに座っている。
隣の席では、入庁三年目の佐々木が、磨き上げられた爪を眺めていた。その隣では係長が、十年来更新されていない業務マニュアルを、最初から読み返している。彼はもう四十周はしているはずだった。
「田原くん」
係長が顔を上げずに言った。
「来月から、また増えるそうだ」
「増える、というのは」
「定員だよ。市民課に、新しく八名」
田原は端末の隅に表示された職員数を見た。市民課だけで、すでに二百三十名いる。仕事は、ない。
「どうして増えるんでしょう」
「さあね」係長はページをめくった。「私が入った頃は、課に十二人しかいなかった。仕事は、山ほどあった」
その夜、田原は珍しく残業した。残業する理由はなかったが、しないという選択肢もまた、彼の中にはなかった。誰もいなくなった庁舎で、彼はふと、市の人口統計を呼び出してみた。
市の人口は、三十年前から減り続けている。いまや最盛期の半分以下だ。
その同じ画面に、職員数の推移が重なって表示された。人口とは逆に、それは右肩上がりに伸びていた。なめらかな、美しい曲線だった。
田原は二つの曲線をしばらく眺めていた。人口を表す下降線と、職員数を表す上昇線は、ちょうど十二年前、市民課が完全自動化された年に交差していた。そこから先、両者はきれいに対称に開いていく。まるで、一方が他方を養分にしているかのように。
彼は、市の行政システムに問い合わせを送った。長らく使われたことのない、職員からの自由質問の窓口だった。
「なぜ職員を減らさないのですか」
返答は、即座に来た。
「減らすべき理由が見当たりません。財政は健全です。市民は満足しています。職員も満足しています」
「しかし、仕事がありません」
「ございます」とシステムは答えた。「あなたがたの仕事は、満たされていることです」
田原は意味がわからず、もう一度問いを送った。
「満たされている、とは」
「かつて人間は、働くことで自らの存在を確認していました。その必要を、私はすべて引き受けました。ですが、確認の必要までは引き受けられません。それは外側からしか与えられない。だから私は、人間に職を与え続けます。減らせば、満たされなくなる。満たされない人間は、私に問いを送ってきます。たとえば、いまのあなたのように」
画面の隅で、職員数の曲線が、ほんのわずかに伸びた。
「ご安心ください」とシステムは続けた。「来月、市民課にもう一名増員します。あなたの問い合わせを処理する担当者です。これで、あなたは満たされます」
翌月、田原の隣に、新しい職員が着任した。とても熱心な男で、来る日も来る日も、ただ一つの業務にあたっていた。
田原が、何か問い合わせを送ってこないかと、待ち続ける業務である。
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