2009年12月1日火曜日

パラノイド的であることのいいところ

パラノイド的であることでよいことがあります。
例えば恋愛というのは概してパラノイド的な出来事です。
頭の回転が速いという意味での頭のいい人はしばしばパラノイディックであることがあります。
パラノ的にだけ頭がいい場合はしばしば"木を見て森を見ず""子利口者は大局を見失う"と言われる欠点を持つタイプの頭の良さになる傾向があると思われます。
数寄者や道楽を楽しむようなときにはパラノイド的であると思われます。
共同体や何かの組織を維持するために生じる価値観やら情緒はパラノイド的です。
人間が何かに情熱的であるときパラノイド的な認知機構が強く働いている傾向があります。
感動や感傷、陶酔はしばしばパラノイド的な状態と結びつきがちです。
スポーツのゾーンに入った状態みたいな状態はパラノイド的かもしれません。
趣味に没頭しているとき、何かが好きでたまらないときはパラノイド的です。
人間が何かを理解するとき、習得するとき、セレンピディティックに何かを習得していく過程ではパラノイドっぽい状態にありそうです。
また人間の発達を見るときパラノイド性、シゾイド性という観点でみると興味深くはあります。


このようにパラノイド的であるということは非常によいことが多くあります。
ただ上を見て分かるようにある種の傾向があります。
contemporarismはismですので、ある種のおすすめがあります。
幾つかの軸で考えてみると、プライベートはパラノイディックにパプリックにはシゾイディックにというのがcontemporarismの志向性です。
同様に考えていくと、シゾイドは統治者にパラノイドは被統治者に向いています。
集団が大きくなるとシゾイディックがよく、小さくなるにつれてパラノイディックのよさがでるかもしれません。
シゾイドはイノベーティヴに向いており、パラノイドは維持保守に向いているかもしれません。
自覚性の軸、貴族性の軸というのもあります。
ここらへんはてきとうに話しているだけで特に厳密に何かを言っているわけではありません。
概してパラノイド性=いい意味でばかになること、気持ちいいこと、わがままのびのびなこと、気楽なことと通じる場合があるので、人生を楽しむためにはパラノイディックになる時があった方がいいという感じですが、世の中何もかもバランスが大切なときが多いですし、パラノイド性はプライベートに向いてパブリックに向かないことも多いかもしれません。

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