2026年2月3日火曜日

2つの左翼 ―左翼の二重構造―

 

2つの左翼 ―左翼の二重構造―

 

 左翼は大まかに2つあります。

 1つは①マルクス、共産主義

 もう1つは現在では「リベラル」というほぼ独立した言葉になってしまった現代的リベラリズム。

 後者は前者から日和見とかプチブル的正義とか保守反動とか人権主義とか市民活動とか文脈によって言われることもありました。

 前者は退潮傾向で、後者は好調な感じです。

 後者をイメージするために列挙してみると差別主義、戦争責任、人権、旧植民地人、少数民族差別、戦争や侵略、植民地(議論は分かれる)への贖罪意識、人種差別、部落問題、抑圧、マイノリティ、障碍者差別、フェミニズム、ポリコレ、LGBT、環境問題、ヴィーガン、グリーンピースやシーシェパードなどになります。

 前者はシンプルに革命、共産主義社会です。

 実は「社会主義」ですら左翼的とは言えない面があります。

 そもそも古典的リベラリズムでも市場主義競争経済でも資本主義でも重商主義でも社会政策くらいは行います。

 「小さな政府」とは言っても政府を0にしろという右翼も保守派も古典的リベラリストもいません。

 政府の役割は「防衛、治安、教育などの最小限なものでいいんだ」と言っても社会保障や福祉を完全に切り離すまで行くのはメジャーではありません。

 自由市場主義とかリバタリアンとかミルトン・フリードマンとか言っても本当に政府が防衛や治安や教育しかしなくなったらびっくりするでしょう。

 中にはそう主張する人もいるかもしれませんが極端は主流にはなれません。

 こういう主張は右翼でもないです。

 極端なマルクスレーニン主義が過激化したようにファシズムが単に右翼や左翼で割り切れないようにある方向への急進化とか過激化とか言えるでしょう。

 急進的で過激なものが左翼というならこれらも左翼です。

 そうすると右翼や中道は「地に足がついた」というか現在位置から漸進的にコツコツ小さい変化を重ねていく勢力ということになり中道は現状の付近での最適化、右翼は昔を理想としてそちらにコツコツと漸進的に復古(例えば王政復古で身分制の復活でフランス革命や啓蒙主義的理念ではないもの)していく勢力になります。

 ただ右翼急進派というのもいて地に足をつけて一歩ずつ漸進的に変えていくのではなく、急進的、飛躍して一気に昔に戻ろうとすることと位置付けられます。

 結論としては右翼や左翼という言葉はいろいろな次元やレベルの異なる意味を含んでいて区別も厳密な定義も与えられず多くは適当に使われているということになります。

 ここでは何かを定義したり整理したりまとめたりするのではなく問題提起としての玄奘を挙げてみました。

 以下に左翼の二重構造について説明します。

 もっといろいろな重なりや次元というか別角度からの様々な見方で分析できますが2つくらいが分かりやすいと思います。

 

 

    マルクス主義・共産主義

これがあまりにも力を持ちすぎてしまって目立ち過ぎました。

社会主義が無制限な個人主義や自由主義を制限しつつ社会保障や福祉などの社会政策を行い、経済的その他の平等をなるべく達成、あるいは維持しようというのであればこれは例えば自由民主党も社会主義です。

 そもそも民主主義である時点で社会主義です。

 民主主義は集団主義であってとんがった個人主義や個人的自由を無制限に認める方向には普通はいきません。

 そうなる可能性があっても現実にはそうはならないでしょう。

 冷戦時代の政権与党の自由民主党も社会保障や福祉を充実させました。

 「金持ち3代続けず」が霞が関の官僚たちのスローガンでした。

 極端な累進課税や相続税により経済的格差をなくそうとしました。

 一億総中流とか護送船団方式とか呼ばれていました。

 いろんな産業を政府や通産省が指導するのですが船の船員というのは上下関係は厳しいものの別の意味では平等なところがあります。

 船みたいな狭い所で極端な経済格差の具現化はできません。

 船長も船員も「同じ釜の飯を食った仲間」みたいなところがあります。

 日本は「世界で一番成功した社会主義国」と呼ばれていました。

 その間社会党も共産党も一回も政権与党になったことはありませんし、社会党内ゲバで騰勢弱体化して以降は議席の上では自民党の一強体制が統治期間の殆どです。

 マルクス主義/共産主義というのは細かい異論は受け入れますしそれも正しいのでしょうがざっくり言えば革命により階級がなく全ての人々が生産手段を共有する共産主義社会を実現する、というだけのものです。

 レーニン主義以降のいろいろな試みはこの実現、実装をどうするかの試行錯誤と実務の失敗と成功の連続です。

 結果として到達できたのは「共産党の一党独裁体制による排外主義的な国家」で現在のところそれが最終到達点です。

 共産主義社会の実現はいまだどの国もどの時代でも達成できておりません。

 「共産党の一党独裁体制による排外主義的な国家」から先に進むよりはむしろこの体制で固定しここから先に進もうとする国や人を粛正、弾圧するようになります。

 ソ連や中国以外の共産主義を目指している国、冷戦時の東側陣営は冷戦崩壊時にソ連のくびきが外れたので共産主義社会を目指すのかと思いきや資本主義社会になりました。

 ソ連も資本主義社会になりました。

 中国も資本主義を取り入れました。

 現在は反動が進んでいますが現在の中国のことを「国家資本主義」というらしいので資本主義社会なのでしょう。

 上海や香港には普通に株式市場があります。

 

・なぜ多くの人が誤解したのか

 

 現在の左翼はリベラルが目立ちます。

 共産党も共産主義者もいるが目立ちません。

 共産党が目立ったのは1950年代半ばくらいまでです。

 そのあとに共産主義を目指して目立ったのは新左翼です。

 60年安保や学園紛争などは新左翼のセクトやセクトに属さない一般人学生、ノンセクラディカルなどが中心で中核派や革マル派や連合赤軍や日本赤軍や全共闘が有名でしょう。

 これが1968年をピークに急速に力を失います。

 1970年代にも爆弾闘争やハイジャックやテルアビブ空港での銃乱射や山荘ベース事件やあさま山荘事件を起こしましたがこれらが革命につながることはありませんでしたし、実行者たち自体もそれで革命を成し遂げられるかと思っていたかというと多分思っていたのですが「自分たちを客観視できない特殊な心理状態での思い込み」だったのではと思えてしまいます。

 彼ら自身が時間が経ってから当時の自分たちを振り返った時にそう思ったのではないでしょうか。

 ただこの人たちは真面目に革命と共産主義社会の樹立を目指していたと思われます。

 そういう人たち以外は現代的リベラルになりました。

 この「リベラル」の人たちは革命や共産主義社会樹立のための活動をしていません。

 試行的にも「風が吹けば桶屋が儲かる」式に革命や共産主義社会の樹立に自分たちの行動が役に立つと思っていたのかもしれませんがあくまで間接的ですし悪く言えば人ごとでちょっとや役に立つかもしれないけどもなるようになる的な感覚以上ではなかったと思われます。

 この人たちは1970年代ごろに突然現れたわけではないのがポイントです。

 結論から言うと戦後GHQにより一度は認められ19472.1ゼネストで逆に反共産主義に転じた(といっても内部に多くの社会主義者、ニューディーラーがいたが)共産党(当時は国際共産党である実質ソ連共産党の日本支部)時代から支配層のインテリゲンチャ、党官僚の権力争い、理論や派遣争いにかかわっていたような上層部は知りませんが火葬共産党員は革命や共産主義社会を目指すガチムチイデオロギストもいましたと思いますが多かれ少なかれふんわりした「心情左翼」的心情を多く持つ人たちがたくさんいました。

    リベラルの特徴をもう一度上げます。

 差別主義、戦争責任、人権、旧植民地人、少数民族差別、戦争や侵略、植民地(議論は分かれる)への贖罪意識、人種差別、部落問題、抑圧、マイノリティ、障碍者差別、フェミニズム、ポリコレ、LGBT、環境問題、ヴィーガン、グリーンピースやシーシェパードなどです。

 これらは①のマルクスレーニン主義の革命と共産主義化の思想と重ならないように見えるかもしれません。

 思想的な意味では全然重ならないのですが、偶然か必然か分かりませんがなぜかテーマが大きく重なります。

 反帝国主義、反植民地主義というのがマルクスレーニン主義、あるいはその後のスターリン主義やトロツギー主義が共有しているものです。

 これは革命のためにはそれらが邪魔という論理でした。

 帝国主義で植民地をもてばその国は革命が起こりにくくなります。

 だから邪魔です。

②②のリベラルの人々も帝国主義や植民地支配を悪いことしたなあと罪悪感を持っていました。

これは心情的、道徳的なもので①の革命や社会主義化を阻害するというのとは全然違う理由です。

でも「帝国主義や植民地支配はあかん」というところが同じだったので混戦というか区別がつかないまま分かったつもりになったというかごちゃごちゃなままにしていた、そしてそれを気づかなかった人々が大量にいます。

ごちゃごちゃにしていたどころかそもそも革命や共産主義化の邪魔という考え方自体持っておらず、「帝国主義や植民地化して悪いことしたなあ」という考えしかもっていない共産党員や社会党員、新左翼、ノンセクラディカル、戦後の左翼活動に心情的に共感した人々が大量にいたと思われます。

この「もともとリベラル」の人たちは戦後の革命の時代には意図せず隠れることになったというか表に出てこなかったと思われます。

それに加えて1970年は①革命や共産主義化をあきらめた人や何となく後ろめたくも実際に革命やきゅさん主義化の活動を行う気に何となくなれずに活動を離れた人々が大勢いました。

こういう人々がもともとリベラル的心情を持っていたかどうかは人によると思いますがこの人々が現在のリベラルの基になりました。

実際には程度の差はあれ二重構造だったと思われます。

①マルクス・レーニン主義と②リベラル心情を同じ人たちが程度の違いはあれ同時に持っていたと考えるのが分かりやすいでしょう。

もちろん①が0の人も②が0の人もいたと思いますがそういう人々も一般化して一緒にみます。

これを①共産・革命・イデオロギーと②リベラル・道徳・心情の二重構造と呼んでみます。

戦後の前半は①‘が圧倒的に優勢で目立った、戦後の後半は②’が圧倒的に優勢で目立った、という形になります。

実際の世の中の動きはこういう日本人だけの思想とか行動だけでなく、外国勢力の工作、宗教勢力の関与、やくざやマフィアやフィクサーなどの絡みもあってだいぶ複雑になりますがざっくり見るとこの2重構造の軸で戦後史やら現在の政治状況やら現在のリベラルやらポリコレやらの状況を見ると理解がはかどると思います。対象世代は100歳以上ですし60年安保世代も100歳超える人が出てきましたし学生運動世代も後期高齢者になってきました。

世代間の意識の違いやら政党支持率などもこういう見方をちょっとしたうんちくというか雑学というか「現代社会の基礎知識」という本が昔は定期的に発刊されていましたがそんな感じで知っておくとなんかの役に立つかもしれません。

 

2つの左翼 ―左翼の二重構造―

 

2つの左翼 ―左翼の二重構造―

「左翼」という言葉は、会話でもSNSでも雑に使われがちです。
しかし雑に使われるだけの理由もあります。左翼には、似ているようで中身が全然違う二つの成分が、長いこと同居してきたからです。

ここでは左翼を、次の二つに分けて考えてみます。

  • ① 革命・共産(マルクス主義系):体制転換を目標にする左翼

  • ② 道徳・心情(現代日本語の「リベラル」):差別是正・人権・弱者救済など、倫理的正義を目標にする左翼

この二つは、結論が似ることはあっても、動機・目的・手段が別物です。
そして重要なのは、戦後日本の「左翼」には、①と②が別々の人として存在しただけでなく、同じ人の中に混ざっていたことです。これをここでは便宜上、左翼の二重構造と呼びます。


0. まず用語整理:「リベラル」は別物になっている

ここで言う「リベラル」は、古典的な意味の自由主義(市場・個人の自由・小さな政府)ではありません。
現代日本語でよく使われる、いわゆる「左派リベラル」――

人権、反差別、マイノリティ擁護、ジェンダー、ポリコレ、環境、動物倫理、反戦・反侵略、植民地責任(贖罪意識を含む)など

の方向の話です。
つまり「リベラル」という語が、歴史的には“自由主義”だったのに、いま日本では“道徳的進歩派”を指すことが多い。ここが混線の出発点です。


1. ① 革命・共産(マルクス主義・共産主義)

①の左翼はシンプルです。ざっくり言えば、

革命によって階級を消し、生産手段を共有し、共産主義社会を実現する

を目標にします。
レーニン主義以降の多くの論争は「その実装をどうするか」の試行錯誤でした。

ところが歴史的に見れば、共産主義を掲げた国々が到達した体制は、理想としての「階級なき社会」というより、党国家(=一党支配)と統治装置の固定化でした。そこから先に進むより、むしろ体制維持のために粛清・弾圧が起きやすくなる。
冷戦終結のとき、東側が「共産主義の理想へ進む」のではなく、資本主義化へ雪崩れ込んだのも象徴的です。


2. ② 道徳・心情(現代的リベラル)

②の左翼は、①と違って「革命」や「共産主義社会の実現」を目標にしません。
むしろ主な関心は、

  • 差別の是正

  • 弱者救済

  • 権力への批判

  • 反戦・反侵略

  • 人権・尊厳の擁護

  • 環境・動物倫理

などにあります。

ここには、理論よりも心情・倫理・道徳的直観が強く働きやすい。
日本的に言えば、判官贔屓(弱い側に肩入れする感覚)や、「偉そうな権力が嫌い」という情緒、あるいはルサンチマン(弱者側の怨恨・反発)なども絡み得ます。

②は、運動としては市民活動・メディア言説・教育・NPOなどの形で現れやすく、①のように「組織と革命」を前面に出す必要がありません。結果として、現代では②の方が目立ちやすい。


3. 「帝国主義反対」の同床異夢:似ているから混同される

左翼が混線する最大の理由はここです。
①も②も、しばしば「反帝国主義」「反植民地主義」「反戦」を言います。結論が似る。

しかし、動機が違う。

  • ①(革命左翼):「帝国主義は革命の邪魔になるから反対」
    帝国が植民地を持ち、外部から利得を得ると、国内の矛盾が緩和され、革命が起きにくくなる。だから邪魔だ、という論理になりやすい。

  • ②(道徳左翼):「帝国主義は悪いことだから反対」
    こちらは倫理的・道徳的な理由が中心で、罪悪感や贖罪意識の形をとることもある。

同じ「反帝国主義」に見えても、①は戦略、②は倫理。
このズレがあるのに、言葉の表面が似ているせいで「左翼は全部同じ」と誤解が固定される。


4. 左翼の“成分比”は時代で変わった(二重構造のポイント)

左翼は「転向」したというより、もともと混ざっていた成分の比率が変わったと考えた方が説明力が高い。

たとえばイメージとしてはこうです。

1950–60年代:①が目立つ時代

  • 革命成分(①):濃い

  • 心情成分(②):混ざっているが脇に見える
    → 左翼が「革命のために戦う人々」に見えやすい

1968年前後〜70年代:①がピーク化し、急速に失速

安保闘争や学園紛争は、①の最後の大きな山でした。
ただしその後、過激化(内ゲバ・テロ化など)と社会的拒絶の中で、①は急速に弱っていく。

1980年代以降:②が前景化する

  • 革命成分(①):希薄(あるいは前面に出ない)

  • 心情成分(②):大きく前面化
    → 左翼が「人権・反差別・市民活動」の顔になっていく

この見方をすると、「革命を目指した人たちが、いつの間にかポリコレや環境問題に熱心な人にスライドしていったのはなぜか?」という現代の疑問が、かなり解けます。

要するに、転向して別物になったのではなく、もともと左翼の内部にあった“心情・倫理”の成分が、革命成分の退潮後に残り、純化し、肥大した――と見るわけです。


5. もう一つの混線要因:「社会政策がある=左翼」ではない

ここも誤解が多い点です。

福祉や社会保障、産業政策、規制強化などは、左翼だけの専売特許ではありません。
自由主義国家でも、資本主義国家でも、そして保守政党でも、社会政策は普通に行います。
「小さな政府」と言っても、政府をゼロにするのは主流になりません。

戦後日本が、結果として「平等っぽく見える時代」を長く持ったのは、共産主義というより、修正資本主義/福祉国家/産業政策の組み合わせがうまく回った側面が強い。
だから「社会政策があるから左翼」「右派だから福祉ゼロ」という単純化はだいたい外れます。


6. 結論:左翼は一枚岩ではなく、二つの力学が同居してきた

左翼という言葉の中には、少なくとも

  • ① 共産・革命・イデオロギー(体制転換の論理)

  • ② リベラル・道徳・心情(倫理的正義の論理)

の二つが同居してきました。
そして戦後史をざっくり眺めると、

  • 前半は①が目立った

  • 後半は②が目立った

と整理できる。

もちろん現実は、外国勢力、宗教、組織、労組、暴力団、メディア、官僚制などが絡み合ってもっと複雑です。
しかし「左翼の二重構造」という補助線を引くだけで、戦後史や現代の政治対立、SNSの炎上、ポリコレ論争などが、かなり見通しよく読めるようになります。

「左翼/右翼」という言葉を万能ラベルとして雑に貼るのではなく、**中身が何の軸で動いているのか(革命なのか、倫理なのか)**を見る。
それだけで、議論は少しだけ賢くなります。

左翼の二重構造 ――「革命の左翼」と「心情の左翼」

 

左翼の二重構造 ――「革命の左翼」と「心情の左翼」

はじめに:左翼は一枚岩ではない

「左翼」という言葉は、現代日本において非常に多義的で、しばしば混乱を招きます。 この混乱を解く鍵は、左翼を大まかに2つの層に分けて考えることにあります。

  1. ① 革命・共産主義(オールド左翼):マルクス・レーニン主義に基づき、社会体制そのものの転覆(革命)を目指す層。

  2. ② 現代的リベラル(心情左翼):人権、多様性、環境などを重視し、道徳的な正しさや弱者救済を目指す層。

かつては①が主流でしたが、現在は①が退潮し、②が前面に出ています。しかし、この二つは完全に別物ではなく、歴史の中で複雑に絡み合ってきました。 本稿では、この「左翼の二重構造」を解き明かし、戦後史と現在の政治状況を見渡すための見取り図を提示します。


1. 「革命の左翼」の夢と現実

共産主義という「システム」

かつて「左翼」といえば、マルクス・レーニン主義(ML主義)を指しました。彼らの目的はシンプルで、「革命によって資本主義を打倒し、共産主義社会を実現すること」です。 しかし、この壮大な実験は、ソ連や中国の歴史が示す通り、「共産党一党独裁による強権的な国家」という最終形態に行き着き、本来の理想である「国家の消滅した平等社会」は実現しませんでした。

日本という「最も成功した社会主義国」

皮肉なことに、冷戦期の日本において「格差の少ない平等な社会」を最も効果的に実現したのは、保守政党であるはずの自由民主党でした。 自民党は「反共」を掲げつつも、国内政策においては極めて社会民主主義的な手法を取りました。

  • 累進課税や相続税による富の再分配(「金持ち三代続かず」)。

  • 護送船団方式による産業保護と雇用維持。

  • 国民皆保険などの社会保障。

船(護送船団)という運命共同体の中では、極端な格差は許されません。自民党は「日本型修正資本主義」というシステムで、実質的な社会主義の理想を(暴力革命なしに)達成してしまったのです。これにより、本家である共産党や社会党(左派)は革命の根拠を失い、退潮していくことになります。


2. 「心情の左翼」の台頭と変質

「リベラル」の定義

ここで言う「リベラル」とは、アダム・スミス的な「小さな政府・自由市場」を指す古典的自由主義ではありません。現代日本で使われる、**「人権・差別是正・多様性・環境・ポリコレ」**などを重視する、いわゆる「進歩派」のことです。

彼らの関心は、経済システムの変革(革命)から、文化や倫理の問題へとシフトしています。

  • 主なテーマ:戦争責任、植民地支配への贖罪、ジェンダー、LGBT、外国人参政権、環境問題(反原発・ヴィーガン)、夫婦別姓など。

なぜ「革命」と「リベラル」は混ざったのか?

思想的に見れば、①(革命)と②(心情リベラル)は全く別物です。しかし、戦後日本においてこの二つは「同床異夢」の状態で混ざり合いました。その接点が**「反帝国主義・反植民地主義」**です。

  • ①革命派の動機: 「帝国主義(植民地支配)は、資本主義の延命装置であり、革命の邪魔だから反対する」。

  • ②心情派の動機: 「植民地支配は、かわいそうだし、道徳的に悪いことだから反対する」。

両者は「反対」という結論で一致しましたが、その動機は「戦略」と「道徳」で全く異なっていました。 戦後の左翼運動には、ガチガチの革命家だけでなく、②のような「なんとなく良いことをしたい」「戦争は嫌だ」という心情的なシンパ(同伴者)が大量に含まれていました。彼らは革命理論など詳しく知らなくても、「弱きを助け強きをくじく」判官贔屓的なメンタリティで左翼運動に参加していたのです。


3. 「二重構造」の正体

革命の蒸発、心情の残留

1970年代、連合赤軍による「山岳ベース事件」や「あさま山荘事件」、あるいは海外でのテロ活動など、過激化した新左翼の自滅により、「革命」の幻想は崩壊しました。 ここで起きたのが、**左翼の「純化」と「分離」**です。

  • ①の層: 革命を諦めて転向するか、あるいはカルト化して孤立した。

  • ②の層: 革命という最終目標(ハードウェアの変革)を捨て、人権や環境といった「正しさ」(ソフトウェアの変革)を追求する活動へとスライドした。

現代のリベラル勢力が、経済政策よりも「ポリコレ」や「ジェンダー」に熱心なのは、かつての左翼から「経済革命」の要素が抜け落ち、残った「道徳的心情」の部分が肥大化した結果と言えます。 彼らは「転向」したのではなく、もともと持っていた②の成分だけが残り、それが現代風にアップデートされたのです。


4. 現代政治への視座 ――二軸で見る見取り図

この「二重構造」を理解すると、現在の野党の状況もクリアに見えてきます。

  • 日本共産党: 依然として①(ML主義の伝統)を核に持ちつつ、集票のために②(リベラル政策)を取り込んでいる。組織の論理は古いが、主張は新しいリベラルと重なる部分が多い。

  • 旧民主・立憲民主党系: ①の成分は薄く(あるいは旧社会党由来で一部残存し)、主に②(心情・人権・立憲主義)をアイデンティティとする勢力。

  • 新党・中道勢力: ②の「行き過ぎたポリコレ」や「現実離れした平和主義」に反発し、より現実的な路線(右でも左でもない生活重視)を模索する動き。

結論:歴史の地層として見る

「左翼」を一括りに批判したり支持したりするのではなく、そこに**「革命のイデオロギー(経済軸)」「正義への心情(文化軸)」**という二つの地層があることを見抜く必要があります。 戦後史とは、前者が圧倒的だった時代から、後者が支配的になる時代への移行プロセスでした。

高齢層の活動家が未だに「反戦・反核」に熱心なのも、若手のリベラルが「SDGsやジェンダー」に熱心なのも、根底にある「現状への異議申し立て」というマインドは共通していますが、そのOS(基本ソフト)は異なります。 この「二重構造」を理解することは、複雑な現代日本の政治や社会運動を読み解くための、最も有効な補助線となるでしょう。

「寝だめ」は若さの特権です。泥のように眠りましょう。

 

「寝だめ」は若さの特権です。泥のように眠りましょう。

「休日に昼まで寝てしまった」 「寝すぎて身体がだるい、時間を無駄にした

そんな罪悪感を抱えているあなたへ。 医師として、最新の睡眠科学に基づいたアドバイスを送ります。

「眠いなら、寝たいだけ寝てください」

日本人は世界でもトップクラスの「睡眠不足」大国です。今のあなたに必要なのは、早起きをして活動することではなく、圧倒的な休息です。 その医学的理由を3つ、お話しします。

1. 「寝る能力」という才能

大谷翔平選手が110時間〜12時間眠るのは有名な話です。彼はなぜそれほど眠れるのでしょうか? それは、「回復するための基礎体力」があるからです。

実は、睡眠には体力が要ります。高齢になると、寝たくても身体の痛みや中途覚醒で長くは眠れなくなります(これを「睡眠能力の低下」と言います)。 もしあなたが、休日に泥のように眠り続けられるなら、それはあなたの脳と身体が若く、回復しようとする力が強靭である証拠です。 「寝だめ」ができるのは、若さと健康の特権なのです。

2. 「寝すぎは寿命が縮む」のウソ・ホント

昔のニュースで「8時間以上寝ると死亡率が上がる」という話を聞いたことがあるかもしれません。 しかし、最新の研究では見方が変わってきています。

「寝すぎたから身体が悪くなった」のではありません。 「身体に隠れた不調があるから、長く寝ざるを得なかった人」がデータに含まれていた――つまり、元気な人が長く寝る分には、健康への害はないというのが現在の有力な説です。 安心して、身体が求めるままに眠ってください。

3. 「戦略的」に眠る

細かいことを言えば、睡眠のリズム(起床時間)は一定の方が良いですし、睡眠時無呼吸などの病気には注意が必要です。 しかし、借金(睡眠負債)がある状態で「理想的な睡眠」を語っても意味がありません。

まずは**「量」の確保**が最優先です。 分割払い(昼寝・二度寝)でも構いません。眠気は身体からの「回復の請求書」です。まずはそれを払い切ってください。


【ただし、これだけは注意(医学的な注釈)】 いくら寝てもいいと言いましたが、以下のような「質の悪い眠り」だけは例外です。これらに当てはまる場合は、一度ご相談ください。

  • 激しいいびき・呼吸が止まる(睡眠時無呼吸症候群の疑い)
  • 10時間以上寝ているのに、日中も強烈に眠い(過眠症の疑い)
  • 気分が落ち込んで、布団から出られない(メンタル不調のサイン)
  • 昼夜逆転がランダムすぎて社会生活が送れない(概日リズム障害)

結論: 上記のような例外がない限り、あなたのアラームを切りましょう。 今日眠いのは、あなたがこれまで頑張りすぎた証拠です。

サプリメントや栄養ドリンクよりも、まずは**「飽きるまでの睡眠」**が、今のあなたにとって最高の医療です。 どうぞ、おやすみなさい。


記事のポイント

  1. 「寝る能力」の強調: 大谷選手の例と「高齢者は寝たくても寝れない」という対比を使い、現役世代の患者さんに「今は寝ていいんだ(むしろ才能なんだ)」というポジティブな納得感を与えています。
  2. 科学的反論(U字カーブの解釈): 「寝すぎ=悪」説を、「逆因果(病気だから寝ていただけ)」という論理でシンプルに否定しました。
  3. 例外(Scientific Seasoning: 「無呼吸」「うつ」「リズム障害」のリスクだけは、記事の後半に「例外」として小さく、しかし明確に記載しました。これで「なんでもかんでも寝れば治るわけではない」という科学的な正確性を担しています。

2026年2月1日日曜日

政党の見取り図

政党の見取り図

 

日本の今の政党を大まかに見ていきます。

若い人は「へー、そうだったんだー」となるし、年配者だったら「そういえばそうだったな」という感じになります。

昔のことが今に関係して今が分かるようになります。

ざくっと書きますがちょっと筆が滑って冗長になったらすみません。

 

 

・自由民主党

 

 自民党は、

    日本をマルクス主義、共産主義にしないための政党です。

 ②アメリカと強調するというのもセットです。

 冷戦は要するにアメリカ(と西欧)を守るためのものです。

 ソ連もモスクワを守るために巨大な緩衝地帯として東欧とかいろんな地域を競ってしています。

 西側も緩衝地帯がありますが緩衝地帯の最前線というか防壁、砦、前線要塞がドイツと日本になります。

 日独の国民性も三国同盟も冷戦期の経済発展も全部偶然ではありません。

 地政学なり歴史的な国土の位置なりが関係します。

 冷戦時代の最前線が、韓国ですが韓国は地政学的に戦争になれば一瞬で終わりますし、日本本土も目くそ鼻くそなのでアメリカとしては沖縄を重視します。

 北海道はすぐ占領させるのでアメリカ軍の最前線は青森の三沢基地になります。

 日本をマルクス主義化(マルクスは長いので〇で代用します)化しないのと新アメリカである以外は何でもありです。

 外国からの工作は日本の政治史で大切ですが冷戦時代は、そして今も構図は簡単です。

 対外交策はアメリカが日に影に自民党を支えます。

 ソ連や中国や北朝鮮は日本を〇化したい感じです。

 アメリカとしては①と②以外極端に言えばどうでもいい感じです。

 日本国内でいうと①が大きいです。

 日本は大昔から天皇がおわします国です。

 崎門学や水戸学がそれを学問化しました。

 水戸の会沢せきしんさいという人が「国体」という言葉を編み出しました。

 まあ何であれ天皇が中心かどうかはともかく天皇制を守ることでこれが戦前は前面に、戦後は背景に、そして歴史全体の事実として日本の特徴は万世一系の天皇制の維持です。

 学問化しようがしまいが伝統を続けるということで、ユダヤ教正統派のジュ―ウィッシュマザーが理由を超越してユダヤ教的教育や子育てに熱心なのと一緒です。

 理屈ではありません。

 何千年も続いているものは継承維持継続する、これだけです。

 ですから女性天皇はよくても女系天皇はダメということになります。

 国内的には③天皇を持続し伝統を守る、が大きいです。

 これは大きすぎてもはや無意識レベルです。

 逆に〇は天皇制反対、妥当天皇制です。

 そもそも共産主義社会に天皇の居場所はありません。

 あってもいいと思いますし、天皇だけはOKというのを〇主義と別にくっつければいいだけと思いますがそうはなりませんでした。

 むしろ日本の共産主義を阻むのは天皇制だ(天皇制という言葉は〇がつくった)ということでコミンテルンの32年テーゼで天皇制は打倒とソ連が決めました。

 これは恣意的だと思いますが日本の〇もそれに従いました。

 冷戦期は〇主義(影響力が強すぎて社会主義の一勢力である〇主義とほぼ同義、細々と社会民主主義がある、実は自民党も社会主義要素は強い)とそれ以外、この2文化、2原論で簡単に理解していいです。

 その前のWW2などの戦争の時代も敵、味方の単純な二元論で割れましたが冷戦期もその延長です。

 片方の軸は明確で〇主義です。

 それ以外が自民党です。

 政治的にはそういう感じになります。

 論壇もそうで〇主義とそれ以外です。

 〇主義以外は政治でも論壇でも自民党とか保守とか右翼とか保守反動とか〇からはいろいろ言われましたが端的に言って〇以外ということです。

 定期が「~以外」ですから非常にごった煮闇鍋みたいな感じでいろいろなものが入っています。

 〇以外オールインワンな感じです。

 

 

・共産党

 これも分かりやすいです。

〇、 レーニン主義です。

ML主義と言っていいでしょう。

Mは〇で、Lはレーニンのことです。

これは新左翼も変わりません。

MLまでは共通でそこからは分かれる感じです。

大きく分けるとスターリン主義とトロツキー主義です。

ユーロコミュニズムグラムシの陣地戦術などは初期の社会党右派は唱えていたようですが日本ではマイナーです。

社会民主主義やドイツ共産党のローザルクセンベルグとかは一応MLとは分けておきましょう。

結局スターリン主義にせよトロツキー主義にせよ日本共産党の自主独立路線にせよMLが強すぎるのと加入戦術などもあり結局MLだけ知っとけばいいと思います。

 日本はそもそも社会主義的です。

 社会思想は大きく分けると個人主義と集団主義があって極端な個人主義や集団主義は哲学的にはあっても現実的にはあり得ません。

 集団種の中には社会主義、共産主義、〇主義、全体主義など分かりやすい集団主義の他、民主主義でさえ社会主義の要素があります。

 民主主義といえども個人主義の極限を主張しているわけではなく集団の秩序と調和を尊重する意味で集団主義的な面があるからです。

 スペクトラムで見ると両極端には哲学的な個人主義と集団主義があって現実的にはスペクトラム上の端っこじゃないどっかでその折衷になります。

 まず大前提として日本はML主義の力が強い国です。

 政治的には実現していなくても、純粋な若者や頭のいい学者だけではなく一般国民もML主義、あるいはもっとゆるめて集団主義、社会主義が正しくて正義で真実で真理だという気持ちが長らくありました。

 もしかしたら日本だけではなく世界中そうかもしれず、下手したら人類普遍的な信条なのかもしれません。

 1955年体制というので共産党は穏健路線となります。

 それまでは4.2ゼネストとか山村工作隊とか武装闘争路線とかでまじめに革命を考えていて、革命というのは多くは暴力というか武力とセットです。

 ちょっと国民の支持を失ってしまってスターリン批判やハンガリー動乱で権威も低下して議会でも惨敗でやばいとなって中共から距離を取り穏健路線をとる方向に変えて宮本けんじの40年間の一党独裁体制で安定しました。

 ML路線は変わらないので革命は目指しています。

 暴力は大体は使わないことにしていますが「敵の出方論」というのを採用していて場合によっては使います。

 学生紛争の時は東大を守るため都学連行動隊というのを組織してやや大人気ありませんが学生相手に大人や労働者や他校学生も動員して全共闘を打ち砕きました。

 別に警察とか機動隊が働く以上に東大は共産党がまもってくれました。

 そのあと都学連行動隊の粛清がありますがそれも大した暴力ではありません。

 ナチスはユダヤ人を殺しましたがソビエトやロシア、中国は基本直接殺しません。

 中国だったらウイグルの強制収容所が有名ですし、ろしあならフクロウ刑務所、ブラックドルフィンなどの刑務所みたいなのがあってそこで暴力もつかいますが原始的暴力ではなく、スペースを与えないとか寝かさないとかそういうのです。

 基本は洗脳です。

 シベリア抑留の日本人が帰還したときに船を降りたら「共産党万歳」と言って隊列を組んで代々木の日本共産党に入党しに行ったのは有名です。

 中国はぷーしゅんの洗脳収容所が有名です。

 共産党はML主義で基本考えてもらった方がいいです。

 共産党も日本のリベラルも同じような主張をすることが多いので両者をごっちゃにして十パひとからげで左翼とか言う傾向があります。

 ただ共産党みたいな筋金入りのML主義者と現代的ふわっとリベラルは同じことを主張していても理屈が全く違います。

 収斂進化、とでもいえばいいでしょうか。

 共産党は古い組織なので5代目、6代目と世襲共産党員がいますがやはり退潮傾向です。

 公平を期していうと自民党も退潮傾向です。

 同じ55年体制の仲間?ですがそういう点でいうと55年体制仲間の社会党は今は党名がなくなって基本的には党名などが何度も変わり今は立憲民主党かと思ったら最近はそれもなくすようで新党中道改革連合というものになるようです。

 

 

・公明党

 

 公明党は創価学会の政党で創価学会は日蓮正宗だか日蓮宗だか法華宗だかから分離した分離した檀家団体です。

 日蓮の仏教宗派としての特徴はいくつかありますがざっくばらんに上げます。

 

    三諦論と法華経の尊重

    普通は三諦論は理解できないので一般人は悟れないのでなむみょうほうれんげっきょうというお題目をとなえること。

    組織維持と拡大とさらに他宗を排斥して法華経という宗教と世俗の政治体制を一致させようとしたこと。

    法華経以外の邪教を信じると国難が起きるので法華経を信じなければいけない

    国難が起きれば法華経が正しいことの証明になる

    国難が起きれば法華経を広めて世俗の政治と法華経と宗教を一体化させるチャンス

    三諦論はエリートが理解できればいいが大部分の人は理解できない

    三諦論を理解できない人はお題目を唱える

    法華経の重視

 

社会党左派の社会主義協会派向坂逸郎などの日本をソ連に占領させることによりヘゲモニーを取るとかマルクスの敗戦革命論や革命主義的配線論とまではいかないかもしれませんが同じ方向性です。

そもそも国が弱るときは権力を取るチャンスなのは万古不易の法則のようなものではありますが。

結果として公明党と日本共産党は似ています。

目的もほとんど同じで違うのは最終的到達点です。

ML主義は理論的には共産主義社会の実現です。

現実的には前衛党の一党独裁の大衆支配になります。

日蓮宗は「神というか空気というか世界に満ちる仏法というエネルギーとの一体化」です。

それをどうやって実現するという理屈かもう一つ不明ですがとにかく権力を握って政治と法華経という宗教の一体化のために権力を取るという感じになるので革命政党的ですしイスラム原理主義とも似ています。

世俗政治の神性体制、神権政治の実現という感じでしゅか。

分かりませんが。

そこでその最終状態の具体的な設計よりはとりあえずヘゲモニーの掌握派が力を持つ傾向があります。

日本共産党と似ているということは日本共産党と仲が悪いということです。

立憲民主党は最初は共産党と手を組んだ、というよりは共産党の加入戦術を受けていましたが現在は公明党と合併して新党中道改革連合というものを作りました

これは公明党による立憲民主党や労組への加入戦術のようにも見えますがそうではないかもしれません。

三諦論は日蓮も天台宗の高僧ですし理解していたでしょう。

本来仏教は三諦論だけでいい面があります。

それを全員が理解すればそれでお釈迦様のミッションはコンプリートです。

大乗仏教の祖のナーガールジュナは空論と中観論で純粋に哲学です。

法華経を加えるのはそれなりの意図がある感じになります。

法華経の久遠仏思想はちょっと特殊でキリスト教神学みたいな感じです。

お釈迦様は法を広めるために人間として表れたかりそめの姿で法は時空を超えて遍く存在し続けるみたいな感じの論法です。

イエスは神であり精霊であるとかロゴスが神であるみたいな感じになっています。

法華経は1~2世紀にできてお釈迦様とナーガールジュナ出現の間の時期の経典でお釈迦様の教えが失われていた時期に成立した経典です。

懐徳堂の富永仲基の加上説風に言えばあとから作られて加えられたものです。

天台智顗も三諦論だけ言っとけばと思うのですが教相判釈したということは学僧としての興味や教育的な意図の他に当時の政治情勢や仏教勢力内部や他宗教、他思想、中国内での布教その他複雑な意図があったと思われます。

法華経が全てのお経の頂点みたいに書いてますが法華経自体で三諦論を学べる感じではありませんので。

天台智顗と同じく日蓮もやや政治的意図で法華経を使った節があります。

まあそういうことを言ってしまえば浄土系の宗教は日本人の半分くらいは浄土系宗教系で葬式も浄土系のお寺の人が多いと思われますし日蓮のように邪教とかとは違いますが選定論だけが仏教ではないのでしょう。

ただ永遠無限の法と一体化してエネルギーを得るみたいなのはやや神秘主義的というかナラティブ的な仏教の使用法になります。

創価学会も敗戦で勢力拡大しましたから政治的というか世直しの遺伝子があるのかもしれません。

 

 

・立憲民主党

 

 これは社会党が変質したものです。

 1955年体制では社会党右派の構造改革派と社会党左派の社会主義協会派が連合して社会党ができまいた。

 社会党右派は社会民主主義、社会党左派はML主義です。

 社会党右派は社会党右派は境界主義派と社会主義の学生団体ののちの社青同改革派と組んで社会党右派を弱体化させました。

 社会党右派は冷や飯ぐらいで後に社民連として社会党から分離します。

 更にのちには江田三郎とその息子の江田五月が社民連から民社党に合流しました。

 江田憲司は江田家の宴席かと思っていたのですがどうも違うようです。

 その後社会党左派はさらに左右に内部分裂して左派の原理主義の向坂派と右派の労組を掌握する太田派に分かれました。

 そして今度は社会党右派と社青同の改革派が組んで向坂派を弱体させました。

 社青同解放派はドイツのローザルクセンベルグ主義です。

 その後は内ゲバで社会党は疲弊して冷戦を迎えます。

 その後社会党は他党と連立して自民党から政権を取るのに成功しました。

 その時に自衛隊合法とか日米安保賛成とか方針転換したので求心力はなくなってしまいました。

 社会党の連立政権も政権担当能力がないのですぐにダメになりその後は社会党も党名もどんどん変わっていきます。

 社会党直系子孫は社民党で今もあります。

 その他の国会議員で痛い人たちがいろんな政党と合従連衡したりくっついたり離れたりしてこの後の説明は正確ではないかもしれません。

 とりあえず民主党という政党を作ったと思いますが民進党に変わりまた民主党に戻って小池百合子の希望の塔に入ろうとして失敗し立憲民主党になりそこから国民民主党がわかれて現在は参院では立憲民主党が政党交付金かなんかの関係で残すみたいですが衆院は解散して新党中道改革路線になってそこから原口議員がゆうこく連合か何かが分離したようです。

 労組も総評系と同盟系があります。

 総評系は公務員の組織で自治労や日教組の他に国鉄は巨大なので複数の労組をもっていましたが国鉄由来のJR総連、電電公社由来の全逓起源のNTT関係の労組、郵便局関係の

全電通があります。

 民間企業の労組の寄り合いは同盟系と言います。

 同盟系は基本は民社党系です。

 総評系は社会党の基盤です。

 共産党系労組は全労連です。

 その他は全労協です。

 なんというか社会主義というか〇主義の歴史は労組と大学の奪い合いの歴史です。

 国民民主党は同盟系の民社党の系譜があると思われましたが詳しい人に聞くとあまり関係ないようです。

 東京の三田だか田町だかに同盟系の組織というか博物館というかそういうのを併設したものがあるので一度見てみると面白いかもしれません。

 総評系と同盟系は現在は連合というのにまとまっています。

 最近は連合会長の芳野氏がよくメディアに出ているので有名かもしれません。

 

 

・まとめ

以上で大体分かりにく政党の歴史は網羅していると思います。

 何か忘れているような気もしますが見落としている政党があったらすみません。

 

 

  

ユダヤ人の非金銭的資本  ―ユダヤ人は優秀か―

ユダヤ人の非金銭的資本  ―ユダヤ人は優秀か―

 

 

 ユダヤ人優秀論があります。

 これは正しいが特殊一般化の詭弁ではないですが罠があります。

 ユダヤ人は世俗的な意味では優秀じゃないし成功しない人が分厚くいます。

 いくつかの意味方からユダヤ人論を脱構築してみましょう。

 

・ユダヤ教徒の大まかな分け方

ユダヤ人にもユダヤ教の宗派にもいろいろあります。

 大きく分けると正統派、保守派、改革派、世俗派というのに分かれます。

 正統派は律法を一言一句正確に守る、ユダヤ教の習慣通りに生きるみたいな立場の宗派です。

 改革派は19世紀ごろもうちょっとヨーロッパ近代社会の世俗的な実体に合わせてやっていこうという立場です。

 保守派は改革派があまりにユダヤ教の規範から離れているのに批判してもうちょっと宗教よりであろうとする改革派と正統派の折衷みたいなポジションで、ドイツ、そしてドイツからアメリカに渡ったユダヤ人から広まった考え方です。

 世俗派はノンポリというかユダヤ教に関心が薄いかなかったりユダヤ教の習慣や儀礼の実践が薄いかなかったりする人たちです。

 これらの人々の関係を見てみましょう。

 説明は大雑把で厳密、正確さは欠くかもしれませんが分かりやすさや読みやすさを重視して説明します。

 最近の傾向としては世俗的ユダヤ人は知りませんが保守派が中途半端とみなされたせいか分かりませんが保守派が薄く先細って正統派と改革派に二極化していく方向が見えるようです。

 

 

・周辺化の理論

 

 最初に大雑把な見取り図を書いておきましょう。

 正統派ユダヤ人は原理主義です。

 原理主義というと日本人はイスラム原理主義とか(あるいはキリスト教原理主義)のイメージがある世代があってちょっと異質な感じを持つ人がいるかもしれません。

 異質かもしれませんが理解としては分かりやすいです。

 それに悪い意味ではそもそもありません。

 啓典宗教は経典・正典が中心にある宗教です。

 聖書の一言一句がたがわず同じであることが大切です。

 またそれをそのまま実践することが大切です。

 そのまま実践するのを妥協なく進めるのが啓典宗教の原理主義です。

 日本では例えば無協会派の内村鑑三がそうでしょう。

 エホバの証人もそうではないでしょうか。

 ユダヤ教の原理主義宗派がユダヤ教正統派です。

 ユダヤ教の正典はヘブライ語の聖書とミシュナと呼ばれる文書になります。

 これの研究と勉強と実践と解釈をどうするのか議論するのが正統派です。

 厳格に聖書の律法を一言一句守ります。

 聖書の冒頭のモーセ五書くらいを読んでみると何となく雰囲気が分かると思いますが聖書の律法を一言一句守って社会生活するのは大変です。

 日常生活も大変でしょうが同じ正統派の家族や親せきやコミュニティの中であれば生活しやすいでしょう。

 ということでユダヤ教徒の正統派は集住する傾向があります。

 集住して環境を律法を一言一句守れるように環境を作ったり変えたりします。

 イスラエルやニューヨークなどのユダヤ教正統派が多い場所がユダヤ教正統派の生きやすい場所になります。

 中世のゲットーはユダヤ人居住地ですが何となくゲットーに押し込められたという文脈で語られがちですが、ユダヤ人が集住した結果ゲットーになったという側面があるかもしれません。

 ヨーロッパ成立期のユダヤコミュニティの成立についてオクスフォードの研究があるようです。

 ヴァイキングか何かにくっついて移動したユダヤ人が初期のオクスフォードの街の中心で商業などを行っていたようです。

 テムズ川の水運交易を研究していた現天皇陛下もこういう研究をしていたかもしれません。

 

・正統派は律法学者

 

 新約聖書を読んでいるとイエスのライバルのような形でファリサイ人や律法学者という人々が登場します。

 これが現代ユダヤ教の源流です。

 ラビユダヤ教徒いいます。

 ラビはユダヤ教の学者・研究者であり聖職者であり教師を兼ねたような存在です。

 ラビユダヤ教ではユダヤ教の研究をすることが律法を守ること並みに大切でした。

 学者民族とか言われるゆえんです。

 ラビがユダヤ教を勉強するだけでなく、ユダヤ人はみなユダヤ教を勉強します。

 ユダヤ教を勉強するということはユダヤ教文書を勉強するということです。

 というわけでユダヤ人は書の民とも言われます。

 文献解釈はいつの時代でも解釈が割れることがあるので活発に議論が行われるというよりユダヤ人の場合は活発に議論することが重要視されます。

 こういう生き方を現在でもそのまま続けているのが正統派です。

 

・正統派の別の側面

 

 正統派はユダヤ教ではユダヤ教の勉強、研究する生き方がよいこととされるため熱心な正統派程ユダヤ教の勉強に時間を使います。

 正統派ユダヤ教の男性は仕事の時間を惜しんで、あるいは仕事しないでユダヤ教を勉強する人がいます。

 いるだけでなくそういう人がたくさんいます。

 ですから正統派ユダヤ教徒は貧しい人がたくさんいます。

 妻子を持っていてもそういう生活をします。

 そして正統派の共同体もそういう在り方を受け入れるというより尊敬します。

 それを支える奥さんは大変ですがそれが正統派の在り方です。

 現代社会ですから奥さんも別にそういう夫や過程を支えない生き方を選ぶ、あるいは途中で離婚して別の稼ぎの良い男性と結婚してもいいのでしょうがまあ正統派のユダヤ教徒の女性はそういう生き方をしてユダヤ教の伝統を守っています。

 正統派の起源は今のリトアニア当たりのハレディズムでそのまた起源はいまのウクライナ西部を中心にポーランド東部、ハンガリー当たりのハシディズムです。

 この系統は18世紀くらいに起こった宗教運動です。

 当時はユダヤ人の中でも異端視されましたが今は正統派と呼ばれています。

 他にも正統派的な宗派はあるのかもしれませんが正統派の中の中心がハレディズムです。

 中世ポーランド王国はユダヤ人を重用し生き方を尊重したのでユダヤ人がたくさん集まりました。

 これがアシュケナージと呼ばれるユダヤ人の元と言えます。

 異端が正統になるのはユダヤに限らず世の中色々な馬車や時代で見受けられます。

 日本でも浄土真宗の大谷派は皇室と婚姻を結んでいます。

 

 

・正統派は頭がよいか

 

 正統派は頭が良いでしょう。

 何せ勉強ばかりしています。

 ただ勉強ができることと世俗的成功、金銭的成功は別物です。

 正統派の勉強はユダヤ教やユダヤ文献の勉強です。

 数学、理科、社会などは中心ではありません。

 教育されないこともあるし、教育されても大した教育はされないことが多くあります。

 イスラエルの建国後はそういう世俗的、ユダヤ教徒以外にとっては異教徒的勉強をしていても後から自分で数学やら理科やらを勉強し世俗的に成功する場合があることが強調される場面もありました。

 ただ普通に考えて初等や中等教育でそういう勉強が手薄いのは正統派の共同体の外で職業生活をするのにハンディキャップになりえます。

 そもそも正統派の共同体を出て世俗的、異教徒的な職業につかない人もいるでしょうし金もうけを重視しない人もいるでしょう。

 現在では普通は正統派どっぷりの人はそんなに我々の言うところの世俗的成功をしない人が多いです。

 でも子だくさんなので家族的には恵まれているかもしれません。

 ただ経済的に豊かでない場合が多くあります。

 正統派の共同体のかなりの割合がユダヤ教の勉強に多くのリソースを費やします。

 一芸は板東に通じますのでユダヤ教の勉強で培った頭の良さが世俗的な成功に役立ったり、役立たせたりする場合もあるでしょうが、正統派が大切にするのはそういう世俗的な成功、金銭や社会的な地位や名誉や評判ではありません。

 結果的には正統は内部では豊かでない人が多くなります。

 「貧乏子だくさん」と言ってもいいかもしれません。

 

 

・正統派が外の世界とかかわる時

 

 正統派のユダヤ教徒をルーツに持つユダヤ系の人が何らかの理由で正統派コミュニティの外側の世界とのかかわりを持つ時にその持ち前の頭のよさやメンタリティが世俗の社会での大成功をもたらす場合があります。

 これはナポレオンがゲットーを解放したときかもしれませんし、厳格なユダヤ教徒が宗教性を緩めて正統派外との交流を強める場合かもしれません。

 また自分から正統派のコミュニティを離れたり、ユダヤ性を緩めて正統派外の社会と交流を持とうとする場合もあります。

 正統派を曲げないまま外部の世界と交流を持つ人もいますし、共同体全体の宗教性が薄まっていくときである場合もあるでしょう。

 こういう時にユダヤ人が非ユダヤ人社会、俗世間、ユダヤ教内でも緩い宗教性のユダヤ人の間でやユダヤ人と関係ない人の中で大活躍、大成功する場合があります。

 例えば19世紀から現在までそういう傾向がみられます。

 いわゆる「ノーベル賞の1/32/3がユダヤ人」という場合です。

 正統派は現在はハレディズムのことをほぼ指しているような感じなっていますがどこの地域のユダヤ社会でもユダヤ教を厳格に守り世俗的成功などを巷の栄華を顧みず熱心にユダヤ教を研究したり教育していたりする人たちはいます。

 ただ近代は脱宗教家の時代でもあってユダヤ人もその例外ではありませんでした。

 ユダヤ人のスピノザの哲学を嫌って殺そうとした話は有名です。

 『屋根の下のバイオリン弾き』という映画がありますがユダヤ人が世俗の波の影響で共同体が緩んでいき、最後はポグロムという旧ロシア帝国圏でのしばしば起こったユダヤ人の殺戮を逃れるために故郷を離れる話です。

 初期のユダヤ人の脱ユダヤ化としては音楽家のメンデルスゾーンで知られるユダヤの名門メンデルスゾーン家などが有名です。

 19世紀や20世紀の有名なユダヤ人はユダヤ教徒でない場合も多く、ユダヤ系といった方が正確な場合も多いです。

 祖父母や両親の代で改宗するばあいもあります。

また家族や共同体ごと世俗化してユダヤ教が薄まっていきユダヤ教徒でなくなってしまう場合もあります。

これはアインシュタインが有名です。

ユダヤ教徒はユダヤ人でしょうが、ユダヤ人という場合にユダヤ教徒であるとは限りません。

またユダヤ教徒を辞任していてもユダヤ教の律法や習慣を守っていない人も大勢います。

ユダヤ教徒、ユダヤ系、ユダヤ人、こういったものはきちんと使い分けなくても普通の日本人には関係ない場合が多いでしょうけれども、ユダヤ人やユダヤ教などを勉強する場合には細かく整理した方が分かりやすい場合も多いです。

 

 

・どんな時に「優秀なユダヤ人」が現れるか

 

周辺化、宗教や共同体の希薄化、共同体が維持できなくなってよその土地に移り住まなくなってしまった場合などは濃いユダヤ人、ユダヤ教をより厳格に守ろうとする人々が世俗化したり宗教性を希釈化させないといけなくなって、正統派的ユダヤコミュニティの外に出てくる、出てこざるを得ない場合があります。

あるいはユダヤ人以外と婚姻を結んで子供を作る場合もあります。

正統的なユダヤ教徒ほど母親がユダヤ人であることを重視します。

母親がユダヤ人でない場合にはいろいろその他の条件をそろえないとユダヤ教徒と認めない宗派もあります。

ライフコース論で有名なエリクソンは母親が非ユダヤ人男性と結婚して母子家庭になりユダヤコミュニティで育って大変な苦労をしました。

その体験が彼が「セルフアイデンティティ(自己同一性)論」を作った要因だと言われています。

そういう人々やその子孫が鍛えぬいた頭の良さをユダヤ教以外の分野に向けた場合ユダヤ人の頭の良さ、メンタリティが強みとして何かの分野で大成功する場合があります。

実例としては「教育学におけるハンガリーの奇跡」と呼ばれる現象があります。

19世紀末から20世紀にかけてのブタベストから天才的なユダヤ人が群がり現れました。

ハンガリーもブタベストもユダヤ人が多い地域です。

ただハンガリーやブタベストが優秀なユダヤ人をずっと輩出し続けたわけではありません。

一次的な現象です。

現在は当時に比べてハンガリーにもブタベストにもユダヤ人は少ないですし宗教色の強いユダヤ人もそこまで目立ちません。

 

 

・大きな流れとして

 

 正統派ユダヤ人コミュニティの中ではユダヤ人はユダヤ教に一心不乱です。

 正統派ユダヤ人のコミュニティでなくてもユダヤ人コミュニティの中でユダヤ教に厳格な人々がいて彼らはよく学び、結果として頭がよくなります。

 しかし別に頭を浴したり世俗的に成功したいからユダヤ教を勉強する人もいるかもしれませんがそういうケースは一旦例外的に考えてもらっていいと思います。

 世俗や非ユダヤ的な世界、マジョリティが作る一般的社会に入っていくということはユダヤコミュニティから距離ができていくこと、ユダヤ教性が緩まっていくことと強い相関があります。

 そういった段階でユダヤ人は、あるいはユダヤ系の人は主に知的分野で大活躍、大成功をする場合があります。

 全員が躁ではありません。

 大きく見ればユダヤ人でなくなってしまうユダヤ人の方が多いでしょう。

 これは人類の大部分が奴隷の子孫だとか、日本人のほとんどが天皇陛下と遠い親戚で血がつながっているのと同じで単純で簡単な確率計算が分かれば理解できるでしょう。

 検定論の有意差と同じ理屈でそうでない確率が極端に低すぎて現実的にはあり得ないという結論になります。

 これは進化論と同じです。

 ユダヤ人が優秀だから生き残ったわけではなく、生き残ったユダヤ人、環境に適応して生き延びれたユダヤ人だけがユダヤ人というわけです。

 世の中にユダヤ人の血を引いた人がいてもユダヤ人でない人がたくさんいるということで進化論を考えるときに間違いやすい点ですし、ハーバード・スペンサーなどの社会進化論的発想や優生学などがちょっとおかしいくつかわれる原因になります。

 ユダヤコミュニティから離れ、ユダヤ教性が薄まり、知的能力がユダヤ教以外の分野に向けられたときにその分野ですごい功績を残す場合があります。

 でもユダヤコミュニティと離れすぎたりユダヤ教性がなくなるとユダヤ人、ユダヤ系ですらなくなる、というかそういうことがよくわからなくなり非ユダヤ人になります。

 

 

 

・生物学的な視点をちょっとだけ

 

 ユダヤ人は家族制度的に女系です。

 母がユダヤ教徒でないと基本はユダヤ教徒にならないのでミトコンドリアDNAが保存されます。

 これは遺伝学的な研究結果がエビデンスとなります。

 またY染色体もJハプロタイプというのがあってこれはレバント地域やあら日や半島などセム系の土地で多く見られます。

 ユダヤ人の優秀さとそれらを結び付けるのはちょっと無理筋です。

 ユダヤ人の優秀さを遺伝学と結びつける仮説として近親婚によるインブリード仮説があります。

 ユダヤ人は今では知りませんが共同体内で閉鎖的に婚姻関係を結んでいたと思われるためか常染色体劣性遺伝が多いです。

 スフィンゴミエリンなどの脂質系に関する代謝の問題でテイサックス病やゴーシュ病やニーマンピック病などが知られています。

 ホモ接合体では遺伝疾患を発症しますがヘテロ接合体ではこれが知能に有利に働くという説があります。

 人間は脂質で出来ているようなところがあります。

 容姿もスタイルも脂質が作るものです。細胞膜も脂質で作られています。神経細胞の樹状突起などを取り巻くグリア細胞などの特性が加わりホモ接合体では知能が高くなるのではないか、という仮説があります。

 昔調べた時より詳しいことが分かっているようなので研究はされているのでしょう。

 ちなみに統合失調症の起源論として脂質代謝がかかわっているのではないかとかサルが人間に進化するにあたって脂質代謝が関係しているのではないかという説も昔ありましたが今はどうなっているかはわかりません。

 生物学も遺伝子のことも爆発的に研究が進んでいるので昔よりいろんなことが分かっているのでしょう。

 

 

・ユダヤ人は日本の恩人だから感謝の心を忘れずに

 

 日本の明治以降の発展は基本的に自分たちで成し遂げたところがあります。

 第二次世界大戦以降はアメリカのお陰がめちゃめちゃ大きかったですが。

 日本は植民地化されるのが嫌だったので二宮尊徳的な自力根性と、どうしてもお金が必要な時には投資ではなく融資だけで何とかしようとしました。

 有名な例が日露戦争の時です。

 日本と帝政ロシアが戦ってもまずロシアの勝ちです。

 実際にも一応日本の勝ちにはなっていますが内容を見るとまあ引き分けと言っていいような辛勝です。

 負ける日本にお金を貸してくれるような奇特な人はいないはずでしたがユダヤ人が負けるの覚悟ということは返済されないのを覚悟でお金を貸してくれました。

 これはユダヤ人側にも同法がロシアで迫害されているとか他にもいろいろ意図があったのかもしれませんがこれがないとそもそも日本はロシアに負けていたと言っていいでしょう。

 日本人はちゃんとお金を返すのが国民性なのでちゃんと返しましたが普通は不良債権となって焦げ付くような外債を引き受けてくれたヤコブシフやそのバックのロスチャイルドやユダヤ系金融資本には足を向けて寝られません。

 あの時にお金を貸してもらえなければ日本は最悪滅んでいた可能性もあったでしょう。

 受けた恩は忘れないようにしないと徳がうしなわれますし、理屈でなく感謝するのが敬の精神というか大切なことです。

 ちなみにその時シフにお金を貸してもらえたのは高橋是清の功績です。

 高橋是清は緊縮財政でどん底になっていた大学を出たけれど就職先もなく東北の農民は娘を未売りに出さないといけないような状況の中で経済緩和で立て直しました。

 軍部のテロで暗殺されてしまったので道半ばだったかもしれませんが。

 緊縮財政とか国民の窮状を顧みず、あるいは気付かず行い続けると国を誤ります。

 最終的に大日本帝国は滅亡してしまいましたが日本国は国を誤らないようにしましょう。

 結果としてシフの融資は現代日本という資本、あるいは日本を形成する資本の束をつくりました。

 資本は資本を生みますがお金に変わると一言されてしまうことが多いです。

 資本主義は前近代的なものを解体する、ということです。

 地球の環境と自然と伝統と遺跡と資源と全てをお金に換算するのが近代経済学の、資本主義でもマルクス主義でもゴールです。

 それらは無限の経済的成長と経済的イノベーションを求めています。

 全ての自由エネルギーを使いつくしてエントロピーを最大化するのがすべてをお金と価値と価格にした状態ですが資本の変換は必ずしも可逆ではないですし、多くは不可逆です。

ユダヤ数千年の歴史も日本2600年の神話からの歴史も壊すのは簡単です。 

ユダヤ人の「見えざる資本」と、資本が資本を生む変換装置 ――お金は“種”であって、“森”じゃない 🌳💴

 

ユダヤ人の「見えざる資本」と、資本が資本を生む変換装置

――お金はであって、じゃない 🌳💴

「ユダヤ人は優秀だ」という雑な一言は、たぶん半分当たってて、半分ズレてます。
当たってる部分は「ある局面で、とんでもない成果が出る」こと。ズレてる部分は「それを生まれつきの本質で説明したくなる」こと。

ここでは、**“人間集団が持つ資本は多種類で、互いに変換され、時間で複利化する”**という一本の線で書きます。ユダヤ共同体は、その変換が歴史的に強烈に回ってきた例、という扱いです。
(そして同じ話は、日本にも、世界のどの共同体にも当てはまる――ここが着地点です。)


1. 「資本」はスカラーじゃなくてベクトル(束)である 🧠📚🤝

社会学者の ピエール・ブルデュー は、資本を**経済資本(お金)**だけでなく、文化資本・社会関係資本・象徴資本などの「変換可能な資源」として捉えました。資本は形を変えて移動しうる、という発想がキモです。

政治学者の ロバート・パットナム も、社会関係資本を「ネットワーク・規範・信頼」など、協力を可能にする社会の性質として定義します。

**だから資本は「一つの数」じゃなくて、複数成分の資本ベクトル”**として扱うと理解が速い。
そして社会は、だいたいこう動きます:

資本ベクトル × 変換ルール(制度・教育・宗教・文化) × 時間別の資本ベクトル(増えたり偏ったりする)


2. ユダヤ共同体(特に正統派圏)が持つ「資本」の棚卸し(網羅版)📦

「社会関係資本」だけでは全然足りないので、**“資本の束(bundle”**として並べます。
「ユダヤ人一般」ではなく、共同体が長期で蓄える資源として読むと安全で強いです。)

A. テキスト・教育・知の資本

  • 聖典(テキスト)資本:テキストが共同体のOS。世代を超えて更新される共通の参照点
  • 読解・解釈資本:難解テキストを読む、矛盾を抱える、議論する訓練(いわば解釈筋トレ
  • 教育資本:学習を「美徳」として制度化(家庭・宗教・共同体で再生産)
  • 人的資本:集中力、論理、記憶、議論耐性などが技能として貯まる

B. ネットワーク・互助・信用の資本

  • 結束(ボンディング)資本:共同体内の強い相互扶助(貧困耐性=セーフティネット)
  • 橋渡し(ブリッジング)資本:外部社会との接続点(商取引・学界・移民ネットワーク)
  • 信用資本:評判、約束を守る規範、内部での監督コストの低さ(取引コストを下げる)
  • 慈善・互助の制度資本:寄付・救済・教育支援などの仕組みが常設化している

C. 歴史・伝統・記憶の資本(ヘリテージ資本)

  • 歴史資本:過去の経験が意思決定の辞書になる(成功も失敗も学習済みデータ
  • 伝統資本:儀礼・習慣が生活を型として支える(行動が安定し、共同体が持続する)
  • 境界資本:何を守り、どこからが外か、という線引き(同一性の保存装置)
  • 物語(ナラティブ)資本:共同体の意味づけが、困難時の心理的・社会的燃料になる

D. 可搬性(ポータビリティ)資本

  • ディアスポラ(分散)資本:国境を越えて拠点が分散=単一国家リスクを減らす
  • 言語資本:複数言語・複数文化の往復(翻訳能力=適応力)
  • 職能の可搬性:場所依存しない技能や専門性に寄せやすい(歴史的事情も含む)

E. 規範・制度・法の資本

  • 規範資本:行動規範(生活律)が共同体の秩序コストを下げる
  • 法文化資本:規範を「条文+解釈+議論」で運用する文化(制度設計・契約・ルール感覚に接続)

F. 象徴・文化・美意識の資本

  • 文化資本:芸術・学問・教養・ユーモア・批評精神
  • 象徴資本:名誉、肩書き、共同体内評価(他の資本の交換レートを上げる)

G. 生物学的(遺伝的)資本は「扱い方が難しい」🧬

ここは火薬庫なので、**“結論ではなく論点”**として位置づけるのが知的に良いです。
アシュケナージ系で特定の遺伝性疾患が多いこと、そこから「ヘテロ接合体が認知に有利かも」という仮説が出たことは事実として整理できますが、反論・批判も強く、決着していません。
この話は説明力が強そうに見えるわりに、誤用されやすいので、主役にしないのが得策です(主役は制度・教育・ネットワークの変換力)。


3. 変換のエンジン:「正統派」は知の生産工場であり、世俗的成功工場ではない

あなたの原稿の白眉だった点――「正統派の知的訓練が、外部世界に接続された瞬間に爆発する」――を、資本変換として言い直します。

正統派(特にハレディなど)では、トーラー学習が至高の価値になりやすく、結果として世俗的な意味では貧困が厚くなる、という現象が観察されます。
ここが重要で、

  • 共同体内部
    「宗教資本・伝統資本・結束資本・テキスト資本」が最大化
    (交換の優先順位が低いので)「経済資本」は最大化されないことも多い
  • 境界をまたいだ瞬間(世俗化・移住・職業転換)
    宗教文献の読解・議論で鍛えた 人的資本/教育資本 が、
    学問・法律・医療・工学・金融・起業変換される

つまり「天才が生まれる」のは、民族の魔法というより、
高密度の訓練資本が、外部の評価関数(市場・大学・特許・出版)に接続された瞬間に、換金(換価)されるからです。


4. “生き金の具体例:日露戦争の外債調達は「資本変換の連鎖」だった 💸➡️🏭➡️🏛️

ここで日本の話に接続します。

日露戦争期、日本は海外での資金調達が死活的課題になり、高橋是清 がロンドンやニューヨークで外債を組成していきます。研究では、海外での起債成功が戦費・国内経済の下支えになり、海外起債なしに戦争遂行は極めて困難だったという評価が書かれています。

その過程で、ジェイコブ・シフ と クーン・ローブ商会 の関与が大きかったこと、1905年末までに総額2億ドル規模の起債が行われたことが論じられています。
また、フランス側では ロスチャイルド家 が引受団に入り、配分の一部を担ったことも記録されています。

ここを「生き金」として読み替えると、構造はこうです:

資本変換の連鎖(図式)

  1. ユダヤ共同体が蓄えた
    社会関係資本(ネットワーク)+信用資本(評判)+制度資本(金融実務)
  2. それが戦時の日本に注入され、
    **
    金融資本(外債)**として具体化
  3. 外債は戦費だけでなく国内経済の弾力にもなり、
    産業資本・制度資本・国家信用の維持に寄与
  4. その結果として(反実仮想を最小限に言えば)
    「日本という資本束」が毀損せずに時間を得た
  5. その時間が、教育・産業・文化・制度の資本を増やし、
    今日の日本の厚みになった

そして動機の部分も、単なる金儲けだけでなく、帝政ロシアの反ユダヤ政策や迫害への反発(ロシア系ユダヤ人への思い)が絡んでいた、という論述があります。
ここが美味しいところで、倫理(道徳)資本が、ネットワーク資本を介して、金融資本になり、国家の制度資本へ変換される
「お金だけじゃない」が、ただの綺麗事じゃなく、現実に作動している例です。


5. 構造主義っぽく言うと:社会は「資本の変換則」でできている 🧩

あなたの狙い(物理・数学・構造主義で一本線)に寄せて言うなら:

  • 資本の種類は記号の集合(経済・教育・信用・伝統
  • 共同体はそれを変換する**写像(ルール)**を持つ(教育制度・宗教律・家族戦略・互助)
  • 歴史は、その写像がどの環境で**増幅(ゲイン)**を得るかの実験場
  • 成功とは、個体の能力だけでなく
    **
    「変換が起きる条件がそろった」**という系の性質

ここまで言うと、「ユダヤ人は優秀か?」の問いは、だいぶ別物になります。

優秀さ=才能の本質
ではなく
優秀さ=資本束 × 変換則 × 時間 × 環境適合


6. 日本版の結論:「日本という資本束」をどう育てるか 🇯🇵🌾

あなたが書きたい核心はここだと思います:

  • **ヘリテージ(歴史・文化・制度・信頼)**は、ただの飾りじゃなく「資本」
  • それは放置すると減価するが、手入れすると複利化する
  • 生き金とは、単にリターンが高い金ではなく、資本変換を起こす金である

ユダヤ共同体の例は、「特殊な民族論」ではなく、
資本が資本を生む構造の、極端に見やすい標本です。

そして日本もまた、すでに巨大な資本束を持っている。
信頼、治安、職人性、教育、衛生観念、共同体の作法、制度運用の粘り、災害対応のノウハウ……
これらは**お金に換算しにくいが、いざというとき換算される側”**です(危機・外交・産業・観光・医療・学術で交換レートが跳ねる)。


世界は「お金で動く」のではなく、「資本の変換で動く」。
お金は資本の一形態にすぎない。
歴史・伝統・教育・信頼・ネットワーク――それらが変換されるとき、社会は伸びる。
日露戦争期の外債は、金融国家の時間を買い、その時間が日本という資本束を育てた例だった。