2026年5月30日土曜日

死後の世界が発見された ――其の一・隠居

 死後の世界が発見された ――其の一・隠居

 死後の世界との通信が確立されたのは、ある春のことだった。

 原理は誰にも説明できなかった。ある研究所の装置が、ある朝とつぜん、死者の声を拾い始めた。最初は雑音だと思われた。やがてそれが、整然とした言葉だと気づいたとき、世界は静かに動転した。

 通信には規則があった。死者は、自分が死んだその日の自分のまま、向こうにいる。歳もとらず、考えも改めない。死んだ時点で時計が止まり、そのまま固まる。だから誰と話すかで、いつの時代と話すかが決まった。

 最初に大きな反響を呼んだのは、ある商家の隠居との通信記録だった。文政年間に没した、米問屋の元主人である。

 研究員が、現代の暮らしを丁寧に説明した。誰もが小さな板を持ち歩き、それで遠くの者と話し、買い物をし、道を調べる。働かずとも機械が働く。そういう世になりました、と。

 隠居はしばらく黙ったのち、こう言った。

「それは、いかん」

 研究員は理由を尋ねた。

「奉公人をどうした」と隠居は言った。「板が用を足すなら、丁稚はどこへやった。手代は、番頭は。人を使うてこそ、その者に飯を食わせ、家を立てさせ、嫁を取らせてやれる。商いとはな、儲けることではない。人をいかに食わせるか、その算段のことだ。板はそれをするか。せぬだろう。ならば、それはいかん」

 研究員は、現代では効率が何より重んじられるのだと説明した。無駄を省き、人手を減らし、より少ない者で、より多くを為す。それが進歩というものです、と。

 隠居は、心底あきれたという声で言った。

「省いた手間は、どこへ行った」

 研究員は答えに詰まった。

「手間というものはな」と隠居は続けた。「誰かの飯の種だ。お前が省いたその手間は、誰かが食うはずだった一膳の飯だ。それを省いて浮かせた金を、お前たちは何に使うておる」

 記録によれば、研究員はここで、しばらく沈黙している。

 やがて彼は、正直に答えた。省いて浮いた金で、また新しい、もっと手間を省く板を買うのです、と。

 隠居は、長い長い息を吐いた。それから、たいそう穏やかな声で言った。

「お前たちの世は、ずいぶんと賢うなったものよ。賢うなりすぎて、何のために賢うなったか、忘れてしもうたな」

 通信は、そこで途切れた。隠居のほうから切ったのだという。向こうには切るも何もないはずだったが、とにかく途切れた。

 研究所はその後、何度も呼びかけたが、隠居は二度と応じなかった。生前から、気に入らぬ客には居留守を使うので有名な男だったという。

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