2026年5月31日日曜日

関西独立


関西独立(1)

ついに「関西共和国」が成立した。

対東京という一点において奇跡の団結を見せ、見事に独立を勝ち取った関西圏だったが、建国宣言の翌日には早くも国境封鎖の危機に瀕していた。

首都をどこにするかで、完全な内戦状態に陥ったのだ。

大阪は「経済の中心やから当然うちが首都やろ」と主張し、新紙幣の肖像画をすべてお笑い芸人にしようと画策した。 京都は「千年の都を差し置いて、何を野暮なこと言うてはりますのやろ」と冷笑し、大阪府との府境に塩を盛り始めた。 神戸は「どっちも泥臭いわ。国際都市の神戸こそがふさわしい」とブランド牛を焼きながら優雅に構え、滋賀は「首都にしてくれへんかったら、いつでも琵琶湖の水止めるで!」とお決まりの最終兵器をチラつかせる。 奈良はといえば、静かに大仏を磨きながら「まあ、争いはよしなはれ」と達観していた。

事態を重く見た国連は、国家としての体裁が保たれているかを確認するため、急遽、特別視察団を派遣した。

視察団の代表が降り立った関西国際空港の入国審査ゲート。そこには、真顔の審査官が座っていた。 代表が外交官パスポートを差し出すと、審査官は入国スタンプを押し、パスポートを返しながら真顔で言った。

「はい、お釣り、三百万円」

代表は通訳機越しにその言葉を聞き、困惑して首を傾げた。 「……ミスター。私はまだ、あなた方にいかなる支払いもしていませんが?」

その瞬間、審査ゲートの赤いパトランプが激しく回転し、けたたましいサイレンが鳴り響いた。どこからともなく屈強な入国警備官たちが現れ、代表を取り囲む。

「入国拒否や!」審査官がマイクで叫んだ。「あそこは『なんでやねん!』か『高っ!』ってツッコむとこやろ! その程度の返しもできへんつまらん人間は、この国にはいらん!」

国連視察団は、一歩も足を踏み入れることなく本国へと送還された。 後に提出された国連の公式報告書には、たった一行、こう記されていた。

『彼らは新しい国家を建国したのではない。二府四県にまたがる、巨大な劇場をオープンさせたのだ』

 

 

関西独立(2)

関西は、独立すると決めてから、独立できなかった。

宣言文の起草で、まず揉めた。 大阪が「ほな、うちが代表して書くわ」と言った瞬間、京都が静かに茶を置いた。 「代表、て。どちらが、どす?」 神戸は窓の外の海を見ていた。奈良は何も言わず、ただ千三百年ぶんの沈黙でそこにいた。

結局、宣言文は四通できた。 日本国に届いた封筒の中で、四枚は互いに、自分が冒頭に来るべきだと主張していた。

次に、首都を決めることになった。

大阪は数字を出した。生産額、人口、駅の乗降客数。 「これだけ回してんのや。中心はうちやろ」 京都は数字を出さなかった。 「千年、都どした」 それで終わり、というのが京都の論法だった。反論できる種類の言葉ではなかった。 神戸が口を開いた。 「港、閉めよか?」 誰も貿易の話を勝てなかった。 奈良がようやく言った。 「大仏より古い首都が、ありますの?

四人は黙った。 四人とも、自分が正しいと確信していた。 これが関西だった。

通貨も決まらなかった。 大阪は「もうかりまっか」を挨拶ではなく単位にしようとした。一もうかりが百ぼちぼち。京都は額面に何も書かない紙幣を提案した。「金額を口にするのは、はしたない」。受け取った側が察するのだという。神戸は外貨でええやんと言い、奈良は物々交換でええやんと言った。

公用語の制定では、致命的なことが起きた。 全員が「自分とこの言葉が標準やろ」と思っていた。 大阪弁を基準にしようとすると京都が「きつおすなあ」と笑い、京都弁を基準にしようとすると大阪が「いちいち遠回しやねん」と返し、神戸はどっちもKobeにはKobeのがあると言い、奈良は語尾の話になると急に強気になった。

一年が過ぎた。

日本国は、待っていた。 独立の承認を求められたら、応じる準備はできていた。だが、関西からは何も来ない。来るのは四通ずつの文書と、互いの矛盾と、訂正と、訂正の訂正だった。

ある日、日本国の担当者が、思い切って関西に問い合わせた。 「あの、独立は、どうなりましたでしょうか」

返事は、四通来た。

大阪――「まあ、ぼちぼち進めてまっせ」 京都――「急ぐ話と、ちがいますやろ」 神戸――「こちらは、いつでも」 奈良――「千三百年、待ちましたので」

担当者は、ふと気づいた。 この四つは、永遠に一つにならない。 ならないまま、しかし確かに、一つの何かではあった。 独立国家ではない。連邦でもない。 ただ、まとまらないという一点において、これ以上ないほど、まとまっていた。

担当者は報告書にこう書いた。

「関西は、独立していません。 そもそも、独立する気がないものと思われます。 彼らは、独立する必要を感じていません。 すでに、十分に、関西なので」

 

 

関西独立(3)

関西が独立を宣言した。

いや、正確には、誰が最初に宣言したのかで、まず揉めた。

大阪は言った。

「経済規模から言うて、うちが代表やろ」

京都は言った。

「代表という言葉が、少し新しおすなあ」

神戸は言った。

「うちは港湾自由都市ということで」

奈良は古文書を持ってきた。

「都の話なら、まずこちらに筋を通していただきたい」

滋賀は黙って琵琶湖の水位を見ていた。

和歌山は少し遅れて到着し、

「南朝の件も、この機会に」

と言った。

独立初日の臨時政府会議は、首都をどこに置くかで夜まで続いた。

大阪は大阪を推した。

京都はどこも推さなかったが、全員が京都の顔色を見ていた。

奈良は、そもそも首都というなら遷都ではなく還都であると主張した。

神戸は、首都にはならなくていいが、外交港だけはこちらで預かると言った。

滋賀は、会議室の隅で一言だけつぶやいた。

「水、止めてもええんですよ」

その瞬間、議場は静まり返った。

翌日、日本政府は、関西臨時政府に対して独立撤回を求める文書を送った。

しかし、どこへ送ればよいのか分からなかった。

大阪に送ると、京都に聞いてくれと言われた。

京都に送ると、大阪さんがよう頑張ってはるのでと言われた。

奈良に送ると、千三百年ほど遅いと言われた。

神戸に送ると、港湾使用料の案内が同封されて返ってきた。

滋賀に送ると、返信はなかった。

ただ、東京の水道局に琵琶湖の写真だけが届いた。

政府は困惑した。

「関西は本当に独立したのか」

記者が大阪の商店主に尋ねると、商店主は答えた。

「してると言えばしてるし、してへんと言えばしてへん。そこはまあ、話し合いですわ」

「国家なのですか」

「国家というほど堅苦しないです」

「では、連邦ですか」

「連邦というほど仲良うもないです」

「では、一体何なのですか」

商店主は少し考えた。

「近所づきあいですな」

その後、関西独立は国際法上、最後まで承認されなかった。

なぜなら、承認を求める代表団が、空港へ向かう途中で、誰が前に座るかをめぐって解散したからである。

だが、関西の人々は特に困らなかった。

大阪は商売を続けた。

京都は昔の形に戻ったままだった。

神戸は海を見ていた。

奈良は鹿に道を譲った。

滋賀は水をたたえていた。

和歌山は、まだ南朝の件を考えていた。

東京の新聞は、これを「関西独立の失敗」と報じた。

関西の新聞は、同じ出来事をこう報じた。

「通常営業」

 

 

関西独立(4)

関西が独立した。

正確には、宣言などしていない。

大阪府知事が記者会見で、マイクを握りしめながらこう言っただけだった。

「もうええわ。東京に貢ぐのも限界や。今日からここは関西共和国や!」

記者:「共和国って……憲法上どうなんですか?」

知事:「憲法? そんなもん、ほんまに守ってるんかお前ら。うちはもう、勘定合わせるわ」

その日の夕方、国会議事堂に届いたメールの件名は「ご挨拶」だった。本文は極めて簡潔に書かれていた。


日本国様 長らくお世話になりました。 これからは自分ちで商売します。 消費税は要りません。バイバイ。 PS. 新幹線は当分使わせてもらいますで


独立初日、関西国際空港には即席の「関西共和国入国管理事務所」が設置された。審査官のおばちゃんが、関西弁全開で叫んでいた。

「日本円持っとるんかー? レートは今日1円=0.7わろしやで!」

神戸は「中立貿易港」に、奈良は「古代文化保護区」に、和歌山は「みかん共和国連邦」として勝手に参加を表明した。 京都だけは「文化特別自治区」として半独立状態を保ち、「関西共和国なんていう下品な名前は認めへん」と仏頂面を決め込んでいた。

大阪の道頓堀では早速「独立記念セール」が始まり、「日本脱出!全品3割引き」ののぼりがはためいていた。 客の爺さんが笑いながら言う。

「ようやく税金返ってくるんかと思ったら、値上げかい!」

三日後、東京の官邸では緊急会議が開かれていた。 総理大臣が疲れた顔で呟いた。

……関西、ほんまに独立したみたいやな」

側近の一人がため息をついた。

「実は、かなり前から準備してました。なんか、みんな『まあ、しゃあないか』って感じで受け入れてるんですよね」

総理は窓の外を見ながら、ぽつりと言った。

「結局、関西は昔から『日本』やなくて『関西』やったんやな」

 

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