2026年2月9日月曜日

「一雨一暖(いちういちだん)」と「冬季炎症」 ——季節の不調を“分子の言葉”で解き明かす

 

「一雨一暖(いちういちだん)」と「冬季炎症」

——季節の不調を“分子の言葉”で解き明かす

昔から、春の気配を感じるこの季節になると、祖母がよくこう言ったものです。 「春は、雨が降るたびに暖かくなるんだよ」

気象用語で「三寒四温」や「木の芽時」と言われるこの時期。私たちの身体もまた、寒暖差や気圧の変化に翻弄され、「なんとなくダルい」「古傷が痛む」「気分がふさぐ」といった不調を感じやすくなります。

これまで、こうした不調は「自律神経の乱れ」や「気合不足」という曖昧な言葉で片付けられがちでした。しかし、近年の遺伝子研究によって、私たちの身体には驚くべき**「季節性」**がプログラムされていることが明らかになってきました。

今回は、季節の変わり目の不調を、最新の科学と進化の視点から**「分子の言葉」**で翻訳し直してみましょう。

1. 人体には「冬の戦闘モード」がある

2015年、科学雑誌『Nature Communications』に掲載された論文(Dopico et al.)は、医学界に衝撃を与えました。

世界中の大規模なデータを解析したところ、ヒトの遺伝子の約4分の1(約5000個)が、季節によって発現量を変えていることが判明したのです。特に注目すべきは、**「冬になると、体内の炎症レベルが上がる」**という事実です。

冬の間、私たちの身体は、IL-6(インターロイキン6)やCRPといった「炎症性サイトカイン(免疫の攻撃命令物質)」のベースラインを意図的に引き上げています。これを専門的には**「季節性転写プロファイル(Seasonal Transcriptional Profile)」**と呼びます。

つまり、冬のダルさや体の痛みは、あなたの気のせいではありません。身体が分子レベルで**「冬の戦闘モード(炎症モード)」**にスイッチを入れている証拠なのです。

2. なぜ冬に「炎症」が起きるのか? ——進化のミスマッチ

なぜ、身体はわざわざ自分を苦しめるような「炎症」を冬に起こすのでしょうか? その答えは、太古の昔、人類が過酷な自然環境で生きていた時代にあります。

原始時代、冬は「死」と隣り合わせの季節でした。寒さによる体力の消耗、そして何より恐ろしい感染症。抗生物質も暖房もない時代、ウイルスや細菌が侵入した瞬間に、過剰なほど免疫を焚き付け、熱を出して戦わなければ、人類は生き残れませんでした。

  • かつて(原始時代): 冬の高炎症 = 感染症から身を守る**「生存戦略」**

  • いま(現代社会): 冬の高炎症 = アレルギー、自己免疫疾患、うつ、動脈硬化の**「リスク因子」**

これは、飢餓に備えるための「節約遺伝子」が現代では肥満や糖尿病の原因になったり、出血死を防ぐための「凝固能(血の固まりやすさ)」が現代では脳梗塞の原因になったりするのと全く同じ構図です。

清潔で医療の発達した現代において、冬の過剰な免疫反応は、もはや不要な「遺物」となりつつあります。これを**「進化的不適合(エボリューショナリー・ミスマッチ)」**と呼びます。現代の私たちは、平和な街中で、身体だけがまだ「冬の戦場」に備えて鎧を着込んでいるような状態なのです。

3. 「冬のうつ」の正体は、脳への「籠城(ろうじょう)命令」

この「冬の炎症モード」は、メンタルにも深く影響します。 体内で増えた炎症性サイトカインは、脳に対してある命令を出します。

「今は体内で戦争(炎症)が起きている。外で活動してエネルギーを無駄にするな。寝ていろ」

これを医学的に**「シックネス・ビヘイビア(Sickness Behavior:病的行動)」と呼びます。 冬になると「朝起きられない」「やる気が出ない」「気分が落ち込む」のは、脳がサボっているのではなく、免疫システムが「感染防御のための籠城作戦」**を強制執行している状態なのです。

インフルエンザなどの症状が、夏よりも冬に重くなりやすいのも、ウイルス自体の強さだけでなく、私たちの身体がすでに「炎症の火薬庫」満タンの状態であり、爆発(高熱や強い症状)を起こしやすい下地ができているからだと考えられています。

4. 一雨一暖(いちういちだん)、炎症一段下がる

しかし、季節は必ず巡ります。 冒頭の**「雨が降るたびに暖かくなる」**という言葉を思い出してください。

春先に降る雨は、南からの暖かい空気が連れてくるものです。私たちはこれを、暖かさを招く雨として**「招暖雨(しょうだんう)」**と名付けたいと思います。そして、この雨が降るたびに気温が上がり、私たちの遺伝子のスイッチも「冬の戦闘モード」から「春の弛緩モード」へと切り替わっていきます。

雨が降るたびに、張り詰めていた交感神経が緩み、高まっていた炎症レベルが一段ずつ下がっていく。 **「一雨一暖(いちういちだん)」**は、気候の話であると同時に、私たちの身体が平和を取り戻していくプロセスの表現でもあります。

まとめ:季節の変わり目を乗りこなすために

今、体調がすぐれないと感じている方へ。 それは「寒暖差」や「自律神経」といった曖昧な理由だけではありません。あなたの身体にある何万年もの記憶(遺伝子)が、冬の環境に過剰反応している**「進化的ミスマッチ」**が原因かもしれません。

「今は、身体がIL-6の季節性変動で、ちょっと頑張りすぎているんだな」 「脳がスリープモードに入ろうとしているのは、太古の生存戦略なんだな」

そうやって、ご自身の身体の反応を客観的な**「分子の言葉」**で理解してあげるだけでも、心の持ちようは変わります。

春の雨音を聞きながら、「一雨ごとに、体の中の炎症も洗い流されていく」とイメージしてみてください。本格的な春は、もうすぐそこまで来ています。


【補足:医療従事者・専門的な関心のある方へ】

本稿の背景には、概日リズム(サーカディアンリズム)と免疫系のクロストークに関する知見があります。短日照(Photoperiod)はメラトニン分泌やHPA軸(視床下部-下垂体-副腎系)を介して、免疫細胞の動員数やサイトカイン産生のセットポイントを変化させます。現代の臨床において、冬季に心血管イベントや自己免疫疾患の増悪、うつ症状(Seasonal Affective Disorder等)が増加する背景には、この「冬季炎症トーン(Winter Inflammatory Tone)」の上昇が関与していると考えられています。

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