2つの左翼 ―左翼の二重構造―
「左翼」という言葉は、会話でもSNSでも雑に使われがちです。
しかし雑に使われるだけの理由もあります。左翼には、似ているようで中身が全然違う二つの成分が、長いこと同居してきたからです。
ここでは左翼を、次の二つに分けて考えてみます。
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① 革命・共産(マルクス主義系):体制転換を目標にする左翼
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② 道徳・心情(現代日本語の「リベラル」):差別是正・人権・弱者救済など、倫理的正義を目標にする左翼
この二つは、結論が似ることはあっても、動機・目的・手段が別物です。
そして重要なのは、戦後日本の「左翼」には、①と②が別々の人として存在しただけでなく、同じ人の中に混ざっていたことです。これをここでは便宜上、左翼の二重構造と呼びます。
0. まず用語整理:「リベラル」は別物になっている
ここで言う「リベラル」は、古典的な意味の自由主義(市場・個人の自由・小さな政府)ではありません。
現代日本語でよく使われる、いわゆる「左派リベラル」――
人権、反差別、マイノリティ擁護、ジェンダー、ポリコレ、環境、動物倫理、反戦・反侵略、植民地責任(贖罪意識を含む)など
の方向の話です。
つまり「リベラル」という語が、歴史的には“自由主義”だったのに、いま日本では“道徳的進歩派”を指すことが多い。ここが混線の出発点です。
1. ① 革命・共産(マルクス主義・共産主義)
①の左翼はシンプルです。ざっくり言えば、
革命によって階級を消し、生産手段を共有し、共産主義社会を実現する
を目標にします。
レーニン主義以降の多くの論争は「その実装をどうするか」の試行錯誤でした。
ところが歴史的に見れば、共産主義を掲げた国々が到達した体制は、理想としての「階級なき社会」というより、党国家(=一党支配)と統治装置の固定化でした。そこから先に進むより、むしろ体制維持のために粛清・弾圧が起きやすくなる。
冷戦終結のとき、東側が「共産主義の理想へ進む」のではなく、資本主義化へ雪崩れ込んだのも象徴的です。
2. ② 道徳・心情(現代的リベラル)
②の左翼は、①と違って「革命」や「共産主義社会の実現」を目標にしません。
むしろ主な関心は、
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差別の是正
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弱者救済
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権力への批判
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反戦・反侵略
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人権・尊厳の擁護
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環境・動物倫理
などにあります。
ここには、理論よりも心情・倫理・道徳的直観が強く働きやすい。
日本的に言えば、判官贔屓(弱い側に肩入れする感覚)や、「偉そうな権力が嫌い」という情緒、あるいはルサンチマン(弱者側の怨恨・反発)なども絡み得ます。
②は、運動としては市民活動・メディア言説・教育・NPOなどの形で現れやすく、①のように「組織と革命」を前面に出す必要がありません。結果として、現代では②の方が目立ちやすい。
3. 「帝国主義反対」の同床異夢:似ているから混同される
左翼が混線する最大の理由はここです。
①も②も、しばしば「反帝国主義」「反植民地主義」「反戦」を言います。結論が似る。
しかし、動機が違う。
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①(革命左翼):「帝国主義は革命の邪魔になるから反対」
帝国が植民地を持ち、外部から利得を得ると、国内の矛盾が緩和され、革命が起きにくくなる。だから邪魔だ、という論理になりやすい。 -
②(道徳左翼):「帝国主義は悪いことだから反対」
こちらは倫理的・道徳的な理由が中心で、罪悪感や贖罪意識の形をとることもある。
同じ「反帝国主義」に見えても、①は戦略、②は倫理。
このズレがあるのに、言葉の表面が似ているせいで「左翼は全部同じ」と誤解が固定される。
4. 左翼の“成分比”は時代で変わった(二重構造のポイント)
左翼は「転向」したというより、もともと混ざっていた成分の比率が変わったと考えた方が説明力が高い。
たとえばイメージとしてはこうです。
1950–60年代:①が目立つ時代
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革命成分(①):濃い
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心情成分(②):混ざっているが脇に見える
→ 左翼が「革命のために戦う人々」に見えやすい
1968年前後〜70年代:①がピーク化し、急速に失速
安保闘争や学園紛争は、①の最後の大きな山でした。
ただしその後、過激化(内ゲバ・テロ化など)と社会的拒絶の中で、①は急速に弱っていく。
1980年代以降:②が前景化する
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革命成分(①):希薄(あるいは前面に出ない)
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心情成分(②):大きく前面化
→ 左翼が「人権・反差別・市民活動」の顔になっていく
この見方をすると、「革命を目指した人たちが、いつの間にかポリコレや環境問題に熱心な人にスライドしていったのはなぜか?」という現代の疑問が、かなり解けます。
要するに、転向して別物になったのではなく、もともと左翼の内部にあった“心情・倫理”の成分が、革命成分の退潮後に残り、純化し、肥大した――と見るわけです。
5. もう一つの混線要因:「社会政策がある=左翼」ではない
ここも誤解が多い点です。
福祉や社会保障、産業政策、規制強化などは、左翼だけの専売特許ではありません。
自由主義国家でも、資本主義国家でも、そして保守政党でも、社会政策は普通に行います。
「小さな政府」と言っても、政府をゼロにするのは主流になりません。
戦後日本が、結果として「平等っぽく見える時代」を長く持ったのは、共産主義というより、修正資本主義/福祉国家/産業政策の組み合わせがうまく回った側面が強い。
だから「社会政策があるから左翼」「右派だから福祉ゼロ」という単純化はだいたい外れます。
6. 結論:左翼は一枚岩ではなく、二つの力学が同居してきた
左翼という言葉の中には、少なくとも
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① 共産・革命・イデオロギー(体制転換の論理)
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② リベラル・道徳・心情(倫理的正義の論理)
の二つが同居してきました。
そして戦後史をざっくり眺めると、
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前半は①が目立った
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後半は②が目立った
と整理できる。
もちろん現実は、外国勢力、宗教、組織、労組、暴力団、メディア、官僚制などが絡み合ってもっと複雑です。
しかし「左翼の二重構造」という補助線を引くだけで、戦後史や現代の政治対立、SNSの炎上、ポリコレ論争などが、かなり見通しよく読めるようになります。
「左翼/右翼」という言葉を万能ラベルとして雑に貼るのではなく、**中身が何の軸で動いているのか(革命なのか、倫理なのか)**を見る。
それだけで、議論は少しだけ賢くなります。
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