2026年5月31日日曜日

京都独立

 

京都独立

 

京都独立(1)

『チェックアウト』

京都市が独立を宣言した。 いや、正確には、宣言はしていない。市長が会見で、ただ一言、 「そろそろ、昔の形に戻させてもらいます」 と述べただけだった。

翌朝、国会議事堂に届いた文書には、こう書かれていた。 『日本国様 長らくのご滞在、ありがとうございました』

日本政府は激怒した。即座に経済封鎖を通達し、新幹線と高速道路を封鎖。自衛隊を県境に配備し、圧倒的な圧力で「反乱」を鎮圧しようとした。ライフラインを断たれれば、数日で音を上げるはずだった。

一週間後、政府の特命担当相が、降伏勧告のために特別ヘリで京都御所の跡地へと降り立った。

出迎えたのは、和服姿の初老の男だった。周囲に武装した兵士の姿はなく、ただ静寂な庭園が広がっているだけだ。担当相は勝利を確信し、高圧的に言い放った。

「経済は完全にストップした。もう意地を張る余裕はないだろう。今すぐ独立を撤回すれば、この件は不問に付してやる」

男は困ったように眉を下げ、ふう、と小さくため息をついた。

「いややわぁ。東京のえらいお方は、ほんまにいけずやなあ。私らみたいな田舎もんに、そないな恐ろしいこと言わはらんでも」 「事実を言っているだけだ! 水も電気も止まっているんだぞ!」 「へえ、おおきに。せやから、もう日本国様からの『おもてなし』は、十分堪能させてもらいました、言うてますんや」

男が扇子を軽く開いた瞬間、担当相のスマートフォンが狂ったように鳴り始めた。 画面には、東京にいる総理からの緊急通信。

……どういうことだ! なぜ、世界の主要国の首脳が、こぞって京都に「大使館」を移すと言い出している!?』 『しかも、外貨準備高の半分が、謎の暗号資産に吸い上げられている! 発行元は……KYOTO」だ!』

担当相が呆然と顔を上げると、男はにこやかに笑っていた。

「千年の都の『信用』は、円より少しばかり強うおすえ。電気や水なんか、海外の旦那衆がなんぼでも融通してくれはりますさかい」

男は、すっと一歩退き、深く頭を下げた。

「ほな、これにて。お忘れ物のないよう、お気をつけてお帰りやす」

気がつくと、ヘリのパイロットは無意識にエンジンを起動させていた。担当相は、自分たちが「追い出された」のではなく、あまりにもスムーズに「お見送り」されたのだと気づくまでに、さらに三日を要した。

 

京都独立(2)

遷ろい

京都が独立して、半年が過ぎた。

国境らしきものはない。ただ、山科を越えたあたりで、なんとなく空気が変わる。観光客はパスポートを求められないが、帰りに「またお越しやす」と言われると、もう来るなと言われた気がして二度と来ない者もいる。

新政府は何も急がなかった。憲法はまだない。「千年やってきたんやから、急いで決めることもおへん」というのが、ただ一人の閣僚の弁だった。

困ったのは日本国の方である。 外交団を送った。京都側は応接間に通し、上等な茶を出し、菓子を出し、庭を眺めさせ、三時間ほど何も決めずに帰した。 次の週も同じだった。 その次も。

外交団の団長は、半年通って、ようやく気づいた。 これは交渉ではない。 京都はとっくに、こちらを「もてなしている」のだった。決裂もしない、合意もしない、ただ客として遇され続ける。怒ることもできない。出された茶は、いつも完璧だった。

帰国の前夜、団長は思い切って尋ねた。 「我々は、いつ独立を承認すればいいのでしょう」

老閣僚は、ほんの少し笑った。 「承認してもろたら、独立になりますやろ。うちは、戻っただけどす」

 

京都独立(3)

洛中独立

京都市が独立を宣言した。

いや、正確には、宣言はしていない。

市長が会見で、ただ一言、

「そろそろ、昔の形に戻させてもらいます」

と述べただけだった。

翌朝、国会議事堂に一通の文書が届いた。

そこには、こう書かれていた。

「日本国様
長らくのご滞在、ありがとうございました」

政府はただちに抗議した。

「京都市は日本国の一地方公共団体であり、独立など認められない」

すると京都市役所から返答があった。

「独立とは申し上げておりません。昔の形に戻るだけでございます」

外務省は困惑した。

防衛省も困惑した。

総務省は、もっと困惑した。

そもそも、京都市は反乱を起こしていなかった。

道路はいつも通り渋滞していた。

市バスはいつも通り遅れていた。

観光客はいつも通り道に迷っていた。

ただ、京都御所の周辺にだけ、いつのまにか古い結界のようなものが張られていた。

通行証を持たない国会議員が入ろうとすると、どこからともなく町内会長が現れ、

「今日は、ちょっと、あきまへんのです」

と言った。

政府は強硬措置を検討した。

だが、その日の午後、各省庁に奇妙な通知が届いた。

「霞が関一帯につきましては、歴史的経緯を鑑み、当面、洛外出張所として扱わせていただきます」

官僚たちは笑った。

しかし翌朝、霞が関の道路標識がすべて変わっていた。

「東京都千代田区霞が関」

ではなく、

「京都市上京区東霞小路」

と書かれていた。

地図アプリも、登記簿も、天気予報も、なぜか同じ表記になっていた。

政府は抗議した。

京都市は返答しなかった。

ただ、三日後、内閣総理大臣宛てに、また一通の文書が届いた。

「お急ぎのところ恐縮ですが、都の件につきましては、応仁の乱以後、まだ整理中でございます」

それ以来、日本国は京都市の独立を認めていない。

京都市もまた、日本国から独立したとは言っていない。

ただ、京都の人々は、少しだけ丁寧にこう言うようになった。

「日本さんも、長いこと、よう頑張ってはりますなあ」

 

京都独立(4)

京都市独立宣言(静かなる)

京都市が独立を宣言した。

いや、正確には宣言などしていない。

市長は記者会見で、ただ一言こう述べただけだった。

「そろそろ、昔の形に戻させてもらいます」

その言葉に、記者たちは一瞬沈黙した。誰も「何の形か」と聞き返さなかった。空気が、すでに答えを知っていた。

翌朝、永田町の国会議事堂に一通の封書が届いた。差出人は京都市長。便箋には、筆で丁寧にこう書かれていた。


日本国様 長らくのご滞在、ありがとうございました。


それだけだった。

午後になると、京都府と京都市の境界に、ひっそりと木の看板が立てられた。金色に輝く文字でこう書いてある。

「ここより先は、千年都」

自衛隊も、警察も、税務署も、誰も近づかなかった。なぜか誰も「違法だ」と叫ばなかった。まるで、ずっと前からわかっていたことのように。

三日後、テレビのニュースはこう報じた。

「京都市、事実上の独立状態に。政府は『話し合いを続けたい』とコメント」

しかしその頃、鴨川のほとりではもう、平安時代の装束を着た若い男女が、堂々と「今様の舞」を踊っていた。彼らは笑いながら言った。

「もう、令和は終わったんやで」

一方、東京では誰もが妙に納得していたという。

「ああ、結局、京都は帰ったんやな……

 

0 件のコメント:

コメントを投稿