2025年12月31日水曜日
わかる日本の、左翼、社会主義、共産主義、リベラル
わかる日本の、左翼、社会主義、共産主義、リベラル
・まず分かりやすく左翼とは何か
国の公安警察か公安調査庁かどっちか忘れましたが「左翼」を定義しています。
「左翼とは共産党と共産党より左のもの」でこの場合の左翼は共産党です。
一応誤解の内容に書いておけばこれは公安・警察の“治安用語”で思想史の“左翼一般”とは少し違う部分があるでしょう。
これは公安ですからいわゆる「極左暴力集団」の定義するためのもので社会主義革命・共産主義革命を目指し…暴力で破壊することを企てている集団であり成立経緯として昭和30年代初頭…日本共産党を除名されたり、離党した者が中心となって誕生したものです。
これは1970年+αくらいまでの日本の歴史と社会を知っていればとてもいい定義です。
別に1970年+αくらいまでの日本の歴史を知らなくても、知らなくて現代社会だけを見てもなかなか含蓄の深い定義ですが現在の日本は『左翼』という言葉の使われ方がもっと広いです。
『リベラル』という言葉もよく分からない鵺みたいなところがありますがこれも今では左翼とされているのではないでしょうか。
言葉の意味も場所や時代で変わっていくのでしょう。
左翼すなわち平等を考える際の軸を少しだけ挙げておきます。
座標を決めておくと分かりやすいでしょう。
本当はもっとあります。
① 経済軸:市場重視 ↔ 再分配・公的介入重視
② 政治体制軸:自由主義的民主制 ↔ 前衛党・一党支配など
③ 文化軸:伝統重視 ↔ 反差別・多様性・価値観刷新
④ 国際軸:ナショナリズム ↔ インターナショナリズム
・まずざっくり
よのなかざっくり2つの思想がメインです。
1つが資本主義とか自由主義とか市場主義とか交換経済とか民主主義とかそういうのです。
もう1つが左翼とか共産主義とか社会主義とかリベラルと呼ばれるものがあります。
前者は何となくわかると思うので後者のイメージを持つと世の中よく分かります。
・自由と平等
なるべく自由を尊重するような社会にとなると資本主義みたいなのになって格差が広がります。
格差=不平等ではないし、差別でもないのですがなるべく経済的な平等を達成しようというのが社会主義とか共産主義とかになります。
世の中の経済的平等を人間の目指すのが左翼なのですがそういうのをおいといてとりあえず平等を目指すのがリベラルになります。
・社会主義のながれ
人間の経済的平等の追及は社会主義と呼ばれてもともとありましたが19世紀中ごろにマルクスが出て20世紀にはレーニンとかが革命を起こしてこれが左翼の代表になりました。
名付けてマルクス・レーニン主義と言います。
・マルクス・レーニン主義
マルクス・レーニン主義では社会の最終的到達点が決まっています。
それを共産主義社会と言います。
共産主義社会になると全ての社会的階級とか支配、被支配がなくなって生産手段はみんなで共有することになります。
この体制は現代では達成した国はありません。
小さな組織でいいのであればイスラエルのキブツという小さなコミュニティはそんな感じでしたが今もあるのか分かりません。
・マルクスは素朴、レーニンは素朴でいられない
マルクスは共産主義社会になるのは歴史の必然と思っていました。
資本主義が成熟すると自然に共産主義になると思っていました。
レーニンと仲間たちは資本主義が成熟しても世の中共産主義化しないことに気付いてしまいました。
世の中が豊かになると労働者も豊かになってしまいます。
例えばある程度豊かになると別に経済的に平等でなくても生産手段を共有しなくてもいいという感じになります。
そもそも本来差別とかは本チャンの左翼である共産主義者のテーマではないのですが差別についても上も下もどうでもよくなってきます。
別の例では資本主義が発展してくると帝国主義や植民地主義というのも発展していきました。
すると植民地を持っている国の国民は豊かになって左翼とかどうでもよくなります。
さらに別の例では戦争が起こると、一番いい例では第一次世界大戦みたいなのがおこるとやっぱり国民は平等とか差別とかどうでもよくなります。
戦争とか真剣に戦っているときには平等とか差別とかどうでもよくなります。
むしろ愛国心とか負けたらあかんというので不平等とか差別どころではなくなります。
というわけで革命を起こしたロシア(とドイツ)以外の社会党は第一次世界大戦で壊滅してしまいました。
そういうわけで世の中自然に共産主義社会になるわけではないので人為的に国民をコントロールして共産主義社会似せなあかんというのがレーニン主義になります。
・レーニンの人為主義共産主義社会化
平等というのはよく考えると分かりにくいです。
もっと限定して生産手段を全ての人が共有する、経済的格差をなくして平等にする、ここまで具体的に限定してもそらがどんなものかはいまいち分かりません。
社会人したことがある人にはわかると思いますが(社会人したことがない人をディ吸っているわけではありません)具体的な実務というのは難しいです。
具体的にどういう実務勝利を行ってそれを達成するのかとか、達成するべき社会の政治、経済、法律、制度はどんなものとか、問題が発生したときのトラブルシューティングはどうするとか挙げていけばキリがありません。
原稿の全ての社会はそういうことで苦労している人が必ずいるはずです。
左翼の理想は人間の経済的平等ですが実際にうまくやって他の社会主義にも影響を与えたのはマルクス・レーニン主義なのでそれだけ分かれば十分です。
・社会主義と共産主義の違い
社会主義は人間の経済的平等を実現するために頑張る主義です。
だから社会主義を頑張っているときには人間の経済的な平等は実現していません。
共産主義は人間の経済的平等が達成されてさらに階級(身分差)もなく生産手段が全ての人に共有化されることを目指すということです。
・社会主義社会と共産主義社会の違い
社会主義は共産主義を実現するために頑張っている状態なので歴史上共産主義国と言われるものは現在の中国とかを含めて社会主義社会で、社会主義体制で、社会主義国です。
過去の共産主義国と言われた国にせよ現在の中国にせよ全て社会主義国です。
共産主義社会を実現した共産主義国は歴史上一つもありません。
現在までに実現しているのは共産主義社会を目指して頑張っている社会主義国しか今のところありません。
・社会党と共産党の違い
社会党は人間の社会的平等を目指している政党です。
ただここら辺は意見がまとまらない面があります。
社会主義も社会党もマルクス以前からありましたしマルクス・レーニン主義とは違う流れがあります。
日本の社会党については後で説明します。
共産党も人間の経済的平等を目指す点では社会党と一緒です。
共産党とか共産主義とかの発明はマルクスレーニン主義です。
共産主義は人間が経済的に平等の他に経済的でない部分でも管理者と非管理者の違いがないという点で社会主義と一言でいうよりはより具体的です。
これは階級がないとか言います。
また生産手段を全員で共有するという点でも社会主義よりは具体的です。
マルクスは「共産党宣言」というのをかいていますから共産党という言葉を広めたのはマルクスです。
共産主義の発明もマルクスでいいでしょう。
それを改良したのがレーニンと仲間たちと見ればいいでしょう。
・共産党より大事なのは前衛党と革命
そもそも名前なんかどうでもよくて中身が大切だという考え方もありあす。
レーニン主義ではそもそも共産主義社会は自然には起こらないので一生懸命共産主義社会を実現させようとする必要があります。
あとマルクスレーニン主義で大切なのは世の中を変えるには革命が必要であるということです。
革命はほっておいても勝手に起こらないのです。
ここはマルクスもレーニンも賛成したくないところではあると思いますがそもそも世の中が変わってもそれが共産主義社会でない可能性もありますしそもそも歴史の最終地点があるという前提が間違っている可能性もあります。
そういう大きな考え方を持っていた方が物事分かりやすいし整理もしやすいのでそういう広い視野も持っておくといいでしょう。
それはともかくマルクスレーニン主義では革命の前衛をになうただ一つしかない前衛党が革命を起こして世の中を共産主義社会に移行させるために努力していくというのが一番大切になります。
ですので社会党とか共産党とか党の名前よりは革命の前衛を担う政党、前衛党であるということがマルクスレーニン主義では最も大事なことになります。
マルクスレーニン主義で大切というよりマルクスレーニン主義の主張する枠組みの中で前衛党に加わって革命を指導したいという革命家にとって前衛党党員であることが最も大切なことになります。
・共産党はレーニンが社会党に呆れて作った
共産党を作ったのはレーニンです。
「マルクスが『共産党宣言』という本を出したといったやないか」というつっこみがあるかもしれません。
まあそうなのですが適当に読み流してください。
左翼の歴史では第一次世界大戦が大きな節目になります。
「ロシア革命がおこったからあたり前やんけ」と突っ込まれるかもしれませんがそれはまあそうです。
まあそれはいいとして第一次世界大戦で欧州各国の社会党が人間の平等より戦争に勝つことに夢中になって「人間の経済的平等」が後回しになって各国の社会党の連帯もなくなってしまいました。
この時「人間て経済的な平等より愛国心や戦争に勝ちたいという気持ちの方が強いのやな」と気づいてしまったのが当時イタリアナンバーワンの社会主義者とも評されたムッソリーニでここからファシズムが発生するのは豆知識です。
まあそれはともかく各国社会党のていたらくに激怒したレーニンがボリシェビキから「共産党」と名付けたのがまあ現代の共産党の始まりと思って下さい。
「俺たちは欧州各国の情けない社会党と違うんだぞ」と社会党と区別するために着けた党名みたいなイメージでいいと思います。
・いったん整理する
「左翼」は広くは人間の平等を唱える考え方です。
ですから言葉の発祥は「自由、平等、博愛」を掲げたフランス革命から始まっています。
社会主義はマルクス以前からありますがこれも平等主義な考え方です。
マルクス以降は平等だけではなく「階級もなく経済的に平等で生産手段の共有化」というのが付きます。
そもそも「平等」という言葉が曖昧です。
ただ当時は、今もそうかもしれませんがお金やら金持ちか貧乏かとかお金で何でも判断する考え方が強かった(今でも強いかも)なのでお金に意識というか頭のリソースを多くとられている人にとっては「平等」というと「お金の平等」とか「格差」とか「貧困」とか「金持ちけしからん」みたいなのが短絡的につながってしまいやすいのかもしれません。
マルクスはレーニンから見ればやや能天気で「今の資本主義社会がどんどん発達すれば勝手に共産主義社会になる」みたいなお花畑な考え方をしていました。
ただ時代が進んでいくとマルクスの提唱したマルクス主義の様に考えていたようにいかない兆候がいっぱい出てきます。
レーニンとしてはそれでは困るので力技で革命を起こした、あるいは革命に乗っかったわけです。
第一次世界大戦ではいくつか革命がおこりました。
例えばドイツです。
でも共産主義を目指す方向の革命になってまあ成功したと言えるのはロシアだけでした。
ドイツの場合は帝政から共和制になっています。
ドイツの方がロシアより全然資本主義が進んでいたのですが。
ロシアの場合はレーニンをはじめいろんな人たちが革命を共産主義の実現に近づけるように努力してああいう風になったわけです。
といってもとりあえず革命は起こったわけですがその後は革命後の路線の違いやらそもそも革命に反対の勢力やらで内戦していたので全然社会主義者だけが革命を行ったわけでもないし革命後から社会主義者が国を治めていたわけでもありません。
内戦がおこりますがまあトロツキーのような英雄がいたからかどうかは分かりませんが共産党がロシアの政権を取ることに成功してソビエト連邦となります。
・現実は理想の様にはいかない
ソ連は共産主義体制ではありませんが共産主義を目指すのが建前というか大義名分です。
ただロシアのような成熟した資本主義どころではない農奴制の国が共産主義をめざすとなると簡単にはいきません。
そもそもマルクス主義に従えばまず国を成熟した資本主義国にしないといけません。
ただレーニン主義ではマルクス理論のように自然に資本主義が発展して成熟するというのがもう無理です。
無理なのでレーニン主義では前衛党であるソ連共産党が国や国民を指導して成熟した資本主義の国にするという話になります。
ただそれは難しいことです。
そもそも帝政ロシア時代にすでにどの程度資本主義化しようとしていたのかは分かりませんが国を近代化しようと皇帝からして頑張っています。
まだ統制が利いて秩序があった革命前の方がうまく資本主義化を進められた可能性すらあります。
帝政ロシアの時代もちゃんと改革を行っていますし、スピードが遅いとかいう意見もあるかもしれませんが徐々に近代化は進んでいっていました。
それが第一次世界大戦で実質的に負けるわ、革命後の内戦はめちゃくちゃ大変だったりするわ、レーニン後に権力を握ったのがライバルのトロツキーをのしてのスターリンでそのスターリンが悪政を敷きまくるわ第二次世界大戦はあるわ、西側諸国には嫌われまくって国際的に孤立の面が強いわでそもそも資本主義の成熟化どころか資本主義化もできず経済政策も悪かったので貧乏国のままでした。
・「共産主義国」はややこしい
歴史上共産主義社会の国はないのでソ連は共産主義国ではありません。
ソ連は社会主義国です。
ただ「共産主義国を目指す国」を共産主義国と言っていいなら共産主義国です。
さらにソ連は共産党一党独裁の国です。
共産党が国より上位にあって国を支配しているという意味ではそもそも共産主義社会が何かを知らなければソ連は共産主義と呼びたくなる気持ちも分かります。
更には左翼全般そうですがプライドが高くてかっこつけたがるところがあります。
そういうのをレーニンは左翼小児病とか言って(厨二病の語源とおもわれます)、プチブル的な感情は捨て非常に徹するべき、という感じなのですがこの中二病的な感じは慢性病らしく現在の中共に至るまで治りません。
プライドが高いので社会主義国と名乗るよりは共産主義国と名乗った方がかっこいいのでそう名乗りたくなる気持ちも分かります。
逆に自由主義諸国では「共産」とつくものは悪口です。
ソ連が社会主義国というよりは「ソ連は共産主義国」と言ってレッテルを張って悪口を言った方が気持ちいいです。
何かそういうことかどうか分かりませんがソ連も冷戦期の東側陣営も現代中国も「共産主義国」と言われることが多いです。
まあ言葉なんて場所や時代や状況で意味を変えたり変わったり定義をしっかりすべき時にしっかりしさえすれば何でもいいと思いますがそんないろいろな思惑がかみ合って「共産国」とかいう言葉が使われています。
ただ問題は1970年頃に顕在化してきたのですが「そもそも左翼は本当に共産主義社会を作る気があるのか?」というものになっていきます。
・2段階革命論
そもそもロシアみたいな国は成熟した資本主義国ではないのでマルクス主義が当てはまりません。
マルクスは資本主義が成熟してない国は革命しても失敗して余計経済的独占と格差がひどくなると書いています。
ロシアの革命家にロシアで革命出来るか聞かれた際には歯切れの悪い返答だったと記憶してます。
それで力技で共産主義社会を目指そうとしてレーニン主義というものが生まれます。
レーニン主義はマルクス主義はは使えないのでいろいろ別の理論を作ったり現実に対応したり実務を大切にしたりして力技で共産主義を作ろうとした考え方です。
レーニン後の後継者争いでスターリンとトロツキーでもめます。
結局スターリンが勝ったのですがこのあたりから本当に共産主義を目指す気があるのかが怪しくなっていきます。
そもそもロシアは革命後のすぐに共産主義社会を実現することはできませんでした。
そこから共産主義社会に持っていくには何かしなければいけません。
そこで二段階革命論というのができます。
一段階目で共産党一党独裁で資本主義の成熟化を進めてそのあともう一回革命を起こして今度こそ共産党も被支配階級もなくなり経済的に平等で生産手段を共有する共産主義社会を作るというものです。
そこで共産党の一党独裁でノーメンクラツーラが支配して経済を成熟させていくということになるのですがなぜかどの国もここで止まってしまいます。
ソ連も中国も共産党の一党独裁が成功した後共産党員がどんどん特権階級になり豊かになりその他の国民と格差が広がるということになってしまいました。
この二段階革命論は戦前の日本共産党の講座派と労農派の分派化の原因になります。
ですので日本の共産党史でも大切なことです。
講座派はこれから2回革命を行わないといけないという考え方です。
これは考えたというより世界共産党であるソ連共産党の見解に従順でした。
コミュンテルンの32年テーゼというものがあってそれを講座派は丸のみです。
労農派は明治維新で第一段階の革命は終わっているから次は最後の革命をすればいいだけというソ連から離れた日本の独自路線でした。
この対立は形を変えて戦後の国際派と所感派の対立に持ち越されます。
間の期間に戦争があったので断絶がありますが。
・共産党堕落
共産党の一党独裁になったら逆にその後の共産主義社会の樹立を進めるという方向にはいきませんでした。
ソ連も中国もそうです。
ソ連についてはちゃんと共産主義社会を作ろうとしている国の邪魔を行っています。
ハンガリー動乱とプラハの春です。
ハンガリーでは共産党の一党独裁になったので労働者がその次の革命を行って生産手段の共有化と階級格差をなくそうとしたらソ連が軍隊でそれを潰してしまいました。
プラハの春では共産党の一党独裁になった後資本主義を成熟させようとしたらやはりソ連が武力でつぶしてしまいました。
なかなか権力の甘い汁を吸うとそれを手放すのは嫌になるのでしょう。
日本が特殊で明治維新のように武士が自分から特権を捨てたようには普通はいきません。
特にスターリン期のソ連がひどくて共産党どころかスターリンの一国独裁体制を進めたものの逆に国力が低下してしまいました。
中国もひどくて毛沢東が文化大革命というマルクスレーニン主義とは異なる変なことを始めました。
これは毛沢東は革命を起こすのは上手でも革命後の共産主義社会の実現の作業には向いていなかったと思われます。
あるいは共産党だのマルクスレーニン主義だのを分かっていなかった可能性があります。
毛沢東は革命家としては優秀なのですが共産主義やらマルクスレーニン主義を理解していなかった可能性があります。
革命屋だったのかもしれません。
・日本共産党は優秀
社会主義運動は戦前から盛んでマルクスレーニン主義も早くから取り入れて日本に左翼が増えていきました。
日本共産党もソ連の助けもあってちゃんとできました。
でも内ゲバリンチ事件やら権力の介入やら戦争の挙国一致体制でいったん下火になります。
戦後はGHQが共産党に好意的で牢屋に入れられていた共産主義者を釈放しました。
政治犯だけでなくて普通の傷害致死の刑事犯罪で入獄していたのちの共産党書記長の宮本けんじもどさくさに紛れて出獄できました。
1947年には早速ゼネラルストライキをしようとしますがGHQが止めました。
そもそもアメリカやGHQ自体にだいぶ左翼が多かったのですがゼネストは数百万人参加しそうでそんなんやられたら占領政策がうまくいきません。
その時共産党から離れたのが読売新聞のナベツネだったり日本テレビの氏家だったりします。
ナベツネは共産党で培った技術で社会的な成功を収めたはいいのですが右傾化していってしまいました。
1950年には朝鮮戦争が起きました。
その前には中国が共産主義化してしまいました。
ここらへんでアメリカはやばいと思い始めました。
日本がいなくなったら日本の統治していた地域がどんどん左翼化していってしまいました。
アメリカは日本の代わりにアジアの共産主義化を防がねばならないようになってしまいました。
ここでアメリカもGHQも戦前日本が言っていた「日本はアジアを共産主義社会にしないために頑張っているだけだ」という主張を受け入れざるを得なくなってしまいました。
アメリカは日本にむかついていたので日本を永久にフィリピン以下の経済力の国にする予定だったのですが路線転換します。
日本を防共の砦にする戦略に変えました。
朝鮮戦争がはじまるとソ連共産党下の組織であるコミュンフォルムが日本で内戦を起こすように指示してきて共産党はそれにのってしまいます。
内戦というほどのものは起こせませんでしたが内乱というか武装蜂起というか武装闘争で日本国内で警官を殺したり工作隊を作ったりして攪乱というか騒擾運動をはじめました。
1955年朝鮮戦争が終わると日本も武装闘争を止めました。
そして宮本顕二が実権を取り以後40年間共産党の書記長に君臨します。
その後同じ1955年に社会党の左派と右派が合併して統一社会党ができて保守の側では自由党と民主党が合併していわゆる戦後の55年体制ができました。
この時共産党の現場で戦っていたというかあちこち襲っていた革命軍というか後方攪乱チームを共産党から除名されたり離反したり粛清されたり〇されたりして共産党を離れて新左翼の元になります。
間の悪いことに1956年にはスターリン批判が起こりソ連のハンガリー動乱武力平定が起こって共産党の権威が下がってしまいました。
1955年の六全共というのがあって朝鮮戦争も追わって日本を武力で引っ掻き回す必要もなったためかそれまでの武力革命方針を表に出さずに議会で議席をとってこつこつ革命の準備をしていこうという路線にかわりました。
とはいっても暴力を捨てたわけではなく革命の最後の段階やどっかの段階では暴力は必要になります。
というわけで『敵の出方論』というのを採用しました。
権力であれ他党であれ敵の出方によっては暴力を使うという路線です。
例えば大学紛争の時には共産党の拠点である大学を守るため共産党は都学連行動隊(あかつき行動隊とも呼ばれる)を作って新左翼の学生たちと大学を守るために戦いました。
大学紛争のあとは都学連行動隊の存在が都合が悪くなったので都学連行動隊のメンバーを粛正するために拉致監禁し思想の強制を行いました。
こういう時に使うのが敵の出方論です。
マルクスレーニン主義では共産党という名称よりは前衛党であるかが重要です。
革命の前衛党であったはずの日本共産党がドジばかりしているというか間違ったことばかりしている(ように見えた)ので「共産党は前衛党ではない」という考えが広まりました。
そこで共産党に変わるちゃんとした前衛党を作らないとなって新左翼というものができていったという感じです。
・1960年安保闘争の主役は新左翼
公安の定義では左翼は共産党と共産党より左のものを指します。
共産党より左の者は極左と呼ばれます。
また共産党が前衛党としての資格を失ったように見えたので共産党に変わろうといろいろな党派ができました。
まず1950年代後半には共産主義者同盟(ブント、日本赤軍や連合赤軍などの赤軍派の母体でもある)が第一次ブントとして1960年安保を粉砕するために戦いました。
安倍首相のおじいさんの岸信介を辞任させるのには成功したのですが日米安保は延長してしまい運動が失敗したので解散です。
また中核派と革マル派の母体である革命的共産主義者同盟(革共同)ができたのも1950年代後半です。
これはスターリン主義ではなくトロツキー主義を掲げる組織です。
1960年に共産党がソビエト共産党とも中国共産党とも離れて日本独自路線をとることにするとさらに新左翼のグループは増えていきます。
めちゃめちゃな数ができたので伝統芸能や武術で分派が多いことを表す5流13派とかそれになぞらえて5流23派とか5流24派とか言われますがもっと数が多くて正確な数も内容も把握しきれていません。
・共産党は55年体制のまま(ちょっとした変化はあったが)今に至る
公安が言うように左翼が共産党と極左を指すなら社会党は一体何でしょうか?
現在と同じく自民党も社会党もそもそも1955年の結党当初から寄せ集めと考えてもらって構いません。
1955年の六全共で国際派や所感派といった分派の統合を行い、共産党の中の暴力革命を担う軍部を粛正したり六全共路線に反対の人々が離脱したことで共産党は非常にすっきりしました。
共産党がすっきりした分新左翼がいっぱいできましたが共産党は自民党や現在は立憲民主党(と一部は国民民主党と社民党)に引き継がれた社会党とは違って共産党はごちゃごちゃしていたところがなくなって今に至ると考えると分かりやすいです。
・社会党とは何か?
社会党とは左翼と思われてきました。
社会党もそう辞任していたのではないでしょうか。
社会党は冷戦崩壊後は自民党とくっついたり政権を取ったりしていましたがその後民主党→民進党→もう一度民主党→立憲民主党と国民民主党と社民党となって現在に至ります。
社会党は寄せ集めです。
多分アメリカあたりが絡んだと思いますが1955年に自民党と作ったりもしかしたら社会党を作るのにも支援や援助を行っていたかもしれません。
当初の社会党は流石に自民党のように保守や右翼はいなかったと思います。
保守や右翼の定義はここでは省きます。
社会党と言っても党名が何を表すのかは小難しいのですが社会民主党と共産主義を目指す社会主義政党としての社会党があって両者は違うものです。
社民党は資本主義や議会主義の中で経済的平等を調整していく政党です。
民主主義や資本主義は否定しないしむしろ肯定します。
修正資本主義とでもいえばいいでしょうか。
革命とか共産主義社会を目指しません。
あくまで民主主義と議会と経済的自由主義の中で経済的な格差やら貧困に対応していく考え方でこの段階でマルクス主義ともレーニン主義とも違いますし社会主義と共産主義とも違います。
社会党というと社民党以外の部分はバリバリのマルクスレーニン主義ではないけど経済的平等を目指すみたいな感じでとらえておくといいかもしれません。
実はバリバリのマルクスレーニン主義者もいますがそこに入れなかったり入らなかったり追い出されたり自分から出ていった人かもしれません。
ソ連流ではなくドイツ流の共産主義を目指したローザルクセンブルグなどの流れもあります。
そもそもマルクスはドイツ人です。
ロシア人よりドイツ人の知り合い友達の方が多かったでしょう。
社会党の厄介なところは新左翼から加入戦術を受けまくりな政党ということです。
加入戦術というのはその組織に入って中から組織を変質させてその組織ごと乗っ取るという戦術です。
1からグループ立ち上げるよりはこっちの方が効率的である場合が多いです。
大体共産党以外は組織が弱いです。
新しく立ち上げても泡沫のように消えていきます。
すでに組織があるならそれを乗っ取れるならのっとってしまうのが早いです。
加入戦術は昔からありますが共産主義的な伝統でいえばトロツキーの戦術です。
社会党は加入戦術の的として使われ続けてきた歴史があります。
・社会党の構成
社会とは元も右派社会党と左派社会党というのがあったのですがそれらを合併してできました。
その時の流れから党内右派は構造改革派、党内右派派は協会派といいます。
共産党も社会党も下部組織として大学生などの若者からなる組織があります。
共産党は民青(民主青年委員会か何かの略)と言われる組織で社会党は社青同(社会主義青年同盟)かなんかと言います。
その他に下部組織としては労働組合関係の組織があったり武力革命を目指すなら軍隊があったり(中核派の革命軍、革マル派の求殺隊などが有名)、諜報機関があったり、工作機関があったりします。
大学を握るというのは大切です。
大学に拠点を持っていれば学生の勧誘(オルグ、リクルート)をして党員拡大を図れますし、さらに浸透を進めて大学の教職員やら事務員に浸透できますし、卒業生をいろいろな組織に就職させることであちこちに種がまかれます。
「細胞」ということもあります。
もっとも細胞をまきすぎたせいで分派が増えるのかもしれませんが。
例えば法政大学は中核派だし明治や九大は社青同解放派(革労協)だし東大の自治会は京斎藤の民青だけども1980年代の一時期新左翼が奪還してその時の委員長が明石市長をやっていたりなど現在のニュースの見え方が違ってきます。
労組だって共産党経路の労組もあるけど国鉄系の労組は強かったが乱立していたのでそれを弱体化させるために革マルと中曽根が手を組んで国鉄民営化し現在のJR総連は革マルが取ったとか郵便局などの全逓や電電公社(NTTやau)の労組を弱体化させるために国が民営化を行ったのではないかなどの見方もできるのでそういうのは知っている人は知っているし知らしめようも大人の事情でメディアなどでは離せない場合もあります。
国民民主とか立憲民主とかも連合やらそれが総評系とか同盟系とかいろいろ事情を知らないと分かりません。
こういうのスパイとか陰謀とか工作とか外国の干渉というよりたまたま長生きしていた李何かで知る日買いがあれば知っている人は知っているだけの話になります。
外国のスパイや工作や陰謀もあるのですがそれ以前に「知らないからスパイや陰謀」というだけの場合もあり最近だとAIなどですぐ調べられますからまず国内のいろんなことを知っているだけでもいろいろ違います。
別に中国やらどこやらがスパイ活動しなくてその人の経歴やその組織の歴史を知っていれば別に中国を抜きにしてもそういうものというのが分かりますし何でもかんでも左や右で分けてしまうこともなくなるでしょう。
でも共産党より左ではないから社会党は左翼ではない、とも言いきれないのが加入戦術を知らないと分かりません。
新左翼の共産党から分離した革同共はトロツキー主義の日本の導入者太田竜が創始者のひとりで革同協はトロツキストのグループでもあります。
何回か分派して中核や革マルなどになっていますが太田竜は早々に第四インターに分派して社会党への潜入工作を徹底させ続けました。
下流千寿とといえば純トロ(トルエンではなくトロツキー)が本家みたいなものですのでやり方が徹底しています。
社会党は第四インターどころではなくいろいろな新左翼をはじめ国内外のいろいろな魑魅魍魎の草刈り場みたいなところでしたので社会党を共産主義や左翼から切り離すのは不可能です。
・構造改革派、協会派、解放か
社会党合同後の右派は構造改革はでユーロコミュニズムというかアントニオグラム氏などの陣地戦略を唱えていたそうです。
陣地戦略とは少しずつ陣地を確保し前進させていくやり方です。
それは社会民主主義と一緒ではないかと言われるかもしれませんが、そうかもしれません。
あるいは陣地戦術を進めて最後の最後に暴力革命をするなら共産党と変わらないかもしれません。
社会党左派の協会派は理論家なので普通に社会主義、共産主義、マルクスレーニン主義とは無縁ではありません。
指導者の向坂逸郎は元共産主義者の谷沢永一に言わせるとソ連が日本を解放してくれるのを意図していたようです。
これはレーニン主義の敗戦亡国論という戦術で戦争に負けた時、負けそうなときには革命を起こしやすいという理論です。
そして第三極としてのちに社青同解放派になる、これは革労協とも言いますが極左グループがあってここと協会派が手を結んで構造改革派を打倒してしまいます。
その後に協会派は分裂して理論派の向坂派と実践派で活動現場主義の太田派に分かれて太田派と組んで向坂派を弱体化させます(すみません、逆かもしれません)。
要するに自民党と同じでまとまりがない感じです。
それは今も同じで結局冷戦後には自社さと連立政権を組んで党の方針を変えてしまったので支持を失い民主党ができて大部分がそちらに流れます。
大まかに向坂派系統が社会党、民社党という同盟系の労組を支持基盤にする保守よりな政党も昔はあったのですがそれと合わせて太田派系統の人たちは民主党の移った感じの様です。
自公連立などに政権を取り返されると政党名もロンダリングして民進党になり、その後民主党に名前を変えて
2010年前後には政権を取ることに成功しましたが自壊みたいになりました。
そしてまたマネーロンダリングみたいに立憲民主党と名前を変えてそこから国民民主党が分裂して現在に至る感じです。
立民も国民も支持基盤が連合ですが立民の方が総評系の労組で国民民主が同盟系の労組ときれいに分かれればいいのですがそうもいきません。
選挙制度改革やら不景気のため主義主張よりも政治家になりたい人もいます。
自民党などで出られなければ民主党でも政治家になれるなら、あるいは政治家でいられるならいいやという人もなく参います。
そのようなわけで社会党系にはざっと触れましたが立憲民主党のノリや国民民主党がなぜ戸籍制度を壊すような進歩的、核心的政策を支持しているかというとまあそういうもろもろがあります。
・左翼の意味が広がる
こうしてみていくと共産党が左翼の王様で新左翼が結果的に中核派や革〇派しか残っていないのでそのあだ花のようなもの、旧社会党を引き継いだ立憲民主党と国民民主党の一部は革命と共産主義を目指しているので左翼と言えるかもしれません。
ただ旧社会党は国内外いろんな組織の渋谷のスクランブル交差点みたいなものですのでまあ無視してもいいです。
見ようによっては戦前から、レーニン主義からの反帝国主義、反植民地主義、民族主義でもいいですし、日本に恨みを持つソ連の32年テーゼでもいいですし、戦後のGHQのwar guilt programでもいいし、学生運動敗北後の1970年の華青闘告発でもいいですが、もともと日本には反日思想や自虐思想がありました。
また部落やら旧植民地人への差別、女性差別、アイヌ差別、環境主義、菜食主義、スピリチュアルや新興宗教ブームの方向へ一部の新左翼の活動家をはじめとした人々が思考や運動の方向を変え始めます。
左翼とは人間の経済的平等を追求する政治思想や活動です。
マルクス・レーニン主義はそれに革命の実践的方法やマルクスの時には目立たなかった帝国主義や植民地主義を組み合わせたものです。
そして革命によってまずは遅れた国なら革命の前衛党が一党独裁体制を作って国を成熟資本主義社会に進歩させて革命第二弾で前衛党もその他の人も区別なく階級の違いがなく生産手段を共有した社会を完成させることです。
これと差別や環境は全く関係ありません。
むしろ真の革命家にとってはそういうものはプチブルジョワージー的な小さな正義感で革命運動の邪魔になるとレーニンは唱えています。
マルクスにとってもどうでもいいことです。
小事は大事が片付けば勝手に解決するとかどうにでも対応できると思っていたのかもしれません。
ところが日本は戦後の信じられないほどの貧困欠乏国土の交配と国の壊滅から1970年代にはなぜか世界トップクラスの豊かでしかも一億総中流社会になってしまいました。
「日本は最も成功した社会主義国である」と昔からよく言われるほどになってしまいました。
つまり歴史上人類で最も成功した人間の経済的平等を達成した国、左翼の成功例のようになってしまいました。
別に共産主義社会ではないのに左翼と社会主義が成功してしまいました。
別に日本以外でも第二次世界大戦ではどの国も経済的格差が縮まり平等に近づいてそれが1970年頃まで続いた感じでした。
「まだ足りない」という人もいたがなぜか中国やソ連より格差の少ない豊かな国に先進国はなってしまった傾向があります。
・リベラルやポリコレ、差別問題や環境問題が左翼にはいってしまう
本来のマルクスの理論なら現在のアメリカのような国で革命が起こって社会が変わればマルクス理論の答え合わせができたはずです。
現在のアメリカで革命が起こりかつその後の社会が階級がなくなって生産手段も共有化するようになればマルクス主義が正しかったことが実証されます。
それ以外の場合はマルクス主義がそもそも間違っていたということになります。
これからアメリカでそのような変化が起こるのかは要観察です。
マルクスにとってもレーニンにとってもスターリンとトロツキーにとっても毛沢東にとっても差別や環境はどうでも些事でしたし理論や主義とはそもそも関係ないものでした。
なのでそういうものはマルクスレーニン主義系譜の社会主義思想には入っていません。
ただ近代の理想が平等とすると別に人間でなくても経済的な問題でなくても不平等はあかんということになります。
ソ連はスターリン、ハンガリー動乱、プラハの春、アフガン侵攻、冷戦崩壊と信用は崩壊していくばかりでしたが1960年末頃から1970年頃にはマルクスレーニン主義は少なくとも西洋先進国では下火になりました。
そのせいかマルクスレーニン主義でない社会主義、平等を目指すというか差別問題が流行りになっていきます。
平等、差別、自由はそれぞれ別の概念です。
自由は格差を生むという意味では自由より格差に焦点を当てた方がいいかもしれません。
平等、差別、格差は全て別の独立事象で独立概念です。
別に不平等なら差別があるとも格差があるとも限りません。
差別があるなら不平等とも格差があるとも限りません。
格差があるなら不平等とも差別があるとも限りません。
左翼の誤解は平等 = 善 = 差別のない状態という思い込みですが、現実は平等(経済) ≠ 非差別(人権) ≠ 自由(政治)で ソ連は「平等」だったが、「自由」はなく、「差別(粛清)」はありました。
そういうのを知ってか知らずか差別問題が平等とか社会主義となぜか結びついてしまいました。
結びつかずにもともとマルクスレーニン主義ではなく思想がない状態から差別問題に目覚めた人もいたでしょう。
しかし多くはなぜかマルクスレーニン主義から差別問題に転向しました。
マルクスレーニン主義では差別のようなプチブル的な正義感というか左翼小児病みたいなのに気を取られて革命や共産主義社会の本分から外れてはいかんと差別問題が抑圧されていたからかもしれません。
またこの時期からの差別問題の流行はマルクスレーニン主義とはが仮に関係なかったとしてももっといろいろなたくさんの要因から起こったと考えることもできます。
病気でいえば他因子疾患という感じでしょうか。
・エントロピー増大のように混ざる
マルクスレーニン主義では疎外されていた差別問題ですがもっと広い左翼や社会主義の考え方からすると平等と差別は関係しやすいです。
本来独立な関係ないものとしても実際には関係しやすいです。
現実的には相関係数が高いとでもいうべきでしょうか。
「人間の経済的平等」の「人間の」「経済的」を除いたただの平等は差別と関係しやすいです。
「差別があるなら不平等である」これは何となく腹に落ちやすい感じです。
これの対偶「平等なら差別がない」これも何となく腹に落ちやすい感じです。
経済的な不平等が必ずしも差別を生まない例はちょっと考えればわかると思います。
世の中天皇陛下より金持ちはたくさんいると思いますが天皇陛下を差別する人はいないのではないでしょうか。
ちょっとこじれた人は天皇陛下を差別するということもあるかもしれませんが。
「人間の」とつくと人間中心主義になりがちです。
「生き物はみな平等だから動物を食べてはいけない」こう考える人もいるかもしれません。
革同協(中核派や革マル派の母体)の創始者のひとりでトロスキー主義導入のの第一人者の「トロツキスト」「爆弾の竜」「爆弾狂(闘争)の教祖」「ゲバリスタ(ゲバラ主義であってゲバルト主義ではない)」は1960年後半ごろから段々革命とか共産主義への興味が薄れていったようで1970年代の爆弾闘争やアイヌ独立論みたいな方向にシフトしていきます。
また家畜を食べるのは差別だと仏教のお坊さんや神道の神主を集めて会議したり菜食主義を唱えるようになります。
自然な生き方を志向するようになります。
そしてフリーメイソン、イルミナティ、ユダヤ人、国際金融資本反対みたいな陰謀論のようなものを唱えるようになります。
そしてその次は「爬虫類が人間を支配している」と唱えるようになっていきます。
まあ陰謀論や爬虫類人類はともかく現在のリベラルとかポリコレとか反差別とか環境主義とかヴィーガンのような方向にシフトしていきます。
ナチュラリストとして有機野菜を育てるみたいなのは全学連(大学自治体の組織で共産党から新左翼に徐々にヘゲモニーを奪われていった)や全共闘(自治体とかではなく新左翼各派やノンセクトラディカルな無党派層の横の連帯)活動に従事していた人たちの中には太田竜だけでなくそういう方向に集まるようになります。
こういう方向に影響を受けているのはざっと名前を開けると池〇彰、朝まで生テレビとかの司会の人、宮〇駿、テリー〇藤、押〇守、上野〇鶴子、菅〇人、枝〇幸男、海江〇万里、仙〇由人、佐〇優、坂本〇一、村〇龍、加藤〇紀子など有名な人をざっとあげるだけでも枚挙にいとまがありません。
組織としては大学、労働組合、NPO、NGO、宗教団体、官公庁、地方自治体、公立学校、メディア、学会、政党、省庁、いろんなところに浸透していました。
オー〇真〇教の浅原〇晃は「ポアしろ」は密教の言葉ですが左翼活動家の隠語です。
右もそうで安倍首相を暗殺した件で問題になった統〇教会も防共のためにCIAなどとかかわりを持ちましたし日本なんかはいい方でイタリアの鉛の時代ではバチカンもマフィアも絡んでいます。
日本も右も左もやくざは絡んでいます。
例えば読売新聞なんかは1947年の2.1ストのナベツネ、安保闘争世代、全共闘世代、リベラル世代で一気通貫です。
右や保守側も「若いころには活動くらいしていないと見どころがない」とか言って積極的にちょっと一線を越えてしまっていないような学生は雇い入れていた節があります。
イタリアもそうですがこれにアメリカ、中国、ソ連、北朝鮮、韓国(まだ民主化してから40年も経っていない)その他のいろいろな国々も絡んで何が何やらなのですがそんな外国のスパイ工作ハリートラップとか言わなくても日本国内だけの知識でもいろいろなことが分かります。
・左翼でないのは真心がない
社会主義は正義です。
真理でもあります。
社会主義でないのは真心がないと国民(もしかしたら世界の多くの地域で)が思っていたし今も思う人は多いでしょう。
平等を否定する人は警戒されるでしょう。
「平等」の定義はちゃんとできるのは難しいのですが。
マルクス、レーニン主義、あるいは共産主義は今は流行りません。
「生産手段の共有」すなわち「共産」が現実にどのようなものなのか現在のような現実的な時代には難しいでしょう。
もっともテクノジーや社会思想も進歩しているので今後は具体的な方法が出てくるかもしれません。
共産主義は流行りませんが広い意味の社会主義、「平等を追求する」はこれからのテーマです。
これまでのはやりは反差別でリベラルやポリコレでこれは平等主義や社会主義とちょっと違うものなのですが現在の文脈では左翼です。
そもそも左翼や社会主義であることは正義で真理で真心があることでしたのでみんな各紙もしませんでしたしむしろ誇りました。
現在は左翼というと「ちょっと危ない人」というイメージがかすかについてきているかもしれません。
ただ新自由主義やグローバリズムが行き過ぎた昨今では左翼や社会主義にもうちょっと頑張ってもらわないといけないかもしれません。
何事もバランスです。
人類がもっとおとなしくもっと落ち着くまでは左翼や社会主義はもっとアップデートして個人主義や自由主義的なものとうまくバランサーになるように努めないといけない局面が出てくるかもしれません。
本当は何事もほどほどがいいのですが極端に偏ってしまいがちなので自由や平等、個人主義や集団主義はもうちょっと折り合いをつけて丸く収めるのが成熟、老成した
かつてGHQやアメリカも「左翼(理想主義)」に夢を見て、日本を実験場にしました。
しかし冷戦という「現実」に直面して転向しました。
今、私たちはポリコレや環境主義という「新しい左翼の夢」を見ているが、これもまたいつか「現実」の前に色あせていくのでしょうか。
それとも、太田竜のように「爬虫類」まで行ってしまうのでしょうか。
どちらにせよ、「真心(正義)」の暴走を止めるのは、いつの時代も「冷めた現実(退屈な日常)」だけなのかもしれません。
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