2025年11月24日月曜日

分かりやすく論理学を理解する

分かりやすく論理学を理解する ――せめて命題論理だけは…―― 0. つかみ:「論理的に考えろ」と言われたこと、ありませんか? ネットでも職場でも、みんなわりと気軽にこう言います。 「それ、論理的じゃないよね」 「私は論理的に考えてるつもりですけど?」 「ファクトとロジックで話そう」 …ところが、**「じゃあその“論理”って、厳密には何?」**と聞かれると、説明しにくい。 フェイクニュースとファクト 正義論とその“脱構築” マウント合戦の「俺のほうが論理的」アピール こういう場面で、大学教養レベルの命題論理だけでも知っていると、冷静に状況を整理したり、変な議論に巻き込まれたとき身を守れたりします。 (もちろん、悪用すれば“論理の殴り合い”で人を追い詰めることもできてしまうので、その意味でも「どういう武器なのか」は知っておいたほうがいい。) この記事はあくまでやさしく・親しみやすくをゴールにして、 命題論理って何をやる学問なのか よく出てくるルール(MP, MT, A, CP, ∧・∨のルール、背理法)がどういう「技」なのか を、なるべく“日常のエピソード”と一緒に見ていくものです。 1. 論理学ってそもそも何をする学問? 一番ざっくり言えば、 真なる前提から真なる結論を、ルールどおりに引き出すにはどうしたらいいか? を研究する学問です。 前提:いくつかの命題(文) 結論:別の命題 それらを結ぶのが推論のルール ここでポイントなのは: 前提が本当に真かどうかは論理学の仕事ではない 科学なら実験が決める 史学なら史料批判が決める 政治なら価値観と事実認識の問題 論理学の仕事は: 「もし前提が真だとしたら、そのルールに従って導いた結論は必ず真になる(はずだ)」 という**“形”の正しさ(妥当性)**を見ること つまり、 「前提が全部真で、 推論もルールに従っていて、 結論も真だった」 こういう論証を**健全(sound)**と言う。 ここまでが論理学の“守備範囲”のコアです。 2. 命題論理の登場人物 命題論理で扱うのは、ひとまず**「真」か「偽」かだけわかればいい文**です。 例: 「私は人間である」 → 命題 「今日は雨が降っている」 → 命題 「亀が頭に落ちてくる」 → シチュエーションは謎だが、やはり命題 これらを記号で A, P, Q, R… と書きます。 そして、命題どうしをつなぐ**記号(論理記号)**をいくつか導入します: 否定  :¬P …「Pではない」 かつ  :P ∧ Q …「P かつ Q」 または :P ∨ Q …「P または Q」 条件文 :P → Q …「もし P ならば Q」 この4つが分かれば、命題論理の8割くらいはもう理解したも同然です。 3. 代表ルール1:肯定肯定式(Modus Ponens, MP) 3-1. 形だけ書くとこう MP(肯定肯定式) 𝑃 ,    𝑃 → 𝑄    ⊢    𝑄 P,P→Q⊢Q 前提1:P 前提2:もしPならQ(P→Q) 結論:Q 3-2. 変な例であえてやってみる P:「亀が頭に落ちてくる」 Q:「私は人間である」 とすると、 「亀が頭に落ちてくる」 「亀が頭に落ちてくるなら、私は人間である」 だから 「私は人間である」 …と、証明としては妙にシュールですが、論理的には完全に正しい。 「いやそんなの“論理的”じゃない!」 というツッコミは、 “現実的”ではないという文句であって、 論理学的には文句を言えない、というところがミソです。 MPは、「もし〜ならば〜」が本当で、しかも前件が本当なら、後件も認めざるをえない、という**ごく基本の“技”**です。 4. 代表ルール2:否定肯定式(Modus Tollens, MT) MT(否定肯定式) ¬ 𝑄 ,    𝑃 → 𝑄    ⊢    ¬ 𝑃 ¬Q,P→Q⊢¬P 前提1:Qではない(¬Q) 前提2:もしPならQ(P→Q) 結論:Pではない(¬P) 具体例: P:「亀が頭に落ちてくる」 Q:「私は人間である」 とすると、 「私は人間ではない」(¬Q) 「亀が頭に落ちてくるなら私は人間である」(P→Q) だから 「亀は頭に落ちてこない」(¬P) これは対偶の形と同じで、「もしPならQ」「Qでない」なら「Pではない」という、これも非常に基本的な“技”です。 5. 仮定の規則(A)と条件的証明(CP) ――「もしもボックス」で“ならば”を作る 5-1. 仮定の規則(Rule of Assumptions, A) どんな命題でも、いったん“仮の前提”として使ってよいというルールです。 「とりあえず P だと“仮に”してみたらどうなるか?」 というお試しを始めるスイッチだと思ってください。 ドラえもんの「もしもボックス」みたいなものです。 5-2. 条件的証明(Conditional Proof, CP) Aで開いた「もしもボックス」をきれいに閉じて、 「Pと仮定したらQが出てきたから、  “もしPならQ”と言ってよい」 とまとめるルールです。 5-3. 風が吹けば桶屋が儲かる(P→Q, Q→R ⊢ P→R) 日常例でいちばん分かりやすいのは、連鎖の証明です。 P:風が吹く Q:土ぼこりが舞う R:桶屋が儲かる 前提: もし風が吹けば、土ぼこりが舞う。 (P→Q) もし土ぼこりが舞えば、桶屋が儲かる。 (Q→R) 結論として示したい: もし風が吹けば、桶屋が儲かる。 (P→R) 証明(ざっくり) P→Q (前提) Q→R (前提) P と仮定する(A) P→Q と P から Q が出る(MP) Q→R と Q から R が出る(MP) 「P を仮定したら R が出た」ので、 P→R と結論してよい(CP) ここでの流れを一言で言えば、 Aで「もしもPの世界」を開き、 その世界の中でQ→RとつなげてRまでたどり着き、 CPで「じゃあP→Rだね」と世界を閉じる。 AとCPは、“ならば”を新しく作るための二人三脚です。 5-4. もうひとつの例:(P∧Q)→(Q∧P) 「PとQが両方成り立つなら、順番を入れ替えたQとPも成り立つ」 感覚的には当たり前ですが、これもAとCPで書けます。 P∧Q を仮定(A) そこからPとQを取り出す(∧除去) QとPをまとめてQ∧Pを作る(∧導入) 「P∧Qを仮定したらQ∧Pが出た」ので (P∧Q)→(Q∧P)(CP) 6. 「かつ」と「または」のルール 6-1. 連言「かつ」(∧) P∧Q …「P かつ Q」 ∧導入(∧I) 𝑃 ,    𝑄    ⊢    𝑃 ∧ 𝑄 P,Q⊢P∧Q 「P も Q も真なら、P∧Q も真」 ∧除去(∧E) 𝑃 ∧ 𝑄    ⊢    𝑃 や 𝑃 ∧ 𝑄    ⊢    𝑄 P∧Q⊢PやP∧Q⊢Q 「P∧Q が真なら、その中身のそれぞれも真」 これはほとんど直感そのままです。 6-2. 選言「または」(∨) P∨Q …「P または Q」 ∨導入(∨I) 𝑃    ⊢    𝑃 ∨ 𝑄 P⊢P∨Q P が真なら、「PまたはQ」も真(Qがどうであれ) 例: 「私はコーヒーを飲んでいる」 から 「私はコーヒーか紅茶のどちらかを飲んでいる」 という“盛った言い方”が常に真になる、というイメージ。 6-3. 選言除去(∨E)=場合分けの技 これだけ少し形がややこしいですが、**やっていることは「場合分け」**です。 前提: P∨Q P から R が導ける Q からも R が導ける 結論: R といった形: 𝑃 ∨ 𝑄 ,    [ 𝑃 ] ⋮ 𝑅 ,    [ 𝑄 ] ⋮ 𝑅    ⊢    𝑅 P∨Q,[P]⋮R,[Q]⋮R⊢R 例:雨でも雪でも道路は濡れる P:雨が降っている Q:雪が降っている R:道路が濡れている P∨Q … 「今日は雨か雪が降っている」 P→R … 「雨なら道路は濡れる」 Q→R … 「雪なら道路は濡れる」 すると、 雨の場合(P)でもR 雪の場合(Q)でもR だから、 「結局どっちにしても道路は濡れている(R)」 と言ってよい。 これが**選言除去(∨E)**です。 イメージとしては、 Y字路のどっちの道に行っても、最後は同じ地点に合流する という構造です。 7. 背理法(RAA):あえて相手に乗っかってみる技 背理法(reductio ad absurdum, RAA)は、 「証明したい命題Pの否定(¬P)をわざと仮定し、  そこから矛盾が出たら、その仮定を捨ててPを採用する」 という二段構えの技です。 7-1. ミステリードラマ型の例 P:「彼は犯人である」 Q:「犯行時刻に現場にいた」 前提: もし彼が犯人なら、犯行時刻に現場にいたはずだ。 (P→Q) しかし彼はその時間、現場にはいなかった。 (¬Q) 示したい結論: 彼は犯人ではない(¬P) 背理法でやるなら: P→Q(前提) ¬Q(前提) あえて P を仮定(「彼は犯人だとしてみよう」) すると Q が出てくる(MP) Q と ¬Q から矛盾 ⊥ 「P を仮定すると矛盾が出る」ので、 P は間違い → ¬P が正しい(RAA) 要するに、 「百歩譲って、あなたの言う通りだと“仮に”してみましょう。  …ほら、おかしなことになるでしょ?」 という知的なツッコミ技です。 7-2. いちばん素朴な例:¬¬P ⊢ P 前提:¬¬P(Pでない、ということは成り立たない) 結論:P 背理法の型どおりにやると: ¬¬P(前提) ¬P を仮定(A) ¬¬Pと¬Pは両立しない → 矛盾 ⊥(否定除去) よって仮定 ¬P を捨てて P(RAA) 「二重否定から元に戻る」というルールを、背理法で証明している形です。 8. ここまでで実は命題論理の主要な“技”は出揃っている 少し息をついて眺め直すと、出てきたのは: 基本の論理記号 否定 ¬ かつ ∧ または ∨ ならば → 代表的な推論ルール MP(肯定肯定式) MT(否定肯定式) ∧導入・∧除去 ∨導入・∨除去(場合分け) 仮定の規則(A) 条件的証明(CP) 背理法(RAA) **これくらいで一度止めておけば十分“教養としての論理学”**になります。 もちろん、本気の論理学では、 述語論理(「すべての〜」「ある〜」) 完全性定理や無矛盾性 直観主義論理や多値論理 計算機科学や圏論との接点 など、いくらでも先がありますが、それは興味が出てからで大丈夫です。 9. なぜ命題論理だけでも知っておくと得なのか? 少なくとも、こんな場面で役に立ちます。 変な論法に引っかかりにくくなる 「結論が気に入らないから前提を叩く」 「前提と関係ないことを次々持ち出す」 こういうものを**“論理的に”怪しい**と自分で判定できる。 フェイクとファクトの切り分けの一部を“機械的”にできる 事実認定そのものは別問題としても、 「この人の話は、もし前提が真なら、ちゃんと結論も付いてくるか?」 をチェックする目が養われます。 自分が書く文章・話す内容が、変なところで自爆しにくくなる 自分で自分の論を“査読”するイメージです。 論文査読ほど厳密でなくても、 「前提→推論→結論」の流れをざっくり検査できるのは大きな強み。 詐欺や“レトリックだけ”の論争に対する防御壁になる きれいなレトリックに乗せられても、 「ところでそのステップ、本当にMPになってる?」 と一歩引いた視点で見られるようになります。 10. おわりに:論理は“全部”ではないけれど、知らないと損 もちろん、人間は論理だけでできているわけではありません。 感情 信頼 空気 文化・歴史・物語 こうしたものが、むしろ人間社会を支えている部分も大きいでしょう。 それでもなお、 「最低限、命題論理のレベルで自分の頭をチェックできる」 というのは、現代を生きるうえで悪くない知的たしなみだと思います。 大学の教養課程として 哲学や現代思想、大乗仏教を読むための基礎として ネット時代の“フェイクとマウントの海”を泳ぐためのイージスとして 「せめて命題論理だけでも…」というタイトルには、そんな願いを込めました。

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