2025年10月21日火曜日
現代哲学(思想)のポスト構造主義と仏教の中観(中道)の倫理と道徳の課題 ・ポスト構造主義や中道、中観には突っ込みどころがある
現代哲学(思想)のポスト構造主義と仏教の中観(中道)の倫理と道徳の課題
・ポスト構造主義や中道、中観には突っ込みどころがある
現代哲学とかそれと同じ本質を持つ大乗仏教を分かりやすく解説しようとするときに哲学の目から見ると少し誤魔化しのところがあります。
ここをごまかしているので現代哲学は現代哲学というより現代思想と呼ばれるのかもしれず、仏教は哲学ではなく宗教になっているのかもしれません。
簡単に言うと哲学は存在論や認識論など本質的な問題だけ扱っていればいいのかもしれないのに、ポスト構造主義の相対主義や中道や中観では人にある生き方を勧めるようなところがあるという事です。
つまり倫理や道徳が入り込んでいます。
「こういう風に生きたり考えたり行動した方がいいよ」みたいな感じです。
これははっきり言って余計なお世話です。
カントを勉強した人なら純粋理性批判には感動しても実践理性批判とか判断力批判には納得できなかった記憶があるのではないでしょうか。
実践理性批判は道徳や倫理を扱ったものです。
誤解を恐れずに書くと「~であるべきである」「~すべきである」についての本ですが現代人には余計なお世話というかカントの著作の蛇足みたいな感じがするかもしれません。
我々は脱宗教的な時代傾向の中でニーチェの洗礼もサルトルの洗礼も受けているニヒリズムと自由の刑の世界に生きているのでせっかく手に入れた自由を束縛する「こうしなさい」みたいな根拠もなく口うるさいお母さんみたいな説教はいらないという人が多いかもしれません。
「ニヒリズム」とか「自由の刑」とかいうとネガティブな語感があるかもしれませんがまあいったん自由はいいものとしておきましょう。
せっかく自由を獲得したのに自由を制限するというのは嫌な感じです。
その説教臭い押し付けをポスト構造主義の相対主義と仏教の中道や中観はしているようなところがあります。
・20世紀人類の最大の発明
20世紀の最大の発明は、といっても19世紀末にはすでにあったのかもしれませんし、2600年前の仏教がすでに同じことを言っていますが―、は自由と構造主義です。
最大の発明と言っておいて2つ挙げるのは語義矛盾かもしれませんがまあ細かいことは気にしないでおきましょう。
自由についてはニーチェやサルトル他の哲学者が開いた道とみていいかもしれません。
構造主義は数学で生まれましたが同時多発で言語学でも生まれその他の領域に広まって20世紀半ばには爆発的に拡散しました。
現代社会の基礎は構造主義です。
実在論でも構造主義でも不自然で直観に反する現象はいろいろ起こりますがシステムづくりには構造主義が向いています。
各学問の基礎は構造主義ですし、今はコンピュータが爆発的な発展を遂げて社会に遍く汎用的に広がっていく様を見ていくと人間中心主義は現実的な意味でも終わったなとか人間の過大評価はやめなあかんなと謙虚な気分になりますがそのコンピュータなりAIなりインターネットなりSNSなりは構造主義の申し子です。
・構造主義は革命的、ポスト構造主義はそうでもない
構造主義は革新的な思想です。
構造主義的な思想はいつの時代にもありましたが純粋な構造主義を抽出できたのは現代数学が初めてです。
本当は仏教のお釈迦様なりナーガールジュナ(龍樹)なりがさきですがここではおいておきます。
純粋な構造主義は破壊的なイノベーションです。
実用性が段違いです。
哲学的には実在論の完全なだいたいになりえます。
科学的には全ての学問の基礎になりえます。
産業、経済的な基礎も今のAI投資を見ればどれだけすごい未来が待っているかはわかるでしょう。
そんなこんなで現代社会の基盤になるほどの実用性です。
実用性はいいのですが哲学的には認識論と構造論の実在論に代わる完全な基礎理論になりえます。
他方ポスト構造主義の相対主義や仏教の中観や中道は「実在論も構造主義もどっちも成り立つし共存できるから仲良くしていきましょうや」みたいな感じです。
どっちも独立で成り立つというのはポスト構造主義の発見だったかもしれませんがたいした発見ではないとも言えます。
むしろ小さな発見ですし、発見ですらなく鋭い人なら最初から分かっていたかもしれません。
ここら辺がポスト構造主義がもやっとするところです。
ポスト構造主義の発見者、発明者は誰だという議論にはなりません。
これは仏教もそうです。
お釈迦様は縁起(十二因縁生起)を発見したときはこれで悟った、真でもいいというほどに感激したものですが、中道については特に発見の経緯や感動やエピソードなど伝わっていないのではないでしょうか。
ここら辺が仏教が空の思想であって中道の思想ではないと誤解されやすい原因かもしれません。
それに対して龍樹(ナーガールジュナ)はもっと戦略的です。
中観を中心に据えています。
空は大切なのは変わりませんが空にこだわるのを空執として戒めています。
「空は薬に過ぎない」とナーガールジュナは言っています。
実在論しか理解できず実在論だけに執着する人を治すための薬と言っています。
空という薬を使って実在論の思い込みという病気を治したら本当に目指すべきは中観であるという建付けです。
そういう意味では中観的な物をもやっとしてしか残せなかった西洋のポスト構造主義者たちは思想家としてナーガールジュナより格下です。
と同時にあえてここをあいまいにしたポスト構造主義者たちはナーガールジュナより格上だったとも見ることもできます。
ただ実際はナーガールジュナという個人よりはナーガールジュナとその周辺とその時代の周辺にいた人々の代表としてナーガールジュナを考えた方がいいでしょう。
・中観や相対主義はすごいのだが・・・
中観や相対主義を一言でいうと現在の言葉ではDEIです。
社会的な人間に関してではなく個人の内面の思想に関してですが、
「いろいろな思想の多様性を尊重して平等に扱い、吸収して活用していく」
という考え方でしょうか。
ただ人間に対してはそれでいいのかもしれませんが、思想に関しては人間のように平等である必要はないでしょう。
「俺はこの思想は嫌だから採用しない」、とか「私はこの思想一本でいくので他の思想の優先順位は下」だとかいろんない意見があってもいいです。
というかその方がDEIではないかもしれませんが大切な「自由」を守ることができます。
・ポスト構造主義や中道はメタ認知
ポスト構造主義や中道はメタ認知を持て、という考え方です。
絶対主義でなく相対主義だとメタ認知は勝手に抽出されてきますので自然に現れます。
メタ認知は「認知を認知する」ということです。
「自分はこの思想にしたがって思考して行動している」
というのを自覚することです。
「全体があって他者(人とは限らない)があって自分もあって外部がある」という事を認識することです。
それを前提に何かを絶対化してもいいし他社も自分も相対化するのもありです。
メタ認知を持つことがいいこととは限りません。
そんなの知らない方がよかったという場合もあるでしょう。
禅では「随処で主となれ」という言葉ありますが「奴隷の安逸」ということばもあります。
メタ認知なんか持たず主体性や自覚なんかも持たない方が幸せに生きていける場合も多いでしょう。
江戸時代の日本やブータンのように鎖国していた方が国民の幸福度も高いかもしれません。
そもそもメタ認知を持てない場合もあります。
分かりやすいのはどの程度のIQからかわかりませんが重度や中等度くらいの知的障害がある場合にはメタ認知は持つ知能まで達しない可能性があります。
またある種の精神病、統合失調症のような病気はメタ認知障害が生じます。
臨床的には病識、病感の欠如とか言う言葉が使われたりします。
「自分がへんなこと、おかしなことを言ったりしているというのを客観的な視点でとらえることができない」という状態です。
反対の言い換えもできて「メタ認知がない(低下している)、自分を客観的にみれなくなるから他の人に変な事、おかしな事を言ったりしたりしている」という見方ができます。
だから重度以上の知的障害やある種の精神疾患はだめなんだという事ではなく、これはこれで、人間の在り方としてありだという事です。
そもそも現代哲学は統合失調症などの精神病理学や精神分析学から生まれた側面があります。
精神病理学的に言えば「病識のなさ」は悪いことではなく「症状や状態を安定させるいいこと」あるいは「疾患治癒的に働くもの」である可能性もあります。
逆に晩期緩解といって晩年に病識ついたり症状が軽くなったりする時があるのですが昔はそういう時は自殺に注意しないといけないと言われていました。
そもそもメタ認知は疲れます。
常時働かせておくのに向いてません。
普通の人はいろいろな思考のモードやペルソナを持っていて場面場面で勝手に切り替えて生きています。
普通の人は記憶でつながっているので問題ないですが記憶に障害が出る解離性障害では多重人格のような形で現れます。
いちいちメイン画面に戻って選択するよりは自動で切り替わってくれた方が楽なのでそれでいい場合も多いです。
あまり自覚なくそういう風に生きていくのをニーチェやハイデガーは畜群とか頽落とか世人とか批判しましたが無個性同調的に生きていけるあり方も個性や独創ばかり推すあり方よりは気楽でいい面もあります。
・ポスト構造主義も中道、中観も運用上の問題だけ
ポスト構造主義も中観も中道もある種の認識の在り方ですが、新しい認識論を使っているわけではなく実在論や構造主義を使ったシステムの作り方や運用方針だけのことで画期的な新しい何かを作っているわけではありません。
単に相対主義なら構造主義とか実在論とか小難しい哲学の議論すら必要ありません。
誰に習うともなく自然に実践している人も多いのではないでしょうか?
そもそも物理でガリレオやニュートンの相対論を知っている人であればすぐにアナロジーで相対論とは何かを理解できるでしょう。
そもそもポスト構造主義の相対主義モデルも中道も中観論も実在論の上でも構造主義の上でも構築できるので応用に過ぎないといえば過ぎません。
その上DEIみたいに「こうするべし」みたいな道徳みたいなのを入れるのはどうかという事です。
道徳の問題はある種の根拠のない押し付けであることです。
結局認識論や存在論がどうであれポスト構造主義の相対主義や中観や中道がどうであれ我々はその時その時で考えて判断して決断して行動しないといけません。
場合によっては行動の結果の責任を取るというか、関西弁で言うとけつをとる場合もあります。
ニーチェだったら実践道徳としては超人であれですし、サルトル自身は自由の中で共産主義の活動家としての生き方を選んでいます。
選ばなくても我々は日々何か考えたり行動したりしなければいけないので、主体的でなくともたとえ何かに流されたり主体性なく没個性的に同調したりするだけのようなかたちであってもその瞬間瞬間で何かをやっているわけです。
純粋理性に留めて、実践理性(道徳や倫理)や判断力(価値観)について語らない方が哲学としては純粋かもしれません。
倫理や道徳はニーチェやその他の偉大な先人が切り開いた自由の世界の中ではどんなものであれ、自分に向けられたものであれ人に向けられたものであれある種の押し付けです。
しかも道徳や倫理はやはりニーチェだか誰か以降は恣意的なものです。
恣意的だったり誰かにとって都合がいいものを自分であれ他人であれ押し付けることは主体性や自主性、主体の自覚への冒涜とまではいかなくても尊重や敬意が足りないと言わざるを得ません。
・まとめ、人間は自由である
人間は自由です。
だからポスト構造主義の相対主義や中道や中観を採用する必要はありません。
見方によっては、あるいは見方によらずとも押し付けの倫理・道徳論ですので。
必要はないのですが知っとくと便利です。
めちゃめちゃ便利なのでこういう考え方もあるのだなあと理解しておいて必要に応じて実際に使うような感じで付き合っていくことをお勧めします。
2025年10月19日日曜日
What Is Humanity? Underwater Archaeology Will Change Human History
What Is Humanity?
Underwater Archaeology Will Change Human History
The human history we read today may be an excerpt that omits the main stage now lying under the sea. During the Last Glacial Period (roughly 115,000–11,700 years ago), sea level fell by up to about 120 meters, exposing vast coastal plains such as Doggerland in the North Sea and Sundaland in Southeast Asia.
Within the glacial period, stadials (colder phases) and interstadials (warmer phases) alternated in short cycles, so the zones suitable for human habitation repeatedly flipped south↔north and coast↔interior.
—If so, relying only on the surviving land sites makes it easy to miss the mainstream of human history. As underwater archaeology advances, cases that have looked like “peripheral anomalies,” such as Jōmon sites in Japan or Göbekli Tepe in Turkey, will likely be repositioned as edges of a lost mainstream.
Everything Important Lies Under the Sea
In short, when thinking about human civilization, the most crucial traces from the Last Glacial Period are mostly under water (or, where preserved, beneath today’s deserts).
To “overstate” the point on purpose: during the Ice Age, expansive land spread across habitable low– and mid–latitudes; areas now desert—like the Sahara—were green and are known as Green Sahara. In other words, it was a time quite favorable for human life.
By contrast, in our present interglacial, land is relatively limited; deserts dominate around the Tropics of Cancer and Capricorn; and the high latitudes’ permafrost make for an awkward, less hospitable world with a narrower human habitat—to put it bluntly.
Therefore, we cannot understand (the crucial parts of) human history merely by studying the sites that remain on today’s land. As underwater archaeology develops, a fundamentally different view of human history will spread—perhaps a paradigm shift even larger than the one from “dinosaurs as oversized reptiles” to “dinosaurs were feathered.”
For example, underwater archaeology is progressing in the English Channel (the Dover Strait)—no doubt aided by proximity to both Paris and London. As this work advances, exceptionally early-looking sites such as Japan’s Jōmon or Turkey’s Göbekli Tepe—sometimes treated like “OOPArts”—will instead look like special cases preserved because they sat on narrow ridges or hills that escaped submergence when sea level rose and deserts expanded, while the main Ice Age record was hidden or erased.
To Know Ice Age Human History, We Need Seafloor Maps
Today’s landforms are only today’s landforms. We often see maps forecasting coastlines under continued global warming. Likewise, to understand the Ice Age we need maps of the seafloor.
At the coldest stage of the glacial, sea level stood more than 120 m lower than now; the seafloor down to that depth would have been dry land.
Even in an Ice Age, the equatorial belt and low—indeed, even much of the mid—latitudes were not glacier-covered or utterly uninhabitable. Some regions now too hot or desertified may have been pleasantly mild then.
When we look carefully and concretely—grounding our imagination in physical reality—our mental images can flip. Historiography often experiences such reversals (think of the Annales School in Europe; in Japan, the work of Amino Yoshihiko and Abe Kinya famously reframed common views).
Human Civilization Is Compressed into the 10,000 Years Since the Last Glacial
What we call “civilization” begins after the Last Glacial ended, as sea level rose with warming about 10,000 years ago.
The continental shelves and shallow seafloors—prime Ice Age living space and corridors—are now beneath the sea. From that perspective, the sites we can study today lie in the periphery of the Ice Age human habitat.
During the glacial, sea level fell and habitable low– and mid–latitude lands expanded; even deserts like the Sahara were green. We now live in an interglacial.
“What is essential is invisible to the eye” (Saint-Exupéry). “We dwell within unseen structures” (Lévi-Strauss). Their original meanings may differ, but across anthropology, archaeology, and indeed all inquiry, humility about the unknown is crucial.
To Understand Human History, the Ice Age Matters
Modern science’s strength—evidence-based empiricism—is also its weakness when over-applied. In recent decades some have dismissed what lacks evidence as if it were disproven. Yet absence of evidence is not evidence of absence: in statistics, “no significant difference” means we cannot say, not that something is false.
Fields like medicine have ethical barriers that long limited experimentation; the push for EBM sometimes caused confusion on the ground. Wittgenstein said, “Whereof one cannot speak, thereof one must be silent,” but likewise: when we don’t know, we should resist easy denial and avoid clinging to an illusion of knowledge.
Time Scales: Even 10,000 Years Isn’t Enough
Older generations learned history starting from the “four great civilizations,” a text-based horizon. But to really grasp human history we must think on logarithmic scales: 100, 1,000, 10,000, 100,000 years.
The last 10,000 years saw agriculture and writing after the Ice Age ended. Anatomically modern humans emerged in Africa about 300,000 years ago and began dispersing out of Africa around 50,000 years ago.
From a Japanese vantage point—asking “What is humanity?”—we should look on 100,000-year horizons. As the 2022 Nobel Prize underscored, modern humans admixed with Neanderthals and Denisovans. Neanderthals lived roughly 400,000–40,000 years ago. Homo erectus in Java (“Java Man”) spans roughly 1.8 million to 200,000 years ago; whether they interbred with later humans is unknown, but at minimum their presence shows the human line had already spread globally in the earlier stages.
Viewing Humans as a Biological Species
If we view humans not as exceptional, but as organisms among organisms, ranges shift with time.
The romantic “Great Journey” can make us forget that, before civilization, humans—though equipped with culture, language, and tools—were still biological populations responding to changing habitats. Seeing late Pleistocene humans in this biological frame reveals a different picture.
Climate Change and Humanity
For us modern humans, the Last Glacial Period is key—roughly 70,000 to 10,000 years ago in common parlance (more strictly, ~115,000–11,700 BP). Temperatures oscillated; within these 60,000+ years came the coldest stage, the Last Glacial Maximum (LGM) around 26,500–19,000 years ago.
At the coldest times, vast ice sheets spread across much of the Northern Hemisphere; sea level dropped ~120 m, exposing land bridges and enabling intercontinental movement. In Japan, mean annual temperature was about 7°C lower, pushing evergreen broadleaf forests southward. Mammals like Naumann’s elephant, giant deer, moose (and mammoths in Hokkaidō when it was connected to the continent) roamed. The Sea of Japan became more enclosed, almost lake-like.
About 10,000 years ago, the glacial ended; rapid warming melted the ice, sea level rose, and today’s coastlines formed. In the Middle Jōmon (the mid-Holocene warm period), seas pushed far inland into lowlands like the Osaka and Kantō plains.
Southern Corridors
From a northern, Euro-American historical gaze, the Ice Age looks grim. But the south wasn’t necessarily so. The Sahara was green. Even at the LGM, low– to mid–latitude cooling averaged ~5.8°C, and Japan’s mean fell by ~7°C—serious, but not uniformly catastrophic.
With sea level lower and continental shelves exposed down to ~120 m, land area was vastly larger than today. With water, coasts, and rich biota abundant, there was little need to push into extreme northern cold. If another glacial came, migrating south could even make Earth more livable for many.
A Geophysical Perspective
From 70,000 to 10,000 years ago, temperatures oscillated repeatedly. Though “out-of-Africa” is commonly dated to ~50,000 years ago, seafloor evidence might yet show earlier excursions beyond today’s Africa-as-land. The cutting edge in anthropology and archaeology is moving toward submerged traces.
With each warm/cold swing, sea level and coastlines shifted again and again, expanding and shrinking land. Those lands are now beneath the sea—precisely the places that may have been most habitable.
This helps re-think why Homo erectus remains turn up in places like Indonesia: through multiple glacials and interglacials, they simply lived and moved where life was good, and at times that included Java. Much of Southeast Asia, the Pacific archipelagos, Eurasian shelves, and the Australian shelf have had epochs as broad subaerial plains. The tropics were not ice-covered; regions prone to desert today—beneath the tropical belts—could be verdant in glacials (e.g., Green Sahara).
The Waves of Ice-Age Temperature
As noted, the Earth cycles between glacials and interglacials; within glacials, stadials (colder) and interstadials (warmer) alternate. That means habitable zones shifted many times.
People—then as now—favor coasts, rivers, and lakes. Repeated cold/warm swings likely drove range shifts, with humans moving northward in warmer phases and southward in colder ones. Movement wasn’t one-way out of Africa; it could be pendular, to and fro, not only north–south but also east–west. Think of chemical equilibrium or steady states in physics: momentum carries populations back and forth.
We often see neat arrows on maps (“reached region X by N thousand years ago”), but a thousand or ten thousand years is an awfully long time. To think clearly about ~50,000 years since the main out-of-Africa wave, we need a logarithmic sense of scale, not everyday yardsticks.
Human generation times were short; people were active and mobile. It’s natural to expect rapid, expansive spread across easily traversed low– to mid–latitude belts.
Surviving Ice-Age Sites Are Not the Main Body
Empiricism demands archaeological and genetic evidence—but over-reliance blinds us to what’s hard to evidence. One could even call it Lao-Zhuang-like (Daoist) or structuralist: we are shaped by unseen structures.
If the Ice Age’s principal living zones lie under water, then the sites that remain on land are those that met special conditions. Japan, for instance, preserves an extraordinary number of sites (notably Jōmon), a culture oddly between Paleolithic and Neolithic—polished stone tools without agriculture—that flourished.
Why so many sites in Japan? Because places high enough yet near the sea can both access Ice Age coastal cultures and avoid submergence during later sea-level rise. Ridges and steep relief tend to survive as long, narrow islands—think the Japanese Archipelago, Java, the Andamans. Some high-latitude or high-altitude locales, seemingly harsh, might have had niche advantages. Environmental change always creates winners and losers; for some, staying put would have carried strong incentives.
Civilization: Even If Submerged, Traces Remain
From the Nile and Tigris–Euphrates to the Indus, Yangtze, and Yellow River, each delta opens onto broad shelves and shallow seas—lands in glacials, shifting repeatedly between land and sea.
Humans favor coasts and river basins. We don’t fully know Ice-Age seafaring, but by the Jōmon it clearly existed. People must have lived closely tied to waters; even in the current interglacial, early civilizations used coasting and river travel.
High-latitude interiors are generally harder living; while people certainly lived there at times, they likely weren’t the mainstream of Ice-Age cultures. Many great northern rivers in Russia reach the Arctic, yet no early urban “cradle” formed there. Meanwhile, multiple river-basin civilizations (beyond the old “four”) are now recognized; Yangtze civilizations are close to home for Japan. It’s more natural to see later navigation as inheriting Ice-Age techniques than as a fresh invention out of nowhere.
In everyday speech, “logical” needn’t mean formal logic; and even formal logic comes in many systems. Over-insisting on one narrow “logical” lens can be as unbalanced as over-insisting on evidence alone. In any case, it’s not hard to see that low-latitude life in the Ice Age may well have been favorable.
High Latitudes Weren’t Necessarily Bad
While I have emphasized lower latitudes, high latitudes could also offer advantages—unique goods, hunting, fishing, gathering. Cold-weather adaptations are possible. If wide-ranging trade already existed, comparative advantage would support rich lifeways: furs, northern fauna, minerals, and other resources. Some species thrive only in the north; humans may likewise have specialized, and with tools, reshaped environments to fit them.
Still, this essay’s purpose is to highlight the submerged mainstream, rather than visible northern land stories we already know. Of course there were many streams of human movement, and low latitudes also carried hazards (strong nature, pathogens, water quality). Jungle survival over long periods is notoriously hard (as veterans of WWII’s southern fronts testified).
Humanity Moved Back and Forth
Given stadials and interstadials, habitable zones drifted over long spans; humans likely shuttled north–south accordingly. Some groups surely stayed and endured colder swings. The popular image of a one-way westward spread is suspect.
Follow the rivers linking coast and interior: when sea level rises, river mouths move inland; when it falls, they shift outward over land that is now sea. In glacials, these estuaries were population hubs and trade nodes, likely frontiers of culture and technology—just as ports form today.
From such hubs at various river mouths, people and goods likely moved along coasts and inland waterways, and between estuaries—overland or by sea. This is a natural pattern that matches ordinary reasoning. The catch is simply that many of those hubs are now underwater. Whether for resources or for archaeology, the sea remains a vast frontier.
The Value of Multiple Lenses
Using multiple modes of thought is itself deconstruction. History is often seen through single ideologies. Over-reliance on empiricism, or on written sources alone; prewar emperor-centered narratives vs. postwar Marxist materialism in education; media that once praised the Cultural Revolution or the Great Leap Forward—all remind us how perspectives shift.
In the end, there is no single, final “correct” history. (And to note: Foucault—often labeled post-structuralist—famously resisted fixed labels himself.) History changes; like a person, it lacks a static identity. Even within one mind, viewpoints shift with methods and moments.
From messy social facts to technical limits and cognitive biases (our Ice-Age imagery, shifting coastlines, the texture of climate change, the non-uniformity of “Ice Age” or “Stone Age”), narratives are malleable. Going forward, the grand task is how we will investigate underwater archaeological and anthropological heritage.
What is Humanity: The True Story Sleeping on the Seafloor
What is Humanity: The True Story Sleeping on the Seafloor
Prologue: The Lost Main Stage
The human history we read may be an abridged version, missing its "main stage" which now lies submerged beneath the sea.
The core of this essay rests on the following three perspectives:
The main stage of human activity during the Ice Age was on the coastal plains that sank with rising sea levels (now the seabed). Therefore, terrestrial archaeological records are inherently biased.
Human migration was not a one-way "Great Journey" but a dynamic, multi-directional flow, oscillating in response to climate change.
The advancement of underwater archaeology will trigger a paradigm shift, fundamentally rewriting our understanding of human history.
Just as the image of dinosaurs transformed from "giant reptiles" to "feathered ancestors of birds," the story of our own ancestors awaits its moment to emerge, in a completely new form, from beneath the waves.
Chapter 1: Correctly Understanding the World of the Ice Age
First, we must correctly understand the environment of the "Last Glacial Period," the stage upon which our story unfolds.
Term Period (Approx.) Characteristics
Last Glacial Period 115,000 - 11,700 years ago The last ice age when the entire planet cooled.
Last Glacial Maximum (LGM) 26,500 - 19,000 years ago The coldest peak of the Last Glacial Period, when sea levels dropped by up to 120 meters.
Interstadial Cycles of several thousand years A temporary warm period within the Ice Age.
Stadial Cycles of several thousand years An especially cold period within the Ice Age.
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The crucial point is that the Ice Age was not uniformly frigid. It was punctuated by waves of warming (interstadials) and cooling (stadials) over thousands of years, causing the most habitable places for humanity to constantly shift.
Chapter 2: The Most Important Things Are, Truly, in the Sea
The Lost Continents
During the Last Glacial Maximum (LGM), the sea level was over 120 meters lower than it is today. This exposed vast areas of the continental shelf as dry land.
Sundaland: A massive landmass that connected the islands of Southeast Asia to the mainland.
Doggerland: A fertile plain in the North Sea that connected Great Britain to continental Europe.
It is highly probable that these regions, with their rivers and abundant flora and fauna, were the most desirable "prime real estate" for humankind. The terrestrial sites we find today may be nothing more than the traces of settlements in the "highlands" or "fringes" of that vast, lost world.
Reversing Common Sense
The image of the Ice Age as a "cold and miserable" time is a view biased toward high-latitude regions. In the low and mid-latitudes, the situation was completely different.
The Green Sahara: What is now the Sahara Desert was, at times, a lush savanna with extensive lakes and rivers (the African Humid Period).
A C Milder Climate: Even during the LGM, the temperature drop in the low to mid-latitudes was only about 5.8°C on average. It's even possible that the climate was more pleasant than the scorching heat of today's tropics.
Therefore, we should reframe the Ice Age not as an "era of hardship" for humanity, but rather as an "era when a vast and rich living space, much larger than today's, was available."
Chapter 3: Humanity Was Constantly "Coming and Going"
The narrative of the "Great Journey" from Africa to the rest of the world is an oversimplification. Human movement was far more dynamic and bidirectional.
The Climate Pendulum
The repeated cycle of stadials (cooling) and interstadials (warming) caused the habitable zones for humans to shift periodically.
During warm periods, populations expanded from south to north and from coastal areas to the interior.
During cold periods, populations contracted back from north to south and from the interior to warmer coastal refuges.
Rather than a linear progression, it is more natural to think of human dispersal as a pendulum-like oscillation, with populations moving back and forth between north and south, and east and west, for tens of thousands of years.
The Scale of Time
We cannot intuitively grasp a span of "50,000 years." The arrows on migration maps, showing "humans reached Point X, Y years ago," compress thousands of years into a single point in space. If a generation was 15 to 20 years, then 50,000 years saw more than 2,500 generations. It was a matter of course for humanity to make countless round trips, riding the waves of climate change, during that immense period.
Chapter 4: The True Meaning of the Remaining Ruins
So, what is the significance of the sites we have found, like Göbekli Tepe in Turkey or the countless Jomon sites in Japan?
These are not "out-of-place artifacts," but rather incredibly precious evidence left on the "fringes" of a lost world.
Why Are They There?: Places like the Japanese archipelago or the island of Java are, topographically, the "mountain ridges" of sunken continents that remained above water after sea levels rose. This is precisely why traces were more likely to survive there.
Preserved Because They Were "Peripheral": Cultural centers are often overwritten by new cultures in later eras. In contrast, peripheral areas or refuges are where older cultures are more easily preserved.
The "civilizations" that emerged after the agricultural revolution did not start from scratch. They may have been a form of "palimpsest," written over a foundation of inherited cultures and technologies—including advanced seafaring skills—that had been cultivated during the Ice Age and were likely far more sophisticated than we can imagine.
Conclusion: The Humility to Know History
The strength of modern science lies in positivism. Its weakness, however, is the tendency to assume that what lacks evidence does not exist.
Ludwig Wittgenstein said, "Whereof one cannot speak, thereof one must be silent." In human history, the parts submerged beneath the sea are precisely those things "whereof we cannot speak." We must be humble in the face of what we do not know.
History is not a single, fixed narrative. As Foucault suggested, it is constantly being rewritten depending on the era and perspective. Today, we have acquired a new pen called underwater archaeology. We are standing at the threshold of a magnificent era, one in which we will finally add the lost chapters to the grand story of humanity.
人類とは何か:海底に眠る真実の物語 序章:失われた“主舞台”
人類とは何か:海底に眠る真実の物語
序章:失われた“主舞台”
私たちが読んでいる人類史は、海底に沈んだ**“主舞台”を欠いた抜粋版**かもしれない。
この論考の核は、以下の三つの視点にある。
氷期の人類の主舞台は、海面上昇で沈んだ沿岸低地(現在の海底)にあり、陸上の遺跡は必然的に偏った痕跡である。
人類の移動は「グレートジャーニー」のような一方通行ではなく、気候変動に応じた双方向・多回廊のダイナミックな往来だった。
海底考古学の進展は、今後の人類史像を根本から書き換えるパラダイムシフトを引き起こすだろう。
かつて恐竜が「巨大な爬虫類」から「羽毛を持つ鳥類の祖先」へとイメージを一変させたように、私たちの祖先の物語もまた、海の中から全く新しい姿を現すのを待っているのだ。
第1章:氷河期の世界を正しく知る
まず、私たちが立つ舞台そのものである「最終氷期」の環境を正しく理解する必要がある。
用語 期間(目安) 特徴
最終氷期 約11.5万~1.17万年前 地球全体が寒冷化した最後の氷河時代。
最終氷期最寒期 (LGM) 約2.65万~1.9万年前 最終氷期の中で最も寒冷化が厳しく、海面が最大約120m低下した時期。
亜間氷期 (Interstadial) 数千年周期 氷期の中で、一時的に気候が温暖になった時期。
亜氷期 (Stadial) 数千年周期 氷期の中で、特に寒冷になった時期。
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重要なのは、氷期が常に極寒だったわけではないという点だ。数千年単位で温暖化(亜間氷期)と寒冷化(亜氷期)の波が繰り返され、人類の住みやすい場所は常に変動していた。
第2章:大切なものは、本当に海の中
失われた大陸
最終氷期最寒期(LGM)には、海水面が120m以上も低下した。これにより、現在の海底、特に大陸棚が広大な陸地として姿を現していた。
スンダランド: 現在の東南アジア島嶼部と大陸を結んでいた広大な陸地。
ドッガーランド: イギリスとヨーロッパ大陸を繋いでいた、北海の豊かな平野。
これらの地域は、河川が流れ、動植物が豊富な、人類にとって最も住みやすい**「一等地」**だった可能性が極めて高い。私たちが現在見つけることができる陸上の遺跡は、当時の広大な世界の、いわば「山の手」や「辺境」の痕跡に過ぎないのかもしれない。
常識の逆転
「氷河期は寒くて悲惨」というイメージは、高緯度地方に偏った見方だ。低・中緯度地域では、状況は全く異なる。
グリーン・サハラ: 現在のサハラ砂漠は、当時は緑豊かなサバンナや湖沼地帯(アフリカ湿潤期)だった。
過ごしやすい気候: LGMでさえ、低・中緯度の気温低下は平均で約5.8℃。現在の灼熱地獄より、むしろ過ごしやすい気候だった可能性すらある。
つまり、氷河期は人類にとって「住みにくい時代」どころか、**「現在よりもはるかに広大で豊かな生活圏が広がっていた時代」**と捉え直すべきなのである。
第3章:人類は「行ったり来たり」していた
「アフリカから出て世界へ」という「グレートジャーニー」の物語は、単純化されすぎている。人類の移動は、もっとダイナミックで双方向的なものだった。
気候の振り子
亜氷期(寒冷化)と亜間氷期(温暖化)の繰り返しは、人類の居住可能域を周期的に変動させた。
温暖期には、人口は南から北へ、そして沿岸部から内陸へと活動域を拡大。
寒冷期には、再び北から南へ、そして内陸から沿岸の温暖な避難所へと人口が収縮・移動。
人類の拡散は、一直線に進むのではなく、振り子のように南北・東西を往復する動きを何万年も続けていたと考える方が自然だ。
時間のスケール感
私たちは「5万年」という時間を直感的に理解できない。「人類が〇〇に到達したのは×万年前」という地図の矢印は、数千年、数万年という途方もない時間を一点に圧縮している。世代交代が15〜20年だったとすれば、5万年間には2500回以上の世代交代があった。その間に、気候変動の波に乗って人類が何度も往復運動を繰り返すのは、当然のことだっただろう。
第4章:残された遺跡の「本当の意味」
では、現在発見されているトルコのギョベクリ・テペや、日本の無数の縄文遺跡は何を意味するのか?
これらは「オーパーツ(時代錯誤遺物)」なのではなく、失われた世界の「縁(へり)」に残された、極めて貴重な証拠なのだ。
なぜそこに在るのか: 日本列島やジャワ島のような場所は、沈んだ大陸の「山の尾根」が海面上昇後も島として残った地形だ。だからこそ、痕跡が残りやすかった。
「辺境」だからこそ残った: 文化の中心地は、後の時代に新たな文化が上書きされていく。一方で、辺境や避難所(レフュジア)となった地域では、古い文化がそのまま保存されやすい。
農耕革命以降の「文明」は、決してゼロから始まったわけではない。それは、氷河期に育まれた、おそらくは私たちの想像を超えるほど高度だったであろう文化や航海技術などを**「継承」し、その上に重ね書きされた「パリンプセスト」**のようなものだったのかもしれない。
結論:歴史を知るための「謙虚さ」
近代科学の強みは実証主義にある。しかし、その弱点は「証拠(エビデンス)がないものは、存在しない」と安易に断定してしまうことにある。
ヴィトゲンシュタインは「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」と言った。人類史において、海底に沈んだ部分はまさにこの「語りえぬもの」だ。私たちは、知らないことに対して謙虚でなければならない。
歴史とは、固定された一つの物語ではない。フーコーが言うように、それは時代や視点によって絶えず書き換えられる。今、私たちは、水中考古学という新しいペンを手に入れ、人類史の失われた章を書き加える、壮大な時代の入り口に立っているのである。
人類とは何か ・海底考古学が人類史を変える
人類とは何か
・海底考古学が人類史を変える
私たちが読んでいる人類史は、海底に沈んだ“主舞台”を欠いた抜粋版かもしれない。 最終氷期(約11.5万〜1.17万年前)には海面が最大で約120 m低下し、北海のドッガーランドや東南アジアのスンダランドなど広大な沿岸平野が姿を現していた。
氷期の内部は、寒冷な亜氷期と温暖な亜間氷期が交互に訪れる短周期のリズムで、人の居住適地は南↔北、沿岸↔内陸へと何度も入れ替わった。
――もしそうなら、**現存する陸上遺跡だけで人類史を語るのは、本流を見失いやすい。
**水中考古の前進は、これまで“辺境の特異例”に見えた縄文やゴベクリ・テペを、**失われた本流の縁(へり)**として再配置していくだろう。
・大切なものは全部海の中
要点からまとめると人類文明を考えるのに一番大切な最終氷期の人類の痕跡の大切なものは全部(殆ど)海の中とか現在の砂漠(残っていれば)です。
「お前それは言い過ぎやろ」ということをあえて言うと氷河期は住みやすい低中緯度地域に広大な陸地が広がり現在砂漠の例えばサハラ砂漠は緑に覆われグリーンサハラと言われていました。
すなわち人類は住みやすかった時代です。
氷河期でない時代、現在は陸地も狭いし、南北回帰線付近は砂漠が広がり高緯度地方は永久凍土という中途半端さで人類の住みにくい、人類の生存範囲の狭いとても残念な時代です、とあえて言いきらせてもらいます。
だから現在の陸地に残っている遺跡だけを考えても人類史は(大切な部分は)分かりません。
今後海底考古学が発展すれば人類史に対して全く違う考え方が広まるでしょう。
たぶん昔の「恐竜は爬虫類の大きいもの」から「実は恐竜は羽根で覆われていた」以上のインパクトとパラダイムシフトがいずれ起こるでしょう。
例えば英仏海峡(ドーバー海峡)ではそのような水中考古学が進んでいます。
きっとパリとロンドンの間で両都市からも近く調べやすいのでしょう。
こういうのが進むと現代の例えば日本の縄文遺跡やトルコのギョベクリ・テペ遺跡はオーパーツみたいに見られていいる面がありますがそういったものは単に海面上昇により主要な氷河期の終了や砂漠化で氷河時代の主要な人類の痕跡が隠され、あるいは消されている中で辺境や細長い丘や山のような尾根のような地形だったからこそ海面上昇せず残された特殊な例だったことが分かるようになると思われます。
・氷河期の人類史を知るには海底地図が必要
現在の陸の形は現在だけの陸の形です。
地球温暖化で海面上昇が叫ばれて、このまま温暖化が進むと地図はこうなるというようなのを時々見かけます。
同じように氷河期のことを知りたければ海底地図が必要です。
氷河期でも一番寒かった時期には海面は現在より120m以上現在より低かったわけです。
すると現在海深120mまでの海底はその時代は陸地だったわけです。
しかも氷河期と言えども赤道直下や低緯度、欲張って中緯度地域は別に氷におおわれていたわけでも寒すぎて全く住めないほどでもなかったわけです。
むしろ赤道直下も現在の砂漠みたいなところも温暖で住みやすかった可能性があります。
今は暑すぎるところも昔はちょうどいい陽気だったかもしれません。
何事も実務的というか細かくきちんと頭の中だけではなくきちんと現実に即してみていくといろいろイメージがひっくり返ることもあります。
歴史学でもしばしばそういうことが起こって一般にも有名なのはアナール派の研究、日本では網野善彦や阿部謹也が有名です。
特に網野善彦は「日本史のルネサンス」「網野善彦ルネサンス」とか言われて一般的な読書界でも流行を起こしました。
・人類の文明は最終氷期の後の温暖化した1万年前~現在に凝縮されている
人類の文明の発祥は1万年前の最終氷期が終わって温暖化による海面上昇が始まってから始まっています。
氷河期に人類が住みやすく移動しやすく栄えていた現在の大陸棚や浅い海底は現在全て海の底です。
現在残っているというか発見されて調べられている遺跡は氷河期の人類の主要生活地域から見れば辺境です。
氷河期には背面低下が起こり今より広い陸地が低緯度、中緯度地方の住みやすい所にありました。
現在不毛に見える砂漠も、例えばサハラ砂漠は緑の大地でした。
現在は間氷期
「大切なものは目に見えない」
「見えない構造の中に我々はいる」
それぞれサンテ・グ・ジュペリとレヴィ=ストロースの言葉ですが本人たちの使用した意味とは違うかもしれませんが人類学や考古学、あるいは他の全部の知的活動に言えるかもしれませんが知らないことを知る謙虚さが大切です。
・人類史を知りたければ氷河期が大切
近代~現代科学には弱点があって実証主義のエビデンスベースなところです。
これは長所でもあるので同じもののコインの裏表です。
現在は長所を良しとして短所を攻撃します。
これは自分の体を自分で傷つけている自傷行為のように見えますがちょっと前には各領域にエビデンスバカみたいな人がいてエビデンスにないことを否定する人がいました。
大切なのは実証できないからそれがないとは言えないところです。
統計学なら有意差がないことは何も言えないことを意味するだけで何かを否定することにはなりません。
ですが例えば医学のような領域は過去の人体実験の歴史や道徳的問題なので長らく実証研究が難しく科学科が遅れました。
そこで急進的に実証主義のエビデンス・ベイスド・メディスンなるものを進めたことで医療現場が大変混乱しました。
今でもそういう人がいるので時に大学病院で変な医師にあたると変な目に遭います。
面白いことにこの変な医師は高偏差値だったり研究が盛んな文化の中で育ってきている場合があります。
ヴィットゲンシュタインは「語るべきでないことは沈黙すべき」といいましたが同じように「知らないことは安易に否定したり知ってるつもりになって離さない方がいい」ということになります。
・時間のスケール:1万年のスケールで見ても人類は分からない
古い世代は人類は数千年前の世界4大文明から歴史を習います。
狭い意味の歴史は文字で書かれた過去のことですから当時の視野の狭さではそれがいい所だったでしょう。
英語のヒストリーは文字で書かれたと意味はないのでヒストリーを考えてみます。
ある程度何かをきちんと理解したければある程度対数尺で見る必要があります。
例えば人類のヒストリーを分かりたければ十進法では百年、千年、1万年、10万年のスパンで見る必要があります。
ここ1万年は氷河期が終わって現在の文明につながる農耕や文字が始まった時代です。
ちなみに現生人類である新人は30万年前にアフリカで生まれ5万年前からアフリカを出て世界中に拡散を始めたとされます。
少なくとも日本人の観点から人類とは何かと問いたければ10万年スパンでは見る必要があります。
さらには2022年のノーベル賞受賞の示すとおりに我々現生人類である新人はネアンデルタール人やデニソワ人と混血しています。
旧人は40年前から3万年くらい前です。
さらにジャワで見つかったジャワ原人は旧人の前の原人で約180万年前〜20万年前です。
これは新人や旧人と混血していたかは分かりませんが少なくとも人という種族がすでに原人の段階で世界に広がっていたことを証明しています。
・生物としての人の視点で見る
人を何か生物の中で特別なものではなく普通の生物学の観点で見れば時代によって生息地域というものがあります。
人の生息地域は時代によって違います。
対数尺で考えてみると時代というより年代によって違います。
現生人類をロマンを持って特別なものと考えるとアフリカから出てグレートジャーニーで世界に拡散していったナラティブとして一生物に過ぎないという観点は忘れられがちです。
しかし文明のない人類は文化や言葉や多少の道具を使えたかもしれませんが一生物としてみた方がよいかもしれません。
少なくとも我々は原人、猿人はそういう普通の生物という面で見ることが多いと思います。
1万年前の現在の文明を作る前の人類も大きくそういう視点で見てみると違うものが見えてきます。
・気候変動と人類
我々現生人類を考えるうえで重要なのは最終氷河期です。
最終氷期は約7万年前から約1万年前の最新の氷期です。
この間の気温は一律ではなく気候変動が繰り返され比較的温暖な間氷期から2万年前ごろに最も寒冷な時期「最終氷期最寒冷期(LGM)」などと6万年の間でも寒さに波があります。
この一番寒い時期、北半球の多くの地域で巨大な氷床が発達し、海水面が約120m以上低下したことで、陸地が露出して大陸間の移動が可能になりました。
また、日本の年平均気温も約7℃低くなり、照葉樹林は南限に追いやられました。
北米やユーラシア大陸北部に巨大な氷床が形成され、他方で海水面が120m以上低下により大陸棚が露出し、動物が大陸間を移動しました。
低中緯度地域でも平均で約5.8℃の気温低下があったと推定され、日本では年平均気温が現在より約7℃低かったと推定されます。
照葉樹林は、本州南岸のごく狭い地域と沖縄に分布を狭められました。
動物はナウマンゾウやヤベオオツノジカ、ヘラジカなどの哺乳類が各地で確認されており、北海道は大陸と陸続きになったためマンモスも生息していました。
日本海は最終氷期には日本海が閉鎖的になったことすなわち内海あるいは巨大な湖になったことがわかっています。
最終氷期は約1万円前に終わり地球の気候は急激に温暖化し始めました。
氷床が溶けることで海水面が急上昇し、現在の海岸線が形成されました。
温暖化の時期にあたる縄文時代中頃には、大阪平野や関東平野などの低地で内陸深くまで海が入り込みました。
・南の回廊
氷河期は北の方を見ると何か悲惨そうに思えます。
特に西洋的史観では現代発展している西洋やアメリカの北部は雪やら氷で覆われていたのではないかと気の毒な感じがします。
しかし南の方は必ずしもそうではありません。
例えばサハラ砂漠は緑豊かな大地でした。
また見方を変えれば最終氷期最寒冷期でも低中緯度地域で平均で約5.8℃、日本で年平均気温が現在より約7℃しか低くなかったのです。
これはある意味大した気温低下ではないとも言えますし、現在温帯の人から気の毒に思われている砂漠のような場所が緑地でした。
その上海水面が下降し時代によっては現在海の底の大陸棚の深度120mの地点も陸地だったわけで現在より陸地が圧倒的に広かったのです。
緑も生物も豊かで水も海もあり住みやすい場所がたくさんあるのにわざわざ北の寒冷地に行く必要はありません。
むしろこの先氷河期が来るとしても高緯度地方の人類が南に移住すれば現在の地球より住みやすい可能性もあります。
・地球物理学の観点
大切なのは7万年前から1万年前の氷河期でもその間に気候変動というより気温変動が何度もあったということです。
ちなみに人類がアフリカを出たのが5万年前と言われていますがもしかして海底を調べてみると人類は今のアフリカの陸地の外にはもっと早いときから出ていたかもしれません。
現在人類学にせよ考古学にせよ研究の最先端は海底の人類の痕跡を調べることにあります。
氷河期の間も暖かい時期もあれば寒い時期もあったということになると海水面の高さが変わって陸地の形、海岸線が何度も変わっている、陸地が増えたり減ったりを繰り返していたということになります。
それらの陸地は氷河期でない現在は海の底にあります。
そういう今は海の底の陸地が氷河期には人類にとって一番住みやすい場所だった可能性が高いということです。
とみるとなぜジャワ原人の骨がやや辺境のように見えるインドネシアで見つかったのかということもいろんな視点で考えてみる必要があります。
原人は100万年以上生きていたのですからその間に氷河期も間氷期も何度も繰り返されていたでしょう。
原人は単に住みやすい所に住んだり移動したりしてたまたまジャワ島にも住んでいただけという風に考えられます。
そもそも東南アジアや太平洋の島しょ部やユーラシア大陸やオーストラリアの大陸棚は広大な陸地だった時代があります。
氷河期と言っても赤道直下まで氷で覆われていたわけではないことは先ほど書いた通りです。
南北回帰線が通る現在の地球で砂漠化しやすい地域は現在のサハラ砂漠が氷河期にはグリーンサハラとよばれていたくらいすごく住みやすい場所だった可能性があります。
・氷河期時代の気温の波
氷河期時代にも温かい時期と寒い時期があったと書きました。
言葉上では地球には氷河期と間氷期があります。
現在は間氷期で氷河期でない時代です。
そして氷河期の中にも比較的暖かい時代と比較的寒い時代があります。
氷河期の中の比較的寒い時代を亜氷期、比較的暖かい時代を亜間氷期といいます。
これは人間が暮らせる場所、あるいは暮らしやすい場所が氷河期の間に何度も変わったということです。
今も昔も人類は沿岸や河川や湖沼域などの水辺が住みやすいのは容易に想像できます。
そういうのが氷河期に繰り返される寒冷化と温暖化の交代による何度もの気候変動で生息域を変えていたのが普通に考えられます。
地球が温かくなればより高緯度地方に住めますし寒くなれば低緯度地方の暖かい方に住み替えを行います。
つまり人類は、人類だけでなく他の生物もそうかもしれませんが北と南を行ったり来たりしていたと考えられます。
簡単に人類がアフリカを出て世界に拡散していったと聞くと一方行的に進んでいったようなイメージを受けます。
しかし実際は振り子のように往復運動のように行ったり来たりしていた場合があると考えられています。
これは南北の方向だけではありません。
人類はアフリカから主に西の方に広がったようなイメージを持ちやすいですがこれも実際には人類は東から西に移動する場合もあったと考えられます。
それは科学の例えば化学で見られる平衡状態のようなものですし、物理学で見られる定常状態のようなものかもしれません。
実際には両方向の変化が振り子がスウィングするように、経済のチャートのように、モメンタムが働き往復しているわけです。
全体としてどちらかに進んでいく場合ももちろんありますがそれも南から北だけとか西から東だけとかそんな単純なものではないでしょう。
何せ一応人類がアフリカから出て5万年と言われているのです。
スケールを普通の物差しではなく対数尺で考えないといけないのはこういう場合です。
5万年というと50万年と比べれば短く思えますが5000年と比べればものすごく長い時間です。
500年と比べても長いです。
私たちはついこの間まで人生50年の世界を生きていて人生100年時代とか言われだしたのはつい最近のことにすぎません。
現在の世界にだって平均寿命が50歳未満の国はたくさんあります。
先進国と違って平均年齢50歳未満の国はもっとたくさんあります。
まあ先進国の一部は移民を受け入れているので平均年齢は50歳未満かもしれませんが。
世代交代はもっと短いです。
現在はともかく昔は人類の成人式(イニシエーション)や婚姻は10代前半が普通でした。
日本の時代劇や現在でも厳格に協議を守る例えばユダヤ教のような宗教を見ればその痕跡は分かると思います。
今は知りませんが昭和の日本では男性の法的な婚姻可能年齢は18歳で女性の婚姻可能年齢は16歳です。
経済的に豊かな国の人が経済的に豊かでない国に旅行すると若者は非常にアクティブです。~
若者でなくても健康な人はアクティブです。
多分氷河期以前の人類もアクティブだったのではないでしょうか?
アクティブな人は移動します。
人類の世代交代は現代が短いだけでとても早いのです。
とるすと人類がアフリカを出て5万年とするならばそれは短いというより長いとみる視点が必要になります。
低緯度から中緯度の居住も移動も交易もしやすい地域に爆発的に拡散していったのではないでしょうか?
人類の拡散の地図や矢印を見ると「人類がどこどこに到達したのは何万難前年前で~」みたいな感じで書かれていますが千年だろうが万年だろうがめちゃめちゃ長い期間です。
歴史観というか歴史の縮尺観というか物差しを普通の物差しだけではなく対数尺の感覚も持てなければ感覚が狂います。
・現在残されている氷河期の遺跡は人類の主要なものではない
実証主義で見ると考古学やらDNAやらのエビデンスや実証が必要になります。
しかしこれらに偏り過ぎると大切なものが見えなくなります。
老荘的とも言えますし「見えない構造に支配されている」構造主義的な見方かもしれません。
そもそも構造主義にせよポスト構造主義にせよ現代の科学や技術や産業や文明の基礎であるにも関わらず理解している人が少ないから妙な喜悲劇が起こるわけです。
氷河期の人類の主要な生活域は海の中だったりします。
では今残されている氷河時代の遺跡はというと特殊というかある種の条件を満たしたところになります。
例えば日本には氷河期、というか縄文時代の遺跡が世界的にみてとんでもない数あります。
縄文時代というのは磨製石器を使っていたのに農耕を行っていないという旧石器時代だか新石器時代だかよく分からない独自な文化、文明と言えば文明を発達させていた地域とされています。
なぜ日本にこんなに遺跡が多いのかを今までの視点で見返してみる必要があります。
人間が住みやすいのは水があって海があって緑があって生物もたくさんいる場所です。
氷河時代の大陸の平野みたいなそういう地域は間氷期の現在海の中です。
残るのはある程度海抜が高いのにかかわらず海に近い所です。
そういうところは氷河期の人類の文化・文明にアクセス可能である上に間氷期や亜間氷期の海面上昇でも沈みません。
こういう丘だか山だか尾根みたいなところでかつ高低差が急峻なところは細長い島という形で残ります。
日本列島やジャワ島やアンダマン諸島みたいな形で残ります。
それに極地で住みにくそうと思われるところでも何らかの理由で住みやすかった可能性もあります。
高緯度地方もそうですし高地などもそうです。
亜間氷期と間氷期の波の中で取り残された可能性もありますが、むしろそこに住むことがメリットだった可能性もあります。
寒くなるにせよ熱くなるにせよ変化は何かを生んだり失ったりする場合があります。
メリットが生まれてデメリットが消えるような変化はむしろそこに住むことに強いインセンティブとモチベーションを与えたでしょう。
・文明:海に沈んでも痕跡は残る
ナイル川にせよチグリス・ユーフラテス川にせよインダス川にせよ長江にせよ黄河にせよその河口部は大陸棚や深度の低い海底が広がっています。
ということは氷河期には陸地だった、あるいは陸地だったり海だったりを繰り返していたということになります。
人間が住みやすい所は沿岸部や河川流域です。
氷河期の航海技術というものはよくわかりません。
しかし縄文時代などを見ると航海していたことは確実です。
ただ人類は水域と密接にかかわりつつ生きていたはずです。
少なくとも間氷期である現在文明では早期から航海や水域の移動はありました。
別に4大文明などの高度な文明に関係していなくても航海していました。
内陸や高緯度地方は住みにくいです。
住みにくい所で住むことになったり、住まないといけなかったりしたことはしばしばあったかもしれませんが氷河期文明のメインストリームではない可能性が高い、というかほぼ断定レベルでそういえます。
ロシアには北極海に流れ込む大河がいくつもありますが別に大文明が発祥した形跡はありません。
現在文明が発展している地域は文明の刷新が激しすぎて氷河期の痕跡が残りにくい、という面はあるかもしれません。
しかし人類は氷河期にも、言い換えれば旧石器時代や新石器時代の一部でも非常に広域に拡散していました。
そもそも陸が広かったですし住みやすい所も多かったです。
水系のそばで生活していたのであればある程度の航海や航行などの水域を移動する技術は持っていたと思われますし、持っていたと実証される例もあります。
人類の文明は今では四大文明というのは古いです。
大河川の流域中心に複数の文明が知られています。
日本に身近なところであれば長江文明というものもあります。
人類が氷河期が終わってから初めて航海、航行技術を発明したと考えるよりは氷河期の技術をひきついだと考える方が自然です。
世間一般で「論理的」、という言葉を使われているときに内容を見ると論理学的ではない場合がありますが。
いわゆる世俗的な論理的も別に学問的な論理学的な厳密さを満たす必要はありませんしそれはそれで役に立ちます。
それに学問的に厳密な論理学にも実はいろいろな種類のものがあって今もいろいろ議論されたり提案されたり新しいものが作られたりしているので学問的な「論理的」にこだわりすぎることは実証主義やエビデンスにこだわりすぎることくらいバランスが取れていないのかもしれません。
ただまあ普通に考えても氷河期は低緯度地方では悪くなかった可能性を考えて頂けると思います。
・高緯度地方も悪いとは限らない
ここではあえて高緯度地方下げ、低緯度地方推しを行いましたが高緯度地方だって住んだり移動したりするのに悪くないかもしれません。
高緯度地方でしか取れない物産もあるかもしれませんし狩りやら採集やら漁撈やらメリットがあったかもしれません。
それに寒さ対策は可能でそんなに寒さが問題にならなかったかもしれません。
さらには人類が氷河期にすでに広範囲で交易をおこなっていたのであれば経済学の相対優位説ではありませんが動物の毛皮や北でしか取れない、北にしかいない動物のもの、鉱物資源や自然資源その他の交易で非常に豊かな生活を送っていたかもしれません。
生物界にだって北にしかいない生き物はたくさんいます。
北に特化してむしろ南では生きられなかったりします。
人類もそういう風に進化することはありますし、道具を使ったりできるので環境をそのように作り変えるのに成功していたかもしれません。
ただそういうのを強調するのはこの記事の本筋に反します。
この記事は高緯度地方の地上の目に見えてすでに知識も持っていて想像しやすいものよりは海の下に沈んでしまったと思われる人類のメインストリームを強調するための物です。
ただ当然メインストリームだけではなく人類の移動、拡散にはいろんなストリームがあります。
ただ低緯度地方にも住みにくさはあります。
自然の力は強すぎるし感染性の病検体も多いかもしれません。
水はたくさんあっても使える水でないと仕方がなく清潔な水をためてもすぐに汚染されてしまうかもしれません。
ジャングルの中での長期生存は難しいのは先の第二次世界大戦で南方に派遣された兵士が語るところです。
・人類は行ったり来たりしていた
そもそも氷河期にも亜氷期と亜間氷期があったのなら人類の生存できる場所、住みやすい場所は長いスパンで動いていたはずです。
それに合わせて人類は南北を往復していた可能性があります。
中にはそのまま北に取り残されて亜氷期を生きていた人々もいたでしょう。
そもそも西に一方通行でずんずん拡散していったというイメージも怪しいです。
沿岸と内陸を繋ぐ川を見ていきましょう。
海面上昇すれば河口が内陸に移動し、海面が低下すれば河口がかつて海だったところに移動します。
河口は氷河期においては人口の集積地で交易がおこなわれ当時の文化や技術の最先端だった可能性があります。
河口に港ができやすいことは現在も同じでしょう。
いろんな川の河口を拠点として川を使った内陸部との交易がおこなわれていた他、別の川の河口にあった別の人口集積地と沿岸を陸上でか、海運を使ってか分かりませんが人と物の移動が行われていた可能性があります。
こういうのは非常に自然で一般的な論理的な思考にも逆らいませんがいかんせんそういう河口の人口集積地で文化や技術の発展した地域があったとしても今は多分海の中です。
資源にせよ考古学にせよ人類にとっては海の中はまだまだかなりのフロンティアです。
・複数の考え方で同じ対象を見る大切さ
複数の考え方、情報処理方法があってそれらを使って同じ対象を見ることはそれ自体が脱構築になります。
歴史は往々に一つの考え方、イデオロギーで物事を見る場合があります。
実証主義、エビデンスベースだけで対象を見たり、一時文献や文字で残されていないもの軽く見たり、政治的な都合で戦前は皇国史観、戦後はマルクス主義的唯物史観で研究から教育、啓発迄行われていた時期がありましたし今もそういう方針の教育委員会はたくさんあるでしょう。
そもそも日教組がそういう方針だったので。
文革や大躍進政策を称賛していた人もメディアもまだ存命だったり普通にクオリティーペーパーと言って存在しています。
相変わらず国家国民より共産党がそれらを超越する国もありますし、特に日本の周辺にはなぜかそういう国がたくさんあります。
というか日本周辺というか東アジア周辺にしか今時そんな国々はないのかもしれません。
結局言えることは正しい歴史なんてないということです。
「歴史の終わり」ということをポスト構造主義のフーコーは言いました。
フーコーは「自分は構造主義者ではない」と言っていたのでポスト構造主義者とさせていただきます。
歴史なんてころころ変わるので人間でいうところの自己同一性や自己恒常性、それどころか単一性や唯一性もありません。
見方によってどうとでも変わります。
人ごとに違うというレベルでなく自分の中でさえ考え方によって変わるのでいろいろな時に相反する仕方を同時に、あるいは順番に、または散発的にいろいろな見方をします。
これはれきしにかぎらず何でもそうです。
とりあえずは歴史というものは非常にごちゃごちゃした世俗的なものから偏った見方から技術の限界や認知的偏りや錯覚(氷河期のイメージ、海岸線やり口の変化、気候の実体や変化がどのようなものか、氷河期や石器時代と言っても一様ではない)などによってどうとでも変わるということ、そしてこれからはいかに水中の考古学的、人類学的遺産を調査するかが人類にとっての巨大なテーマになるということで締めさせて頂きます。
2025年10月14日火曜日
A View of Society from Modern Philosophy: Only Conservative Thought is Unique and Special
A View of Society from Modern Philosophy: Only Conservative Thought is Unique and Special
The Subject of Philosophy
When we say "philosophy," it's acceptable to assume we are referring to Western philosophy. Philosophy ultimately comes down to ontology and epistemology. In the past, value judgments such as morality and the power of judgment were also within the scope of philosophy. When I studied about 30 years ago, it was written that philosophy had become a branch of ethics, but recent research shows that philosophy includes ethics. Well, from a traditional perspective, that is the traditional way of thinking. Given the breadth of the English word "philosophy," this might be a matter of course.
As we move into the modern and contemporary eras, the idea that human life and death have no inherent meaning becomes dominant. Meaning is not something given; it is something you create for yourself. This tendency has been present since around the time of existentialist philosophy. The culmination of Nietzsche's philosophy is nihilism; the idea of the Übermensch is likely secondary. Sartre said that man is condemned to be free, and he dedicated his own choice of freedom to the realization of Marxism. Even in contemporary philosophy, such as post-structuralism, life is not given meaning by something else. If you need meaning, you create it or decide it for yourself.
Based on this premise...
If You Are Free to Decide, Only Conservatism is Special
In the modern and contemporary eras, it has become commonplace that life and death have no inherent meaning, but this way of thinking existed even before then. For example, in the period between the Middle Ages and the modern era, there was the tabula rasa of British empiricism. The human mind is originally a blank slate, and experience creates perception and existence. The national character of the British is said to be conservative.
If the world has no meaning and is free, then among the various possibilities and choices, only the existing state of "as-is" becomes special. Humans may have nothing certain in philosophical ontology or epistemology, but they live their daily lives as they are. That "as-is" daily life alone is special.
Freedom might have meaning for the future. However, we live in a world where the present and the past cannot be changed. The existential philosopher Heidegger, who I believe was also a conservative person, presented the concept of "Being-in-the-world." This is the idea that we live as beings who have been thrown, or "projected," into a given world. In English, this is "existence." The English word "existence" comes from ex- + sistence, so in a sense, it's a direct translation of "projection."
If there is anything special, it is the world into which we have been thrown, and to protect that world as it is becomes conservatism. The main objective is to protect things that are irreversible—things that, once lost, can never be recovered. Conversely, things that are reversible can be changed as much as one likes. New cultures or artifacts can be introduced if desired, and existing things can be modified if they are restorable. This is the reason why it is said that "Japanese culture is a culture of selectively adopting and editing foreign cultures." I believe it was Lévi-Strauss who said something like this.
Destroying the given world to an unrestorable extent for the sake of some ideal, Idea, or ideology is not favored in a conservative culture. In other words, revolution is not favored. However, restoration is acceptable. Broadly speaking, revolutions tend to fail. Japan's Meiji Restoration was a major reform greater than any clumsy revolution, but because it was an imperial restoration, it was relatively successful, wasn't it?
Attachment and Affection
I will summarize the relationship between faith, trust, confidence, and systems in another article soon. Trust is not a shadow player but rather the essence of a system, group, or organization. The point is that it is not limited to humans or living beings.
To summarize briefly, "Trust is a social mechanism that makes a system (society, organization, human relationships, etc.) sustainable by reducing future uncertainty and enabling safe and predictable interactions." This could be extended beyond humans and society to other things. A more general definition could be: "Trust is a state where one element constituting a system can use the functions of other elements as expected. It is a mechanism that reduces the complexity of the entire system and enables more efficient operation."
Be that as it may, when people live ordinary lives, a natural love for their hometown and country develops. Of course, there will be things they dislike about the country they were born and raised in. However, "basic trust" is like the origin of a human being in psychoanalytic developmental psychology. If one lives a natural life, it's not possible to be completely indifferent to or only dislike one's family, community, or country. This is true even for people who have been hurt by terrible circumstances, abuse, or adverse childhood experiences. They may develop mental health problems later in life, but the fact that these problems arise means that trust and attachment are necessary in childhood.
This has been confirmed in animal experiments, and some species will die without trust or attachment. Experiments with primates have also confirmed that strange things happen. Therefore, conservatism, which preserves and protects the given world, is special. Besides conservatism, there may be various other directions, but they are all attempts, trials, or challenges to change the world.
Changing something involves risk. A conservatism that changes nothing may also have risks, but there is a considerable, or rather fundamental, difference between having an existing foundation of trust and affection and destroying it.
Therefore, Only Conservative Thought is in a Class of its Own
I am not saying that conservative thought is great or superior. It is special.
Changing or destroying things can be done at any time. Conversely, to have preserved, protected, and kept the past unchanged into the present is special. Major destruction usually leads to strange outcomes. Wasn't the golden age of France before the French Revolution? After the French Revolution, the country has never settled down, even to this day. The same goes for the Russian Revolution. The country still hasn't settled down. Revolutions may be important at times, but they should be carried out with the utmost care. Otherwise, the human and material damage tends to be severe.
2025年10月13日月曜日
現代哲学から見た社会観、保守思想だけ特殊、特別
現代哲学から見た社会観、保守思想だけ特殊、特別
・哲学の対象
哲学というと西洋哲学のことをさすとしていいです。
哲学は結局存在論と認識論になります。
道徳とか判断力などの価値判断も昔は哲学の範疇でした。
私が昔勉強した30年ほど前は哲学は倫理学の一分野になったようなことを書いていましたが最近調べると哲学が倫理学を含むそうです。
まあ伝統的にみればそれが伝統的な考え方です。
英語のphilosophyの意味の広さから言えば当然かもしれません。
近現代になるにつれて人間の生死には意味がないという考え方が支配的になっていきます。
意味は与えられるものではなく自分で作るものです。
実存主義哲学くらいからその傾向があります。
ニーチェの哲学の到達点はニヒリズムであって超人思想は二次的なものでしょう。
サルトルは人間は自由の刑に生きていると言いましたが自分はその自由の選択としてマルクス主義の実現に尽くしました。
現代哲学でもポスト構造主義では生に何かが意味を与えてくれるものではありません。
必要なら自分で作ったり決めたりするのです。
これを前提とすると…
・自由に決めていいのなら保守主義だけ特別
近現代には生死に意味はないというのは当たり前のようになっていますがそれ以前にもそういう考え方があります。
例えば中世と近代の間の時代、イギリス経験論のタブララサです。
人間の精神はもともとまっさらで経験が認識や存在を作っていきます。
そのイギリス人の国民性は保守的と言われます。
世の中何の意味もなく自由であればいろいろな可能性や選択肢の中で今あるあるがままのみが特別なものになります。
人間は哲学的な存在論や認識論で確かなものは何もないかもしれませんが日々あるがままの日常を生活しています。
そのあるままの日常のみが特別です。
自由は未来に対しては意味があるかもしれません。
しかし今や過去は変えられない世界を我々は生きています。
実存哲学者のハイデガーも保守的な人だったと思いますが世界内存在という概念を提示しています。
我々は与えられた世界の中に投げ入れられた、投企された存在として生きているという考え方です。
英語でexistenceです。
実存の英語はex+sistenceですからある意味投企の直訳です。
特別があるとすれば投げ入れられた世界そのものでその世界をそのまま守っていくのが保守になります。
特に失うと二度と元に戻らないもの、不可逆なものは守ることが眼目です。
逆に可逆なものはいくらでも変えていいということになります。
新しい文化や文物でも導入したければしてもいいですし、今あるものでも復元可能であれば改造していいということになります。
これが「日本の文化は外の文化を選択的に取り入れて編集する文化」と言われるゆえんになります。
たしかレヴィ=ストロースがこういうことを言っています。
何かの理想、イデア、イデオロギーで復元不可能なほどに与えられた世界を壊すのは保守的な文化では好まれません。
つかり革命は好まれません。
しかし復古はありです。
大まかにいうと革命は失敗する傾向があります。
日本の明治維新は下手な革命以上の大改革でしたが王政復古であったため比較的うまくいった方ではないでしょうか。
・愛着と愛情
信・信頼・信用とシステムの関係については別の文章で近々まとめます。
信頼というのは影の黒子ではなくむしろシステムや集団や組織の本質というものです。
ポイントは人間とか生物に限らないということです。
簡単にまとめると「信頼とは、あるシステム(社会、組織、人間関係など)を持続可能にするために、未来の不確実性を低減させ、安全で予測可能な相互作用を可能にする社会的な仕組み」
みたいに表すことができます。
これは人間や社会だけにとどまらずもっと別の物にも拡張できるかもしれません。
より一般的な定義として、
「信頼とは、あるシステムを構成する一つの要素が、他の要素の機能を想定通りに利用できる状態。これにより、システム全体の複雑性を縮減し、より効率的な運用を可能にする仕組み」
と言えます。
それはともかくとして普通に人間生きていると自然な愛郷心、愛国心が芽生えます。
もちろん自分の生まれ育った国に嫌いなところはあるでしょう。
ただ原始的信頼というのは精神分析学的発達心理学では人間の原点のようなものです。
自然に生きていれば全く家族や地域や国に無関心であったり嫌いだけということはないです。
これはひどい境遇、虐待、幼児期からの逆境体験で痛めつけられた人でもそうです。
それなりにメンタルの問題を長じて後に生じることがありますが生じるということは幼児期には信頼とか愛着とかが必要なのです。
これは動物実験でも確認されていてある種の生物では信頼だか愛着がないと死んでしまいます。
霊長類の実験でもやはりおかしなことになることが確認されています。
だから与えられた世界を保ち守る保守は特別です。
保守以外はいろいろな方向があるかもしれませんが世界を変えてしまおうとする試みというかトライアルというかチャレンジになります。
何かを変えるのはリスクを伴います。
何も変えない保守もリスクはあるかもしれませんがすでにある信頼や愛情の土台があるのと壊すのとではかなりというか根本的に違うことをすることになります。
・というわけで保守思想だけは別格
保守思想が偉いとか優れているとか言っているのではありません。
特別なのです。
変えたり壊したりするのはいつでもできます。
逆に過去を現在に変えずに保ち守り変えないできたということは特別です。
大きく壊すと大抵おかしくなります。
フランスの全盛期はフランス革命の前ではないでしょうか?
フランス革命後は今に至るまでいつまでたっても国が落ち着きません。
ロシア革命もそうです。
いまだに国が落ち着きません。
別に革命も大切な時はあるのかもしれませんが細心に行うべきです。
でないと大体人的、物的損害が酷いことになりがちです。
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