2025年10月13日月曜日
現代哲学から見た社会観、保守思想だけ特殊、特別
現代哲学から見た社会観、保守思想だけ特殊、特別
・哲学の対象
哲学というと西洋哲学のことをさすとしていいです。
哲学は結局存在論と認識論になります。
道徳とか判断力などの価値判断も昔は哲学の範疇でした。
私が昔勉強した30年ほど前は哲学は倫理学の一分野になったようなことを書いていましたが最近調べると哲学が倫理学を含むそうです。
まあ伝統的にみればそれが伝統的な考え方です。
英語のphilosophyの意味の広さから言えば当然かもしれません。
近現代になるにつれて人間の生死には意味がないという考え方が支配的になっていきます。
意味は与えられるものではなく自分で作るものです。
実存主義哲学くらいからその傾向があります。
ニーチェの哲学の到達点はニヒリズムであって超人思想は二次的なものでしょう。
サルトルは人間は自由の刑に生きていると言いましたが自分はその自由の選択としてマルクス主義の実現に尽くしました。
現代哲学でもポスト構造主義では生に何かが意味を与えてくれるものではありません。
必要なら自分で作ったり決めたりするのです。
これを前提とすると…
・自由に決めていいのなら保守主義だけ特別
近現代には生死に意味はないというのは当たり前のようになっていますがそれ以前にもそういう考え方があります。
例えば中世と近代の間の時代、イギリス経験論のタブララサです。
人間の精神はもともとまっさらで経験が認識や存在を作っていきます。
そのイギリス人の国民性は保守的と言われます。
世の中何の意味もなく自由であればいろいろな可能性や選択肢の中で今あるあるがままのみが特別なものになります。
人間は哲学的な存在論や認識論で確かなものは何もないかもしれませんが日々あるがままの日常を生活しています。
そのあるままの日常のみが特別です。
自由は未来に対しては意味があるかもしれません。
しかし今や過去は変えられない世界を我々は生きています。
実存哲学者のハイデガーも保守的な人だったと思いますが世界内存在という概念を提示しています。
我々は与えられた世界の中に投げ入れられた、投企された存在として生きているという考え方です。
英語でexistenceです。
実存の英語はex+sistenceですからある意味投企の直訳です。
特別があるとすれば投げ入れられた世界そのものでその世界をそのまま守っていくのが保守になります。
特に失うと二度と元に戻らないもの、不可逆なものは守ることが眼目です。
逆に可逆なものはいくらでも変えていいということになります。
新しい文化や文物でも導入したければしてもいいですし、今あるものでも復元可能であれば改造していいということになります。
これが「日本の文化は外の文化を選択的に取り入れて編集する文化」と言われるゆえんになります。
たしかレヴィ=ストロースがこういうことを言っています。
何かの理想、イデア、イデオロギーで復元不可能なほどに与えられた世界を壊すのは保守的な文化では好まれません。
つかり革命は好まれません。
しかし復古はありです。
大まかにいうと革命は失敗する傾向があります。
日本の明治維新は下手な革命以上の大改革でしたが王政復古であったため比較的うまくいった方ではないでしょうか。
・愛着と愛情
信・信頼・信用とシステムの関係については別の文章で近々まとめます。
信頼というのは影の黒子ではなくむしろシステムや集団や組織の本質というものです。
ポイントは人間とか生物に限らないということです。
簡単にまとめると「信頼とは、あるシステム(社会、組織、人間関係など)を持続可能にするために、未来の不確実性を低減させ、安全で予測可能な相互作用を可能にする社会的な仕組み」
みたいに表すことができます。
これは人間や社会だけにとどまらずもっと別の物にも拡張できるかもしれません。
より一般的な定義として、
「信頼とは、あるシステムを構成する一つの要素が、他の要素の機能を想定通りに利用できる状態。これにより、システム全体の複雑性を縮減し、より効率的な運用を可能にする仕組み」
と言えます。
それはともかくとして普通に人間生きていると自然な愛郷心、愛国心が芽生えます。
もちろん自分の生まれ育った国に嫌いなところはあるでしょう。
ただ原始的信頼というのは精神分析学的発達心理学では人間の原点のようなものです。
自然に生きていれば全く家族や地域や国に無関心であったり嫌いだけということはないです。
これはひどい境遇、虐待、幼児期からの逆境体験で痛めつけられた人でもそうです。
それなりにメンタルの問題を長じて後に生じることがありますが生じるということは幼児期には信頼とか愛着とかが必要なのです。
これは動物実験でも確認されていてある種の生物では信頼だか愛着がないと死んでしまいます。
霊長類の実験でもやはりおかしなことになることが確認されています。
だから与えられた世界を保ち守る保守は特別です。
保守以外はいろいろな方向があるかもしれませんが世界を変えてしまおうとする試みというかトライアルというかチャレンジになります。
何かを変えるのはリスクを伴います。
何も変えない保守もリスクはあるかもしれませんがすでにある信頼や愛情の土台があるのと壊すのとではかなりというか根本的に違うことをすることになります。
・というわけで保守思想だけは別格
保守思想が偉いとか優れているとか言っているのではありません。
特別なのです。
変えたり壊したりするのはいつでもできます。
逆に過去を現在に変えずに保ち守り変えないできたということは特別です。
大きく壊すと大抵おかしくなります。
フランスの全盛期はフランス革命の前ではないでしょうか?
フランス革命後は今に至るまでいつまでたっても国が落ち着きません。
ロシア革命もそうです。
いまだに国が落ち着きません。
別に革命も大切な時はあるのかもしれませんが細心に行うべきです。
でないと大体人的、物的損害が酷いことになりがちです。
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