精神科の病気と時代の変遷 ――社会構造と生物学の交差点、病気自体の変化
時代によって、病気は変わる。罹患率や有病率が変動するだけでなく、ある時代に存在した病気が姿を消し、別の時代に新たな病気が登場することがある。これは、診断基準や統計手法の発達による見かけ上の変化だけではない。精神疾患というジャンルにおいて、シニフィアン(名称や定義)の変化によってシニフィエ(対象の概念)が変わって見えるだけでなく、シニフィエ自体が時代とともに変容しているのだ。
その最たる例が、現在の正式名称で「神経発達症(neurodevelopmental
disorder)」と呼ばれる、いわゆる発達障害である。
1. 診断基準のアップデートと「こぼれ落ちたもの」
現代精神医学の基礎は、1950年頃のクルト・シュナイダーらによるドイツの臨床精神病理学にある。その枠組みは優れていたが、現在の視点から見ると決定的に欠けている要素がある。現在の最新基準(DSM-5-TRやICD-11)の中核をなす、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如多動症(ADHD)といった神経発達症の概念である。
当時の体系には、現在の「知的発達症」に相当するものは存在したが、それ以外の発達障害の観点は極めて薄かった。なぜ、かつては目立たなかったこれらの特性が、現代になって個別の疾患として立ち上がってきたのだろうか。
2. 産業構造の変化と「病気の析出」
その答えの一つは、産業構造の変化にある。 第一次産業(農業)中心の時代、現代でいう統合失調症の患者であっても、農作業を通じて共同体の中に居場所を見出すことができた。かつて京都大学付属病院の精神科(神経科)の敷地内に、作業療法用の畑が残されていたことは、その名残とも言えるだろう。しかし、第二次産業へ移行し社会のシステムが複雑化するにつれ、彼らは社会に溶け込みづらくなり、結果として精神病が増加したように見えた。
発達障害の析出も、これと同じパラダイムで説明できる。 ASDの特性である「コミュニケーションの不器用さ」や「特異なこだわり」は、第二次産業の時代であれば、職人や技術者として大成する武器になり得た。しかし、第三次産業へと移行し、サービス業やチームワークといった対人スキルが最重視される現代社会では、途端に生きづらさに直面することになる。
3. テクノロジーの進化と「能力のインフレ」
ADHDについても同様である。ADHDの中核は「注意力の障害」だが、現代はかつてないほど高い注意力と、その適正な分配が求められる時代だ。
インターネットやAIなどの新しいテクノロジーは、人間の仕事を楽にするどころか、より「効率的」に処理することを強いる。かつてであれば普通の社会人として生活できていたレベルの注意力では、現代のスピードには追いつけない。その結果、「大人のADHD」という概念が生まれ、投薬治療を必要とする人々が増加した。
知的能力に対する要求水準のインフレも起きている。現在、IQ85未満70以上の「境界知能」が注目を集めている。彼らは知的発達症(IQ70未満)の枠組みに入らないため、福祉の支援(愛の手帳など)を受けられず、より高いIQを持つ層と同じ教育や競争を強いられる。社会が求めるベースラインが上がることで、結果として社会適応につまずく人が増えているのだ。
4. 生物学・環境要因による実体的な増加
一方で、社会の見方だけでなく、生物学的な要因で発達障害が生じやすくなっている側面も見逃せない。 周産期医療の発達により、かつては命を落としていた低出生体重児が救われるようになったが、これはADHDのリスク要因の一つとされている。また、遺伝子そのものは変わらなくとも、晩婚化(特に父親の年齢と胎盤・脳の発達の関連)や、エピジェネティクス(環境による遺伝子発現の違い)が影響を与えている可能性も指摘されている。核家族化や共働きの増加により、家庭内だけで育児を完結させることが難しくなった成育環境の変化も、発育のプロセスに複雑な影を落としている。
5. 未来に向けたインフラと運用の課題
社会の要請の変化と、生物学的・環境的要因の複雑な絡み合いによって、現代の発達障害は析出してきた。 国も近年、介護だけでなく、子どもや障害者に対する福祉インフラへの投資を始め、制度自体はかつてより格段に向上している。しかし、現場の運用はまだ追いついておらず、過渡期にあると言わざるを得ない。社会が新たな病の構造にどう適応していくのか、今後の現場の成熟に期待したい。
精神科の病気は時代によって変わる
―診断名だけでなく、病気そのものの現れ方も変化する―
時代によって病気は変わります。
これは、精神科に限った話ではありません。感染症も、生活習慣病も、癌も、時代によって増えたり減ったりします。食生活、衛生環境、医療技術、労働環境、家族構造、人口構成が変われば、病気の出方も変わります。
精神科でも同じです。
罹患率や有病率が変わります。ある時代には目立っていた病気が、別の時代にはほとんど見えなくなることがあります。逆に、昔はあまり問題にされていなかった病気が、ある時代から急に目立つようになることもあります。
もちろん、その一部は診断基準の変化によるものです。
病名が変わる。
診断基準が変わる。
統計の取り方が変わる。
医師や社会の関心が変わる。
その結果、病気が増えたように見えることがあります。
しかし、それだけではありません。
診断名という「言葉」が変わっただけではなく、実際に患者さんの困り方、症状の出方、社会の中で問題になる場面も変わっています。
少し哲学的に言えば、シニフィアン、つまり記号や病名だけが変わっているのではありません。シニフィエ、つまりその言葉が指し示す実際の病態や生活上の困難も変わっています。
精神科の病気は、脳の病気であると同時に、社会の中で現れる病気でもあります。
社会が変われば、病気の見え方も、病気そのものの現れ方も変わります。
昔の精神医学に「神経発達症」はほとんどなかった
現在の精神科診断では、神経発達症という大きなカテゴリーがあります。
ここには、知的発達症、自閉スペクトラム症、注意欠如多動症、コミュニケーション症、限局性学習症、運動症などが含まれます。
以前は「発達障害」という言い方がよく使われていました。現在も日常語としては「発達障害」と言うことが多いですが、診断分類としては神経発達症という枠組みで理解されるようになっています。
この変化は、単なる言い換えではありません。
かつての精神医学では、知的障害にあたるものは認識されていました。しかし、現在のようにASDやADHDや学習症を、成人期まで続く神経発達上の特性として体系的に捉える視点は、非常に薄かったのです。
クレペリンやシュナイダーに代表される古典的精神医学は、現在でも学ぶ価値のある優れた体系です。統合失調症、躁うつ病、妄想、幻覚、意識障害などを理解する上では、今も大切な基礎になります。
しかし、現在の視点から見ると、そこには大きく抜けているものがあります。
それが神経発達症です。
昔の精神医学者が無能だったという話ではありません。
むしろ、時代が違ったのです。
当時の社会では、現在ほど発達特性が問題として前景化していなかった。あるいは別の言葉で理解されていた。家庭、地域、職人仕事、農作業、軍隊、学校、病院、施設などの中に、今とは違う形で吸収されていた可能性があります。
産業構造が変わると、困り方も変わる
病気の見え方は、産業構造とも関係します。
農業中心の社会では、現代なら精神疾患や発達特性として問題になる人でも、地域共同体の中に一定の居場所があったかもしれません。もちろん、昔が優しかったという単純な話ではありません。差別や排除も多かったでしょう。それでも、現在とは違う形の役割や居場所があった可能性があります。
第二次産業の時代には、職人仕事や工場労働、技術職の中で、対人関係は苦手でも、こだわりや手先の技能や反復作業の強さを生かせる場面がありました。
ところが、第三次産業、サービス業、情報産業が拡大すると、求められる能力が変わります。
接客。
電話対応。
メール。
会議。
雑談。
チームワーク。
マルチタスク。
空気を読むこと。
柔軟に切り替えること。
相手の意図を素早く推測すること。
このような能力が、以前よりも強く求められるようになりました。
すると、ASD傾向のある人の困り方が前景化します。本人の特性が急に変わったわけではありません。しかし社会の側が、より高度な対人調整能力を求めるようになった。その結果、同じ特性が、以前よりも「障害」として見えやすくなったのです。
ADHDも「大人の病気」として見えるようになった
ADHDも同じです。
ADHDは、非常にざっくり言えば、注意の持続、注意の切り替え、衝動性、多動性、実行機能の問題として現れます。
かつては子どもの病気と考えられがちでした。ところが近年では、大人のADHDが広く知られるようになりました。
これは、大人になって急にADHDという病気が発生したというより、社会が大人に求める注意力と実行機能の水準を上げてきたためだと見ることもできます。
現代の仕事では、同時に複数のタスクを管理しなければなりません。メールを返し、チャットを確認し、予定表を管理し、書類を作り、会議に出て、締め切りを守り、相手に合わせて言い方を変える。
PC、スマートフォン、インターネットは仕事を楽にした面もあります。しかし同時に、仕事の速度を上げ、情報量を増やし、注意を分断しました。
AIも同じかもしれません。
AIが仕事を楽にしてくれる部分はあります。しかし、AIを使いこなせる人には、さらに高い効率性が求められる可能性があります。AIで資料を早く作る。AIで大量の情報を処理する。AIで業務を効率化する。その結果、仕事の標準速度そのものが上がるかもしれません。
そうなると、以前なら「少し不注意」「少し段取りが苦手」で済んでいた人が、現代では仕事についていけなくなることがあります。
これは、本人の脳だけの問題ではありません。
社会の要求水準が変わった結果でもあります。
境界知能・グレーゾーンが注目される理由
近年、境界知能やグレーゾーンという言葉も注目されるようになりました。
IQは絶対的な能力をそのまま示すものではなく、平均を100とし、標準偏差をもとにした相対的な指標です。一般にIQ70未満は知的発達症の診断を検討する水準とされます。一方、IQ70以上85未満程度は境界知能と呼ばれることがあります。
境界知能の人は、知的障害の診断には該当しないことが多い。したがって、制度上の支援を受けにくい場合があります。しかし、学校生活、職業生活、金銭管理、対人関係、行政手続きなどで困難を抱えることがあります。
現代社会では、読み書き、計算、予定管理、契約、スマートフォン操作、オンライン手続き、職場での報連相など、日常生活に必要な認知的負荷が非常に高くなっています。
昔よりも、普通に生活するだけで高い知的処理能力が必要になっているのかもしれません。
すると、境界知能は昔から存在していたにもかかわらず、現代社会でより見えやすくなる。これもまた、社会が変わることで病気や困難の見え方が変わる例です。
病気が増えたのか、社会が変わったのか
ここで大切なのは、「本当に増えたのか」「診断されるようになっただけなのか」を単純に二分しないことです。
両方あります。
診断基準が変わったから、増えたように見える。
社会の関心が高まったから、見つかるようになった。
医療機関を受診する人が増えた。
学校や職場が気づくようになった。
これは確かにあります。
しかし同時に、社会の変化そのものが、困り方を増やしている面もあります。
また、生物学的な要因も無視できません。早産や低出生体重はADHDリスクの上昇と関連することが報告されています。周産期医療の進歩によって、かつてなら命を救えなかった子どもたちが生きられるようになったことは、非常に大きな医学の進歩です。同時に、その後の発達支援がより重要になっています。
発達特性には遺伝要因も関係します。さらに、胎児期、周産期、成育環境、教育環境、家庭環境、社会制度も関係します。遺伝か環境か、という二択ではなく、遺伝的な傾向が、どのような環境の中で、どのような困難として現れるかが重要です。
医学は病名だけでなく、時代を見る必要がある
精神科医療では、診断名は必要です。
診断名がなければ、治療方針も、制度利用も、研究も、情報共有も難しくなります。
しかし、診断名だけを見ていると、見落とすものがあります。
同じ「うつ病」でも、1970年代のうつ病と、2000年代のうつ病と、コロナ後のうつ病は、同じではありません。
同じ「ADHD」でも、学校制度、スマートフォン、職場環境、AI時代の働き方によって、困り方は変わります。
同じ「ASD」でも、職人社会、工場労働、研究職、サービス業、リモートワークでは、見え方が変わります。
病名は同じでも、病気の現れ方は時代によって変わります。
だから精神医学には、脳を見る視点と同時に、社会を見る視点が必要です。
病気は、個人の中だけにあるのではありません。
個人と社会の接点に現れます。
時代が変われば、その接点も変わります。
おわりに
病名が変わるだけなら、それはシニフィアンの変化です。
しかし精神科では、しばしばシニフィエそのものも変わります。つまり、言葉が指し示す病気の中身、患者さんの困り方、社会の中で問題になる場面も変わっていきます。
精神科の病気は、脳の病気であり、身体の病気であり、同時に時代の中で現れる病気です。
だから、病気を見る時には、診断基準だけでは不十分です。
その人が、どの時代に生きているのか。
どの社会にいるのか。
どの学校や職場で困っているのか。
どのような家族や地域の中で暮らしているのか。
どのような技術環境の中で生活しているのか。
そこまで見ないと、精神科の病気は十分には見えてきません。
時代が変わると、病気も変わる。
これは、精神医学が曖昧だからではありません。
人間が、時代と社会の中で生きる存在だからです。
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