2025年11月24日月曜日
分かりやすく論理学を理解する―せめて命題論理だけは…
分かりやすく論理学を理解する―せめて命題論理だけは…
・せめて“論理的”であろう
論理の「論」も「理」も「論理」も「理論」も西洋のロゴスと結構関係があります。
ロゴスは単にロジックのみならずいろんな学問や理論西洋語で「~ロジー」とついていますから論理を知っておくと現代哲学解説(小生のライフワーク)のみならずいろんなところで役に立つと思います。
「正しさ」「正義」「フェイク」「ファクト」こういったもの、特に「正義論」とか「正義の脱構築や相対化」は海外の日本ブームや日本論、日本人論でも最近はよく語られるところです。
また「フェイク」や「ファクト」というのも現代のトピックでしょう。
昭和・平成の名コラムニストの山本夏彦氏は「人皆飾って言う」「社会主義は正義」みたいな名言を繰り返し使っています。
人間は何かマウントを取りたがりたくなることはしばしばあります。
また自分が論理的で正しいことを言っている、書いているとかいう人も多いです。
ただ論理もいろいろ広い意味があるのでいわゆる「論理学」に基づいているのでなくてもいいのかもしれませんが多分知っていた方がいいでしょう。
文章読んだり言説きいたりしたときにフェイクもファクトも論理学レベルでチェックできる場合も多いです。
またきちんとした同じルールで論議しようとすればせめて大学教養レベルの命題論理(述語論理は命題論理が分かればすぐわかる)くらいは知っていた方がいいと思います。
そもそもルールや前提が違うことが最初から分かっていれば議論や論議する必要すらなくお互い無関係に自分の主張をおのおの別の相手に別にしていればいいだけです。
論争する必要がなくなるので争いが減っていいことでしょう。
また政治的な使い方をしたければ揚げ足取りというか相手の論理は単をついて攻めることができる場合があるほか、論理的に正しいことで強い論説、時にはみんなのマウントを取るような言説を書いたり話したりすることもできます。
めちゃめちゃ役に立ちます。
・論理学とは何か
では早速論理について解説していきましょう。
一番一般的に使われる論理の解説をします。
論理にもいろんな意味でいろいろあります。
大学の初等教養課程で学ぶような論理学の命題論理だけ解説します。
そもそも論理学というのは真なる前提から真なる結論を出すことを研究する学問です。
前提とか結論とは何かというと命題から成り立っています。
多くは前提は複数あってそれから決まったルールに従って結論を出します。
・論理学のルールとは何か
このルールがまずはっきりしていないといけません。
言説作成の際に使うルールがマイカ違うと同じ前提から異なる結論、また真偽が逆の結論が出ることが出る恐れがあります。
前提が真であるということはその前提が複数の命題からなるのであればその全ての命題が真であるということです。
1回のプロセスでは1つの結論を出せれば分かりやすいので結論は一つの命題でなることが多いと思います。
同じ前提からいくつかの結論が出る場合もそれは結論ごとに別々の論証を行ってそれぞれの結論の命題を出せばよいでしょう。
我々が論理学を使う時も真なる前提から真なる結論を出すように言説を組み立てるために使います。
真とか反対に偽とは何か?という議論はあるかもしれません。
一番最初の論理学の適用の際に与えられた前提が真か偽かは誤解おそれずはっきり言えば論理学の問題ではありません。
前提が真か偽か分からないときは真と仮定してルールを適用して適用が導かれてそれが真であればその論証自体は間違いではありません。
この場合前提が真か偽かを決めるのは論理を行うしてもいいのですが他の誰かが補償したり決めてくれてもいいし、自然科学なら他の科学者が実証したり理論的に導いてくれればいいことでその論理を行う人の責任ではありません。
論理を行う人は論理学のルールにきちんと従ってさえいれば間違った論証は行っていません。
そういう意味では論理学は論理のルール、論証のルールを決めてそれが正しいかを考えること、そしてそのルール適用の妥当性や形式的間違いのなさだけを学問対象にするものです。
・論理学の使い方、論証と証明
論証というのは前提からどんな命題が導き出されるのかというものです。
この場合は結論の形は分かっていません。
ただ論理学的に正しいルールに従って前提の命題から何らかの命題が導き出されればそれは真である命題であり真である結論である、というように論理学のルールを作る必要があります。
どういうルールを作るか、そのルールが論証による結論の正しさを保証するのかを研究するのも論理学の研究の一分野です。
・論証とはちょっと違う証明
証明は前提と結論が最初から分かっているものです。
もちろんどっちも真と仮定して前提から結論の命題を導き出せるか、あるいはそういうプロセスが提示視されていた場合それが正しいかを査定する過程です。
査定とは何かというと例えば論文の「査定」は、論文を学術雑誌に掲載するために、同じ分野の専門家である「査読者」(レフェリー)が内容の妥当性、新規性、信頼性などを評価・審査するプロセスを指します。このプロセスを英語で「peer review(ピア・レビュー)」と呼びます。査読は学術雑誌の信頼性を保つための重要な工程であり、この査読を通過することが掲載への最大の関門となります。
論理の査定も一緒です。
・命題論理のルールを挙げていく
命題のルールはいくつもありますが無限にあるわけではありません。
それらを挙げていきましょう。
その前にちょっと注意しておくと別にルールはそんなにたくさんある必要がありません。
標準系という論理ルールを使えば「かつ」「または」「~でない」みたいな3つのルールだけで論理のルールは構成できます。
さらにド・モルガンの法則みたいなのを使えば「かつ」か「またか」をなくして2つにまで減らせます。
コンピュータの論理回路は多分2つくらいのルールしか使っていないのではないでしょうか。
また別の観点でいうとある種のルールを認めないとか別のルールを認めるなどのルールが異なる別の論理学を作ることもできます。
例えば普通に習う論理学から排中律や背理法を除けば直感主義論理学というまた異なる論理学を作れます。
これは圏論とかトポスなどの数学好きの方なら聞いたことがあるかもしれませんし、情報科学とかコンピュータ関係を触っている人も知っている人もいるかもしれません。
普通にならう論理学がラグビーなら直感主義論理学はサッカーみたいなものです。
あるいはサッカーとラグビーを逆にしてもいいかもしれません。
違うスポーツなのでサッカーのチームとラグビーのチームが試合をすることがないように、両方の論理学はきちんと使い分けないといけません。
では普通の命題論理のルールを一つずつ紹介していきます。
・二重否定のルール
2回否定すると元に戻るというものです。
「私は人間でない、ということはない」という命題は「私は人間である」という命題とな時である、みたいなルールです。
近代論理学は19世紀のブールやフレーゲの時代から記号論理学ですので記号で表してみましょう。
命題はAみたいな感じできごうかします。
例えばAは「私は人間である」になります。
「~でない」を記号-で表しましょう。
-Aは「私は人間でない」になります。
--Aは「私は人間でないことはない」見ないな感じになります。
ここで前提から結論を導く記号を「⊢」としましょう。
すると二重否定のルールは以下の様なものになります。
――A⊢A
これは2回否定すると元に戻るとなります。
ついでに逆も成り立ちます。
A⊢――A
数学でいえば必要十分といった感じでしょうか。
圏論でいえば忠実で十分な、みたいな感じです。
大切なのはAがこれは前提――Aが真である場合Aが真であること、2つ目はAが真である場合――Aが真であることを保証していますがそれ以外の場合は何も述べていないことです。
例えば前提が真である場合結論が真であることは論理学では分かるのですが前提が偽である場合には結論が真であるか偽であるかは何も言えないことです。
逆に結論が真であれば前提が真であるとか結論が偽であれば前提がいくつかあるかも命題の少なくとも1つは偽であるものがあることになります。
まとめると以下の様になります。
妥当な論証では、「前提がすべて真なら、結論も真である」。
したがって、妥当な論証で結論が偽であるような状況では、
前提がすべて真であるということはありえない(どれかは偽である)。
しかし逆に、「結論が偽だから前提が真だ」とは全く言えない。
むしろ「結論が偽なら、その論証は健全ではない(前提が全部真ではないか、そもそも妥当でないか、その両方である)」と言うのが正しい。
命題論理のMT(modus tollens)の話とは違って、
ここでの「対偶」はオブジェクトレベルの命題の対偶ではなく、
「妥当性」というメタレベルの性質に対する対偶になります。
・排中律
二重否定率でかなりいろいろ説明したと思うのでサクサク行きましょう。
ポイントになりそうなことがあればその都度説明します。
排中律は、
「私は人間である」か「私は人間ではない」
のどちらかは常に成り立つというものです。
このまんなかの「か」ということばは「または」というという論理記号として∪として表しましょう。
「私は人間である」をAとすると「私は人間ではない」は-Aとなります。
そこで記号で書くと以下の様になります。
A∪-A
これ自体がAが真であろうが偽であろうが常に成り立つという特別な命題になります。
還元すると普通の論理学ではA∪-Aが偽になるようなことは認めません。
こういう常に芯になる論理式を恒等式(トートロジー)と言います。
・選言「または」(∪)
上で出てきたので∪について書いておきます。
これはルールというより命題から命題を作るための記号のようなものになります。
つまり上のAも命題ですがそれから記号-と∪によって作られる
A∪-A
自体も命題になります。
命題を記号で組み合わせて新たな命題を作るのでこれを論理式といいます。
「または」があるということは「かつ」もあります。
・連言「かつ」(∩)
AとBという命題があってAかつBを言いたいときには
A∩B
と表します。
これは恒等式(トートロジー)ではありません。
A∩BはAとBの両方が真であるときのみA∩Bも真になります。
AかBのどちらかが真でない場合、あるいはAもBも真でない場合はA∩Bは常に偽です。
同じように∩を∪にかえて、
A∪B
を考えてみましょう。
これはAかBのどちらか1方が真であればA∪Bも必ず真になります。
A∪Bが偽になるのはAもBも偽である場合のみになります。
・条件法「~ならば」(conditional)
論理学と言えば「~ならば」でしょう。
これは「→」という矢印を使って表すことにします。
矢印というのはなかなか大切な記号です。
ほとんど矢印だけで出来ている圏論みたいな数学もあるくらいです。
いっそのこと∪を↓、∩を↑として命題を繋いで命題式を繋ぐ記号を全部矢印にしてしまうこともいいと思うのですが皆さんどのように思われるでしょうか?
ちなみに逆向き矢印は「の場合にのみ」みたいなのを扱います。
条件という言葉を使うなら必要条件と十分条件で矢印の付け根を十分条件、向かう先を必要条件と言ったりします。
両向き矢印「↔」は必要十分条件となります。
ちなみにこういう記号法は多分教科書や人によって異なります。
学問分野においては統一されている場合もあるかもしれませんが数学においては曖昧なのではないでしょうか?
多分数学系というか理系の癖として自分で記号を作ってしまう傾向があるような気がします。
私は論理学の教科書を何冊か読みましたが一番繰り返し読んだ本では∩は&、∪はvの記号が使われていました。
記号だけではなく名称もそうです。
例えば条件ではなく含意とか別の言葉を使う教科書もあるでしょう。
要するに好きなものを使えばいいのではないでしょうか?
・肯定肯定式「modus ponendo ponens(MPP)」
これは記号的にはさっき導入した条件法の→を使って以下の様に書きます。
P、P→A⊢A
という形になります。
前提がすべて真なら結論も真になるというのが論理学です。
この場合前提が真であるということはP、P→Aが真であるということになります。
これはPもP→Aも両方真であるということです。
前提が複数の命題からなる場合、その複数の命題の全てが真であるということが前提が真であるということになります。
例えばPを「亀が頭に当たる」としましょう。
訳が分からない命題ですが別に文として間違っているわけではありません。
また古代ギリシアには空から降ってきた亀が頭に当たって死んだ哲学者もいた(と記憶している)ので現象として必ず起こらないこととは限りません。
とするの上記の記号式を言葉に変えてみると以下の様なものになります。
前提①「亀が頭に落ちてくる」
前提②「亀が頭に落ちてくるなら私は人間である」
この2つの前提から以下の結論が導き出せる。
結論「私は人間である」
意味不明というかイメージが思い浮かべにくいシチュエーションですね。
ただイメージしようとすればイメージできないわけでもありません。
情景はイメージできても意味は不明だし「そんなの論理的じゃないじゃないか」という人がいるかもしれません。
何となくふわっと論理という言葉や論理を思い浮かべている人にはこれは自然な感想であったり発現であったりするでしょう。
ただ厳密にはこういうのは「論理的」とはいわず「現実的」というのがよいかもしれません。
この論証でも証明でもいいですが上の論理式は論理的には必ず成り立ちます。
必ず成り立つと決めているルールがあるからです。
それを「肯定肯定式(MPP)」と言います。
形式的に正しいか、妥当であるかが論理学では大切です。
国語力的な意味読解力は論理的とは必ずしも関係しないし、むしろ非論理的な場合もあります。
Pが「亀が頭に落ちてくる」ではなく「私は日本人である」ならばすんなり頭にはいってきて、納得もしやすい人も多いでしょう。
ただ論理学とか論理的というのはそういうものではありません。
これが社会一般で「論理」という言葉を使う人や論理的とされる言説と言われるものがきちんと論理学を勉強した人にとっては胡散臭い理由にもなります。
ということはやや辛辣にも皮肉にもなってしまいますが世の中というものは論理学が分かっていない人が多いので論理という言葉を嘘の意味で使って人をだます集団で構成される詐欺師たちの社会のようなものと見ることもできます。
このような世の中の風景を指して現代思想家のボードリヤールや非現代哲学的な一般的な世界をシミュレーション、シミュラークルと呼びました。
シミュレーションはサッカーファンでおなじみのインチキプレーのことです。
逆にそんなんでも世の中うまく成り立っているということはすごいことでもあります。
世の中は非論理的なそれでもある程度の人間社会の秩序を保つ「論理」以外のいろいろな仕組みが働いているからそれなりにまとまって機能していると言えるという見方もできます。
逆に何かまとめるものがないと人の世がまとまらないという考え自体が自明でなかったり、現段階で人の世は十分にまとまってないという見方もできますが。
・否定否定式「modus tollendo tollens」(MTT)
MPPが出たのでちょっと似た感じのMTTにも開設しておきます。
これは以下の論理式で記号的に表せます。
―A、P→A⊢-P
というものです。
これを見ると理系の学生さんなら「対偶」という言葉を思い浮かべる人もいるかもしれません。
例によって言葉にしてみましょう。
前提①「私は人間ではない」
前提②「亀が頭に落ちてくるなら私は人間である」
この2つの前提から以下の結論が導き出せる。
結論「亀は頭に落ちてこない」
というラッキーでハッピーな結論が導き出されます。
人間の頭に亀が降ってきたら人間にも亀にも不幸でしょうし。
・仮定の規則「rule of assumptions」(A)
どんな命題も仮定として前提に導入してよいというルールです。
仮定は仮定としてどんな仮定でもとっていいのです。
ただしそれを前提としての論証、証明(この2つは構成的あるいは証明的なものとして別の意味があるがここでは同じように扱うこととする)によっては仮定のままで結論に残る場合もあります。
場合によってはこの導入した仮定は一切論証と関係ないかもしれません。例示しましょう。
(1) P、P→A
(2)P,P→A、B ここでBは仮定の規則で導入された新たな命題で新たな前提が一つくわかる。
(3)A、B ここではMPPを使う
(4)P、P→A⊢A、B(ただし仮定規則(A)がのこっているのでBは結論に残りっぱなし。
この論証におけるBの意味がありません。
このように好きな仮定は好きに導入できるのですが論理的には意味のないものになります。
・条件的証明「rule of conditional proof」(CP)
上の仮定のルール(A)の無意味な運用を有意義にするためのルールでありかつ結論にならば(→)を導入するためのルールです。
この過程で導入した仮定を消してしまうことができるのがいい所です。
仮定はようするにドラえもんの「もしもボックス」みたいなもので導入しようとすればなんでもどれだけでも導入できますが導入するだけでは単に想像力豊か以上の意味がありません。
まあ想像力豊かなことは大切なことではありますが。
最初にまとめるとAとCPは以下の様な関係になります。
• **仮定の規則(A)**は、「ある命題を仮に前提としてよい」というルールであり、
その仮定のもとで何が導けるかを調べるために使われる。
• **条件的証明(CP)**は、「仮定 A から出発して B を導けたなら、その仮定を外して A→Bを結論してよい」というルールである。
**「仮定の規則(A)」と「条件的証明(CP)」**の関係を、最も直感的に理解できる「三段論法(推移律)」を使った論証で解説します。
この二つはセットで使うことで**「『もし~ならば』という結論(条件法)を導くためのテクニック」**として機能します。
テーマ:風が吹けば桶屋が儲かるのか?(連鎖の証明)
もっとも分かりやすいのは、「A→B」「B→C」から「A→C」を導くパターンです。
前提1: もし「風が吹く」ならば、「土ぼこりが舞う」。 ($P \to Q$)
前提2: もし「土ぼこりが舞う」ならば、「桶屋が儲かる」。 ($Q \to R$)
証明したい結論: もし「風が吹く」ならば、「桶屋が儲かる」。 ($P \to R$)
この結論(~ならば、~だ)を導くために、**一時的な「仮定の世界」**を作って検証するのがポイントです。
________________________________________
論証のステップ(フィッチ・スタイル風)
記事に掲載する際は、以下のように**「仮定の有効範囲(サブ・プルーフ)」**を視覚的にインデント(字下げ)や縦線で表現すると、読者に伝わりやすくなります。
行 命題 根拠・注釈
1 $P \to Q$ 前提(風→ほこり)
2 $Q \to R$ 前提(ほこり→桶屋)
--- ここから「仮定の世界」 ---
3 $P$ 仮定の規則 (A)
(とりあえず「風が吹いた」としてみよう)
4 $Q$ 前提除去 (MP): 1と3より
(風が吹いたから、ほこりが舞った)
5 $R$ 前提除去 (MP): 2と4より
(ほこりが舞ったから、桶屋が儲かった)
--- ここで「仮定の世界」終了 ---
6 $P \to R$ 条件的証明 (CP): 3-5より
($P$ と仮定したら $R$ になったので、「もし $P$ ならば $R$」と言える)
________________________________________
解説のポイント
記事で説明される際は、以下のニュアンスを添えると分かりやすいでしょう。
1. 仮定の規則(Rule of Assumptions: A)=「お試し」
役割: まだ真か偽かわからないけれど、**「試しにそうだとしてみよう」**と話を始めるための規則です。
ポイント: 上の表の行3です。ここで論証は現実から離れ、「仮定の世界(インデントの中)」に入ります。ここで導入された $P$ は、あくまでこの枠内でのみ有効な「仮の真実」です。
2. 条件的証明(Rule of Conditional Proof: CP)=「まとめ」
役割: 「お試し(仮定)」の結果どうなったかを報告し、仮定の世界を閉じて現実に戻るための規則です。
ポイント: 上の表の行6です。「$P$ を仮定してスタートしたら、最終的に $R$ にたどり着いた」という**一連の流れ(行3から行5)**をパッケージ化して、「ならば、もし $P$ ならば $R$ である ($P \to R$)」という一つの命題として確定させます。
まとめ:
「仮定 (A)」で風呂敷を広げ、「条件的証明 (CP)」で風呂敷を畳む。このセットによって、「もし~ならば」という新しい法則(結論)を証明することができます。
・AとCPは分かりにくい
AとCPは分かりにくいのでもう一つ礼を示します。
別の例として以下を挙げます。
**条件的証明(CP)**と
**仮定の規則(A)**を両方はっきり使う、できるだけシンプルな論証として、
(P∧Q)→(Q∧P)
を証明する例を作ります。
直感的には「PとQが両方成り立つなら、その順番を入れ替えたQとPも成り立つ」というだけの話なので、
内容としてはとても分かりやすいです。
この証明の中で:
最初に「P∧Q」を仮定するところ → 仮定の規則(A)
その仮定から「Q∧P」が導けたので、仮定をはずして「(P∧Q)→(Q∧P)」とするところ → 条件的証明(CP)
という形になっています。
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2. 自然言語バージョン(直感的説明)
「もし P∧Qならば Q∧P」を示したい。
そこで、いったん仮に「P∧Q が成り立っている」と仮定する(A)。
その仮定のもとでは、「Pも成り立つし、Qも成り立つ」。
つまり、P∧Q から、P と Q を一つずつ取り出せる。
すると、今度は Q と P を結び付けて Q∧Pが成り立つと言える。
ここまでの議論は、「P∧Q を仮定した場合」に Q∧Pが言えている。
だからこの仮定を外して、
「もし P∧Qならば Q∧P」
すなわち (P∧Q)→(Q∧P)が成り立つと結論できる(CP)。
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3. 記号論理+推論規則ラベル付きの論証
Fitch風に、規則名を明示して書くとこうなります。
目標:⊢(P∧Q)→(Q∧P)
1 | [1] P ∧ Q A (仮定 rule of assumptions)
2 | P ∧E, 1 (かつ除去:1からPを取り出す)
3 | Q ∧E, 1 (かつ除去:1からQを取り出す)
4 | Q ∧ P ∧I, 2,3 (かつ導入:2と3からQ∧P)
5 | (P ∧ Q) → (Q ∧ P) CP, 1–4 (条件的証明:1の仮定から4を得たので仮定をはずす)
それぞれのステップの意味
1行目:A(仮定の規則)
ここで「P∧Q」を仮定して、小さな“もし〜ならば”の世界を開いている。
これは「P∧Qが本当に真だ」と言っているのではなく、
「P∧Qだとしたら、その前提のもとで何が言えるかを調べるための仮の前提」
を導入しているだけ。
2行目・3行目:∧E(かつ除去)
仮定した P∧Q から、P と Q を一つずつ取り出す操作。
4行目:∧I(かつ導入)
2行目と3行目から、Q と P をまとめて Q∧Pを得ている。
5行目:CP(条件的証明)
行1の仮定「P∧Q」から出発して、行4で「Q∧P」が導けた。
したがって、「もしP∧QならばQ∧P」が成り立つ、と結論できる。
このとき行1の仮定は閉じられ/解消され(discharge)、
全体として (P∧Q)→(Q∧P)という条件文になる。
________________________________________
繰り返しになりますがAとCPはやや分かりにくいと思われるので繰り返しますが一言でまとめるなら
**仮定の規則(A)**は、「ある命題を仮に前提としてよい」というルールであり、
その仮定のもとで何が導けるかを調べるために使われる。
**条件的証明(CP)**は、「仮定 A から出発して B を導けたなら、その仮定を外して A→Bを結論してよい」というルールである。
たとえば (P∧Q)→(Q∧P)を証明する際には、
まず A によって P∧Qを仮定し、その仮定から Q∧Pを導く。
その後、CP によって仮定を解消し、「もし P∧Qならば Q∧P」という条件文を得る。
ということになります。
・連言「かつ」conjunction:∩と選言「または」disjunction:∪
「かつ」と「または」はベン図でおなじみです。
弁図以外でも初等教育や人文系の強化でも普通に習うのではないでしょうか。
これらを改めて説明するのは野暮なのでこれらにかかわる論理学のルールについて紹介して説明します。
それぞれ∩の導入と除去、∩もまた導入と除去のルールがあります。
つまりこれらだけで4つのルールがあります。
いい加減多いなと思うかもしれませんがここまで来たらもうすぐです。
これが終われば最後に背理法のルールだけ説明して終わりますので頑張りましょう。
あるいは頑張らなくてもこれら4つのルールは簡単です。
唯一ちょっとややこしいのは∪の除去のルールだけです。
そして背理法はもう皆さんご存じなのではないでしょうか?
ということであとちょっとです。
・∩-導入「∩I」(∩ introduction)
これは普通に自然言語で考えた方が分かりやすいでしょう。
∩は「かつ」はです。
これはAとBという命題があった場合、どっちも真でないと導入できません。
それを記号であらわすとこうなります。
P、Q⊢P∩Q
です。
これは「PもQも真ならPかつQも真であることは確実に結論できる」ということになります。
逆に言えばPが偽であったりQが偽であったりPもQも偽である場合には確実にPかつQは偽になるということです。
これを証明するのにさっきのA(仮定のルール)おを使います。
(1)P (Pが真ということをルールAで仮定する)
(2)Q (Qが真であるということルールAで仮定する)
(3)P∩Q ((1)(2)からPもQも真なので∩IでP∩Qが導かれる)
ほとんど自明と言ってもいいのですが形式的に論理式の形で表現しそれを証明、論証するとこうなります。
これは構成的とみてもらってもいいですし証明的とみてもらってもいいです。
・∩除去「∩E」(∩elimination)
これも意味的には自明です。
まあ意味的に自明だと論理学の形式主義と混戦するので余計分かりにくいと言えるかもしれませんが。
記号で書くと
P∩Q⊢P
となります。
P∩Q自体を前提とすればP∩Qが真の場合はPとQが同時に真の場合しかありませんので自明です。
記号で書くと
(1)P∩Q AルールでP∩Q自体の真を仮定
(2)P (1)に∩Eを適用
という形になります。
P∩Q⊢Q
も同じです。
・∪の導入「∪I」(∪introduction)
これもそのまんまという感じのルールです。
記号では
P⊢P∪Qとなります。
P∪Qという∪で結ばれる命題はどれだけの命題が∪で結ばれていてもその中のどれか一つだけが真であれば必ず成り立ちます。
P∪Q∪R∪S∪T∪Uという命題であればP、Q、R、S、T、Uのどれか一つだけが真であれば成り立ちます。
逆の言い方をすればこの命題はこのP、Q、R、S、T、Uの5つの命題の全てが偽である場合にだけ成り立ちません。
しかし1つ以上真であるものがあれば成り立ちます。
最初に真である命題が1つだけわかっている場合にはそれとどんな命題をいくつ繋いでもその命題は真になります。
・∪の除去「∪E」(∪elimination)
これだけちょっとややこしくなります。
ややこしい理由は一番簡単な図式で示しますが前提と違う記号が出てきてしまうからです。
かんたんに言葉で説明すると「選言除去(∨E)は、「P∨Q」という選言が与えられ、
「P を仮定した場合にも R が導け、Q を仮定した場合にも R が導けるとき、
結論として R を主張してよい」という規則である。
典型例として、前提 P∨Q,P→R,Q→Rから R を導く証明が挙げられる。」という形になります。
たとえ話で説明すると選言除去の本質は、日常用語で言う**「場合分け(ケーススタディ)」**です。「AかBのどっちかだ」と言われたとき、「Aの場合もこうなるし、Bの場合もこうなるから、どっちにしても結論は同じだ」という論法です。
ただ今までの3つと比較すると最後の結論でRという関係ない命題が入ってくるという点がややこしいというよりルールとして今までの3つよりきれいでなく見える点かもしれません。
選言除去(∨E)の「いちばん素直な」例
教科書的で一番分かりやすいのは、次の形です:
前提:
P∨Q
P→R
Q→R
結論:
∴R
日本語で言うと:
「P か Q のどちらかだ」
「もし P なら R」
「もし Q なら R」
だから「いずれにせよ R」
という、「どっちに転んでも同じ結論になるなら、その結論を出してよい」という典型的な選言除去です。
________________________________________
自然言語の具体例
もう少し身近な例で:
P:今日は雨が降っている
Q:今日は雪が降っている
R:道路が濡れている
とすると、
「今日は雨か雪のどちらかが降っている」 (P∨Q)
「雨なら道路は濡れる」 (P→R)
「雪なら道路は濡れる」 (Q→R)
したがって
「道路は濡れている」 (R)
という形になります。
________________________________________
記号論理での証明(自然演繹・Fitch風)
規則名も明示した、もう少しちゃんとした書き方です。
目標:
P∨Q," " P→R," " Q→R" "⊢" " R
1 P ∨ Q prem (前提)
2 P → R prem (前提)
3 Q → R prem (前提)
4 [P] A (仮定:第1の場合分け)
5 R →E, 2,4 (2と4から modus ponens)
6 [Q] A (仮定:第2の場合分け)
7 R →E, 3,6 (3と6から modus ponens)
8 R ∨E, 1,4–5,6–7
(1の P∨Q と、P を仮定した場合に R、Q を仮定した場合にも R
が出るので、選言除去 ∨E により R を結論)
ここで使っている規則
A(Assumption / 仮定の規則)
行4で「P の場合」、行6で「Q の場合」として
「場合分けのための仮定」を立てています。
→E(条件除去・Modus Ponens)
行5:P→R と P から R
行7:Q→R と Q から R
∨E(選言除去)
行8で使っている本命の規則。
形式的には:
P∨Q," "[P]⋮⬆ R," "[Q]⋮⬆ R" "⊢" " R
という形です。
2番目の例:「デザートの論証」
分かりやすさを重視して、「甘いものを食べる」という結論を導いてみましょう。
前提1: 私は「ケーキ」か「アイス」のどちらかを食べる。($P \lor Q$)
証明したい結論: 私は甘いものを食べる。($R$)
これを証明するには、「ケーキの場合」と「アイスの場合」の両方を検討し、どちらも同じゴールにたどり着くことを示します。
証明のステップ(フィッチ・スタイル風)
ここでも先ほどの「仮定 (A)」と「条件的証明 (CP)」の考え方が、サブルーチン(副証明)として活躍します。
行 命題 根拠・注釈
1 $P \lor Q$ 前提(ケーキ または アイス)
--- ケース1:ケーキの場合 ---
2 $P$ 仮定 (A) (とりあえず「ケーキだ」としてみる)
3 ... (ケーキは甘いお菓子だ、などの知識を経て...)
4 $R$ 導出(よって、甘いものを食べる)
--- ケース2:アイスの場合 ---
5 $Q$ 仮定 (A) (今度は「アイスだ」としてみる)
6 ... (アイスも甘いお菓子だ、などの知識を経て...)
7 $R$ 導出(よって、甘いものを食べる)
--- 場合分け終了 ---
8 $R$ 選言除去 ($\lor E$): 1, 2-4, 5-7より
(どっちの道を通っても $R$ になったので、結論は $R$)
解説のポイント
名前のインパクト: 「選言除去」という名前はいかめしいですが、中身は**「どっちに転んでも同じ」**という論法であることを強調すると親しみやすくなります。
構造: 「Y字路」のようなイメージです。入り口(前提)で道が二つ($P$ と $Q$)に分かれているけれど、どちらの道を進んでも最終的に同じ合流地点($R$)に出る、という構造です。
・背理法「rule of reductio ad absurdum」(RAA)
さて最後に背理法です。
背理法の本質は、**「あえて相手の主張(または逆の可能性)に乗っかってみて、それが矛盾(行き止まり)になることを示す」**という論法です。「もしそうだとしたら、おかしなことになるでしょ?」というツッコミの形です。
一番簡単な例:「アリバイの証明」
ミステリードラマなどでよくある、「犯人ではないことの証明」が最も分かりやすい例です。
前提1: もし彼が犯人なら、犯行時刻に現場にいたはずだ。($P \to Q$)
前提2: しかし、彼は犯行時刻に現場にいなかった(沖縄にいた)。($\neg Q$)
証明したい結論: したがって、彼は犯人ではない。($\neg P$)
これを「背理法」を使って厳密に証明すると、以下のようになります。
証明のステップ(フィッチ・スタイル風)
ここでのポイントは、「もし彼が犯人だとしたら…」という間違った仮定からスタートすることです。
行 命題 根拠・注釈
1 $P \to Q$ 前提(犯人 $\to$ 現場)
2 $\neg Q$ 前提(現場にいない)
--- 背理法の仮定 ---
3 $P$ 仮定 (A)
(あえて「彼は犯人だ」と仮定してみる)
4 $Q$ 前提除去 (MP): 1と3より
(犯人なら、現場にいたはずだ)
5 $Q \land \neg Q$ 矛盾 ($\bot$): 4と2より
(「現場にいた」かつ「現場にいなかった」
$\rightarrow$ これはあり得ない!)
--- 仮定の破棄 ---
6 $\neg P$ 背理法 (RAA): 3-5より
($P$ と仮定したら矛盾したので、$P$ は間違い。つまり「犯人ではない」)
解説のポイント
記事にする際は、以下の流れを強調すると読者に伝わりやすくなります。
わざと受け入れる: 「百歩譲って、彼が犯人だとしましょう」と仮定の世界に入ります(行3)。
バグを見つける: その世界を進んでいくと、「現場にいたのに、現場にいなかった」という**矛盾(バグ)**が発生します(行5)。
ちゃぶ台返し: 「バグが出たのは、最初の仮定(彼が犯人だ)が間違っていたからだ!」と言って、仮定を否定し、現実に戻ります(行6)。
もう一つ背理法の形がよく見える命題として以下を示しましょう:
命題:
前提として ¬¬P が与えられているとき、P を証明する。
つまり
¬¬P⊢P
を例にするのが分かりやすいと思います。
日本語でのイメージ
前提:
「『P でない』ことは成り立たない(P でないとは言えない)」= ¬¬P
証明したい:
「P は成り立つ」
背理法の型に従って:
「P を証明したい」ので、いったんその否定 ¬P を仮定する。
ところが前提には「¬¬P(=『P でない』の否定)」があるので、
¬P と ¬¬P を合わせると矛盾が出る。
「¬P を仮定すると矛盾が出る」ので、その仮定を棄却して
「だから P である」と結論してよい――これが背理法(RAA)。
________________________________________
記号論理での証明(自然演繹・Fitch風)
目標:
¬¬P⊢P
1 ¬¬P prem (前提)
2 [¬P] A (背理法のための仮定:Pでないと仮定)
3 ⊥ ¬E, 1,2 (1の「Pでないのは成り立たない」と
2の「Pでない」から矛盾)
4 P RAA, 2–3 (2の仮定から矛盾⊥が出たので、
背理法により P を結論)
規則の意味づけ
行1:前提 ¬¬P
「P でないとすることは否定されている」という情報。
行2:仮定(A)
背理法を使うために、「あえて ¬P を仮定」してスタートする。
ここでの ¬P は「真だと主張している」のではなく、
「もし ¬P だとしたらどうなるか?」という仮の前提。
行3:否定除去(¬E)
¬¬P と ¬P が両立しないので、そこから矛盾記号 ⊥ が導かれる。
「同じ命題について、肯定と否定が同時に立つ」タイプの矛盾をまとめて記号 ⊥ で表しているイメージで構いません。
行4:背理法(RAA)
「仮定した ¬P から矛盾が導かれたので、その仮定を棄却し、P を採用する」
自然演繹では、
[¬P] …… ⊥
の形の小ブロックができたとき、それを閉じて「P」と結論する規則として書きます。
________________________________________
記事向けにそのまま使えそうな説明文案
背理法(reductio ad absurdum, RAA)は、「ある命題 P を証明したいとき、その否定 ¬P を一時的に仮定し、その仮定から矛盾が導かれるなら、その仮定を棄却して P を結論してよい」とする証明法である。
もっとも単純な例として、前提 ¬¬P から結論 P を導く証明が挙げられる。
前提として ¬¬P を与える。
P を証明したいので、その否定 ¬P を仮定する。
しかし、¬¬P と ¬P は両立しないので、この二つから矛盾 ⊥ が導かれる。
「¬P を仮定すると矛盾が生じる」ので、その仮定を棄却し、P を結論する。
このように、背理法では「証明したい命題の否定を仮定し、その仮定のもとで矛盾を導く」という二段構えで命題を証明する。
・ややこしいように見えるが…
上記で命題論理のルールは全部示したと思います。
実はこんなにルールの数はいりません。
これは人間が直感的に自然言語の中や思考の中で使っている論理的なものを形にしたものです。
プログラム言語でいえば昔のベーシックみたいなものでしょうか?
機械語でもいいのです。
機械語の方が分かりやすい面も実はあります。
より数学的というより電子回路的な思考になります。
そっちの方が分かりやすいという人もいるでしょう。
他方で自然言語的にプログラムしたり読解したりしてみたいというならベーシック後いう言語が1980年代くらいにはありました。
多分その時期の人々、ビルゲイツやウォズニアックみたいな人は読めると思いますし、1990年頭でも機械語読める中高生はいました(程度は低かったかもですが)。
今でもいるのではないでしょうか。
ただ今は必要がないでしょう。
大学で電子工学科みたいなところ言って半導体の集積回路作るような人たちは勉強するのではないでしょうか?
あるいはリナックスとかそういうののカーネル部分を作っている人たちも大学だか自学だかで勉強している人はいると思いますがつかってはいないかもしれません。
さっきも少し触れましたが例えば「かつ」or「または」と否定の記号だけあれば論理も論理のルールも全て書き表せます。
・教養としては・・・
こういうのはできれば使いこなせればいいですが使いこなせなくても一通り知っているとか読んだことある程度でもいいですし総論や第一章くらい読めば概観は分かるのではないでしょうか。
あるいはもうちょっとしっかりやりたければ述語論理とか完全性とか無矛盾性とか標準形とか三段論法など歴史や論理学を取り巻くもっと大きなものに触れておけば何かの時にいつでもアクセスできるでしょう。
人生の3分の1を占める睡眠ほどではありませんが、論理というのは多分生きていく中ではある程度使うか使ってしまっているはずです。
非論理的なものも人間たいせつだと思いますが学問をする際には人文系の人でも最低限触れておくべき理数系の知識(多分今時記号論理学でない論理学は生き残っていないと思われる)ので大学の教養課程という意味ではなく世俗的な意味での知的なたしなみという意味でも一回は勉強しておけば多分現生利益的な意味で得しますし世の中上品な人が多いので非論理的な面を責められて恥ずかしい目に合うことも少ないでしょうが絶対ないとも言い切れないので少し身に着けておくべき教養主義としてよいのではないでしょうか。
さらに最近はレトリックの時代というか騙しの時代で詐欺師も増えてきましたので防御壁というか思想的、思考的イージスとしていいのではないでしょうか。
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