2026年6月24日水曜日

ヒルベルトの最後の問題

 

ヒルベルトの最後の問題

一 最後の秋

 一九三二年十月八日、ゲッティンゲンには朝から細かな雨が降っていた。

 雨というより、空気そのものが湿っているような日だった。ヴィルヘルム・ウェーバー通りの木々は、夏の名残をすでに失い、黄色い葉を石畳へ一枚ずつ落としていた。

 高木貞治が門をくぐったとき、ヒルベルトはまだ食卓にいた。

 皿の上には、薄く切った仔牛の肝臓があった。

 医師から毎日食べるように言われているのだ、とヒルベルトは説明した。自分の命は、いまや定理でも薬でもなく、このあまり愉快ではない食べ物によって支えられているらしい。

「数学者が肝臓によって生かされるとは思わなかったよ」

 ヒルベルトはそう言って笑った。

 七十歳になった顔には、かつて高木が知っていた童顔の名残があった。だが、手は細くなり、椅子から立ち上がるときには、机の端に片手をつかなければならなかった。

「よく来てくれたねえ」

 そう言って、高木の両手を握った。

 高木が初めてゲッティンゲンへ来たのは、三十年以上も前のことだった。

 当時の彼は、ヨーロッパの学界ではほとんど知られていない、東洋から来た若い数学者にすぎなかった。代数的整数論を研究したいと手紙に書いたところ、ヒルベルトは住む場所まで手配した。かつて自分が住んでいた家を紹介し、研究所の扉を開いた。

 国籍も、宗教も、家柄も問わなかった。

 何を考えたいのか。

 ヒルベルトが人に尋ねたのは、ほとんどいつもそれだけだった。

「君は、私の考えた類体より先へ行ってしまった」

 客間に入ると、ヒルベルトは言った。

「先へ行ったというより、少し横へ外れたのです」

「横へ外れることを、先へ行くと言うんだよ」

 高木は笑った。

 ヒルベルトも笑った。

 若い頃のヒルベルトは、問題を提示することに喜びを感じていた。だが、それは自分の領地に旗を立てるためではなかった。問題は、誰かが入るための入口だった。

 解く者がドイツ人であろうと、日本人であろうと、女であろうと、ユダヤ人であろうと、彼にはどうでもよかった。

 正しい証明には、出生証明書が添付されていない。

「東京には若い人が育っているかね」

 ヒルベルトは尋ねた。

 高木が何人かの名を挙げると、ヒルベルトは身を乗り出した。自分の病気のことを話すときより、はるかに熱心だった。

 外国から来た客に会うたび、彼はその国の若い数学者について尋ねた。

 誰が何を研究しているのか。

 どんな問題に夢中になっているのか。

 才能のある者はいるか。

 その者はよい環境にいるか。

 ヒルベルトにとって数学とは、すでに証明された定理の集積ではなかった。まだ知られていない何かを見つけようとして、異なる人間が同じ黒板の前に集まることだった。

 数学は本の中にあるのではない。

 人と人との間に生まれる。

 高木との会話は、夕方まで続いた。

 外では雨がやみ、濡れた庭木の間から低い西日が差していた。

「人類は、少しずつでも前へ進んでいると思いますか」

 帰り際、高木は尋ねた。

 それは数学の質問ではなかった。

 ヨーロッパでは、通りに制服を着た若者が増えていた。新聞には、民族、血、領土、裏切りという言葉が並び、政治家たちは、国を浄化しなければならないと繰り返していた。

 ヒルベルトは窓の外を見た。

「人間については分からない」

 しばらくして言った。

「だが、知識については、そう信じるしかないだろう」

 彼は微笑んだ。

「われわれは知らなければならない。われわれは知るであろう」

 それは彼が好んで使う言葉だった。

 高木は頭を下げた。

 二人とも、その秋がゲッティンゲンの最後の秋になるとは知らなかった。

 数学者たちがまだ同じ廊下を歩き、同じ食堂で昼食をとり、黒板の前で互いの誤りを遠慮なく指摘できた、最後の秋だった。

二 ミンコフスキーの椅子

 高木が帰った後、ヒルベルトは長いあいだ客間に残っていた。

 日が落ちると、窓ガラスに自分の姿が映った。

 白い髪。

 薄い肩。

 大きすぎる上着。

 ガラスの向こうに、別の老人が立っているように見えた。

 彼は、ミンコフスキーのことを思い出した。

 二人はケーニヒスベルクで出会った。

 ヒルベルトがまだ、自分がどのような数学者になるのか知らなかった頃である。ミンコフスキーは年下だったが、すでに揺るぎない自信を持っていた。

 二人は町を歩きながら数学を話した。

 歩くことと考えることを、ほとんど同じ行為だと思っていた。

 一人が問いを出し、もう一人が反例を挙げる。

 その反例を避けるため定義を変える。

 すると、初めの問題とは別の問題が現れる。

 彼らは夕方まで歩き、どこまで来たのか分からなくなることがあった。

 だが、道に迷ったとは思わなかった。

 数学の中では、道を外れることが新しい道を見つける唯一の方法だった。

 後にヒルベルトがゲッティンゲンへ移ったとき、彼はミンコフスキーを呼び寄せることに力を尽くした。

 自分一人では足りなかった。

 優秀な人間が一人いるだけでは、学問の中心は作れない。

 必要なのは、別の仕方で考える人間だった。

 自分の考えに賛成する者ではない。

 自分一人では見ることのできない誤りを発見し、自分一人では開けることのできない扉を開く者である。

 ミンコフスキーが一九〇九年に死んだとき、ヒルベルトは、世界の一部が突然沈黙したように感じた。

 だがその後も、数学研究所には人がいた。

 講義は続いた。

 若者たちはミンコフスキーの論文を読み、その先を考えた。

 一人の人間が死んでも、共同体がその問いを引き継いだ。

 椅子は空いた。

 しかし、その空席の周りに人々が集まった。

 死とは、そのようなものだとヒルベルトは思っていた。

 一人ずつ奪っていく。

 残された者に、失われた者の仕事を託す。

 翌年の春、彼は、死とはまったく異なる仕方で人間を奪うものがあることを知った。

 国家は、一人ずつ奪わなかった。

 国家は名簿を作り、部屋全体を空にした。

三 名簿

 一九三三年四月、大学へ一通の文書が届いた。

 紙そのものは、何の変哲もなかった。

 上等でも粗末でもない、官庁で使われる薄い紙だった。上部に鷲の印があり、いくつかの条文と、記入すべき欄が並んでいた。

 祖父の名。

 祖母の名。

 宗教。

 従軍歴。

 政治的所属。

 ヒルベルトは二度読んだ。

 それから秘書に尋ねた。

「これは数学研究所に送られてきたのかね」

「全学部にです」

「数学者の祖父母を調べて、何が分かるのだろう」

 秘書は答えなかった。

 ヒルベルトはもう一度、用紙を見た。

 証明に不要な条件を追加すれば、定理は弱くなる。

 必要のない仮定を増やすことは、数学では不器用さの印である。

 しかし、これは定理を強くするための条件ではなかった。

 人を除外するための条件だった。

 数日後、教授たちの名簿が回ってきた。

 ある名前の横には印がつけられていた。

 別の名前には線が引かれていた。

 線は定規を使って引かれていた。

 まっすぐで、感情がなかった。

 人間を殺す命令も、おそらくこのように整然と書かれるのだろうとヒルベルトは思った。

 赤い鉛筆の線が、リヒャルト・クーラントの名を横切っていた。

 クーラントは、研究所を実際に動かしていた。

 資金を集め、建物を整え、学生の相談に乗り、優れた研究者を各国から招いた。

 ヒルベルトが問題を開いた人間なら、クーラントは、人々がその問題に取り組める部屋を作った人間だった。

 彼は第一次大戦で従軍していた。

 国のために働いた。

 負傷者を運び、砲火の下で通信装置を考案した。

 それでも、新しい国家は、彼を祖父母によって分類した。

「何かの間違いでしょう」

 若い事務官は言った。

「先生ほどのお方が申し出れば、例外が認められるかもしれません」

「例外」

 ヒルベルトはその言葉を繰り返した。

 クーラントが優れた数学者であることは、例外を求める理由ではなかった。

 そもそも数学者を祖先によって選別する規則そのものが、誤っている。

 だが事務官には、その違いが分からないようだった。

 彼らは不正な法を撤回する話をしているのではなかった。

 不正な法の中で、偉い人間だけを救う話をしていた。

 ヒルベルトは政府へ手紙を書いた。

 クーラントの研究業績、従軍歴、研究所への貢献を列挙した。

 数学は国際的な営みであり、研究者を血統によって分類することは、ドイツ科学に回復できない損害を与える、と書いた。

 文章は論理的だった。

 各段落は前の段落から導かれ、結論には飛躍がなかった。

 それでも何の効果もなかった。

 相手は論理を誤解しているのではなかった。

 論理を必要としていなかった。

四 エミー

 エミー・ネーターは、大きな鞄を抱えて研究所へ来た。

 鞄からは本の角が突き出し、留め金が閉まっていなかった。

「旅行ですか」

 ヒルベルトは尋ねた。

「まだです」

 ネーターは言った。

「ただ、いつ出てもよいようにしているのです」

 彼女は平然としていた。

 いつものように髪はうまくまとまっておらず、外套のボタンを一つ掛け違えていた。

 ヒルベルトは彼女が若かった頃を思い出した。

 女性に大学で講義をさせるべきではない、と多くの教授が反対した。

 兵士たちが戦場から帰ってきて、女性の足元に座って学ばされると知ったら、どう思うでしょう、と言った者もいた。

 ヒルベルトには、その質問の意味が理解できなかった。

 正しい定理を証明できる者から学ばず、証明できない男性から学ぶ方が、兵士たちの名誉にかなうというのだろうか。

 大学は男子浴場ではない。

 彼がそう言ったと、後に人々は語った。

 実際にどのような言葉を使ったのか、彼自身もう覚えていなかった。

 ただ、腹を立てたことは覚えていた。

 数学の前に、人間の性別を置く人々がいることに。

 ネーターは長いあいだ、正式な地位も報酬もほとんど得られないまま講義を続けた。

 それでも彼女の周りには学生が集まった。

 学生たちは彼女の話す速さについていくため、必死でノートを取った。彼女は一つの定理を説明している途中で、より一般的な構造に気づき、初めの定理そのものを置き去りにすることがあった。

 多くの数学者が個々の対象を研究していたとき、ネーターは対象を支配する関係を見ていた。

 他の者が家々を数えている間に、彼女は都市の地図を描いていた。

「アメリカから話が来ています」

 ネーターは言った。

「よい大学ですか」

「女子大学です」

「君にふさわしい地位を用意できるのかね」

「少なくとも、講義はさせてもらえるでしょう」

 彼女は笑った。

 その笑い方に、恨みはなかった。

 ヒルベルトは、それがかえって苦しかった。

「私はもう一度、政府へ書く」

「先生」

「君を追い出すことが、どれほど愚かなことか説明する」

「愚かな人は、説明されて賢くなるでしょうか」

 ヒルベルトは答えなかった。

 ネーターは鞄を床に置いた。

「先生は昔、私を例外として大学に入れようとしてくださいました」

「例外ではない。君には資格があった」

「今度は、例外になりたくありません」

「どういう意味だね」

「私一人だけ残れるようにしてもらうことです」

 窓の外で、学生たちが行進していた。

 同じ色の制服を着て、同じ歩幅で歩き、同じ言葉を叫んでいた。

 数学研究所の窓ガラスが、声に合わせてかすかに震えた。

「代数学は軽いものです」

 ネーターは言った。

「国境を越えるのに、機械も標本も要りません。頭に入れて持っていけます」

「学生はどうする」

「学生も頭を持っています」

 ネーターは再び笑った。

「いつか、どこかで会えます」

 ヒルベルトは、彼女が鞄を持ち上げるのを手伝おうとした。

 だが腕に力が入らなかった。

 ネーターは一人で持ち上げた。

 廊下の先で、彼女は一度だけ振り返った。

「先生」

「何だね」

「数学は、ここだけにあるものではありません」

 それは慰めだったのだろう。

 だがヒルベルトには、宣告のように聞こえた。

五 ドイツ数学

 夏になる頃には、研究所の廊下から多くの声が消えていた。

 扉には、新しい名前札が掛けられた。

 新しく任命された者の中には、誠実な研究者もいた。空席を望んだわけではなく、ただ与えられた職を受けただけの者もいた。

 だが、急に昇進したことを、新しい時代による正当な評価だと考える者もいた。

 ある若い講師が、講演で「ドイツ的数学」という言葉を使った。

 ヒルベルトは後方の席で聞いていた。

 講師は、抽象的で形式的な数学はユダヤ的であり、真にドイツ的な数学は直観的で、民族の生活に根ざしたものでなければならないと語った。

 黒板には式が一つも書かれなかった。

 講演の後、司会者が質問を求めた。

 誰も手を挙げなかった。

 ヒルベルトはゆっくり立ち上がった。

「一つ教えてください」

 若い講師の顔に緊張が走った。

「ドイツ的な三角形と、ユダヤ的な三角形では、内角の和が違うのですか」

 会場のどこかで、短い笑い声がした。

 すぐに消えた。

 講師は、これは比喩です、と答えた。

「数学では、比喩で証明を済ませることはできません」

 ヒルベルトは座った。

 それは小さな抵抗だった。

 あまりに小さく、その日の午後にも世界は何一つ変わらなかった。

 講師は職を失わず、追放された者たちは帰ってこなかった。

 その夜、ヒルベルトは自分の言葉を何度も思い返した。

 少し機知の利いた質問をしたことで、自分が何かを成し遂げたような気持ちになってはいないか。

 人々が職を失い、国を失っているときに、老人が講演会で一度相手を黙らせた。

 それに何の意味があるのか。

 彼は抵抗したのだろうか。

 それとも、自分は抵抗したと思える程度のことだけをしたのだろうか。

 数学では、証明に穴があれば、どれほど美しくても定理として認められない。

 だが人は、自分の人生については、穴だらけの証明で自分を納得させる。

 私は病気だった。

 私は老人だった。

 私には政治的な力がなかった。

 できるだけの手紙は書いた。

 抗議もした。

 すべて本当だった。

 そして、そのどれも、去っていった人々を連れ戻しはしなかった。

六 手紙

 秋から冬にかけて、外国の切手を貼った手紙が届くようになった。

 ケンブリッジ。

 オックスフォード。

 プリンストン。

 ニューヨーク。

 フィラデルフィア。

 イスタンブール。

 人々の名前は、ゲッティンゲンの名簿から消え、世界地図の上に散らばっていった。

 クーラントからは、イギリスでの生活について書かれた手紙が来た。

 新しい職を探していること。

 子どもたちの将来が心配なこと。

 それでも研究は続けていること。

 末尾には、研究所の若い者たちをよろしく頼む、と書かれていた。

 自分が追い出された研究所のことを、まだ心配していた。

 ネーターからは、アメリカの学生たちについて書かれた手紙が来た。

 講義の進み方を少し遅くしなければならないこと。

 女性の学生たちが熱心であること。

 プリンストンへも出かけていること。

 文章からは、不満よりも、新しい数学を教えられる喜びの方が強く伝わってきた。

 ヒルベルトは、それを読んで安心した。

 同時に、恥ずかしくなった。

 彼女は奪われたものについてではなく、これから作るものについて書いていた。

 残された自分だけが、失われたゲッティンゲンについて考え続けていた。

 ある日、日本から高木の手紙が届いた。

 前年の訪問への礼と、ヒルベルトの健康を案じる言葉が書かれていた。最後に、ゲッティンゲンの皆様はいかがお過ごしでしょうか、とあった。

 ヒルベルトは返事を書き始めた。

 皆、元気です。

 そう書いて、消した。

 クーラントはイギリスにいる。

 ネーターはアメリカへ渡った。

 ヴァイルも去った。

 若い者たちは、残るべきか、逃れるべきか迷っている。

 研究所は存続している。

 建物も、図書室も、黒板もある。

 しかし、「皆様」はもう、どこにもいなかった。

 ヒルベルトは新しい紙を取り出した。

 私は元気です、とだけ書いた。

 それも嘘ではなかった。

 嘘でないことと、真実であることは、同じではない。

七 空いた椅子

 研究会の日、ヒルベルトは予定より早く研究所へ行った。

 講義室には長い机と椅子が並んでいた。

 彼は前から三列目の端に座った。

 そこは、かつてミンコフスキーが好んで座った場所だった。

 クラインは前方に座り、しばしば講演者の話を途中で止めた。

 クーラントは出入口に近い席を選んだ。遅れて来る学生を入れたり、急な連絡に対応したりするためだった。

 ネーターは椅子に深く腰かけることができず、講演が面白くなると、ほとんど立ち上がりながら質問した。

 若い高木は、言葉を一つも聞き落とさないよう、少し前屈みになって座っていた。

 ヒルベルトには、彼らの姿が見えた。

 もちろん、実際にはいなかった。

 記憶は、ときに現実よりも多くの人間を部屋に集める。

 開始時刻になっても、聴衆は十人ほどしか来なかった。

 以前なら、廊下まで学生が立っていた。

 講演者は、新しい微分方程式の解法について話し始めた。

 悪い講演ではなかった。

 正確で、よく準備されていた。

 だが質問が出なかった。

 以前のゲッティンゲンでは、講演が終わるまで待つ者はいなかった。定義が不明瞭なら、その場で声が飛んだ。主張が強すぎれば反例が出され、弱すぎればもっと一般化できると言われた。

 講演者と聴衆が争い、黒板の上で別の数学が生まれた。

 今は、誰も誤りを犯さないよう注意して話し、誰も目立った質問をしなかった。

 間違うことより、間違った人物と見なされることの方が危険な時代になっていた。

 講演が終わると、礼儀正しい拍手が起きた。

 ヒルベルトは黒板を見た。

 証明は正しかった。

 それでも、そこに数学があるようには思えなかった。

 数式が書いてあれば数学なのではない。

 反対する者がいる。

 先へ進める者がいる。

 全く違う分野から、思いがけない関係を見つける者がいる。

 失敗を笑い、成功を奪い合わず、他人の発見によって自分の世界が広がることを喜ぶ者がいる。

 数学とは、そのような人間の集まりだった。

 黒板は残っていた。

 だが、その前に集まるべき人々がいなかった。

八 新しい世界地図

 一九三四年になると、国外へ去った者たちが新しい場所を作り始めたという知らせが届いた。

 クーラントは、やがてニューヨークへ渡ることになるらしい。

 アメリカには、ゲッティンゲンのような数学研究の中心はまだ少ない。だからこそ、そこに作れるかもしれない、と彼は書いた。

 ヒルベルトは手紙を読みながら、地図を広げた。

 ヨーロッパの外側に、いくつもの点をつけた。

 プリンストン。

 ニューヨーク。

 ブリンマー。

 ケンブリッジ。

 数学の中心は、国王や大臣の命令によって作られるものではない。

 人が集まり、話し、教え、反論し、若い者を受け入れることで、長い時間をかけて作られる。

 だが、壊すのには数か月しかかからなかった。

 ドイツは研究者を国外へ追い出した。

 国外へ追い出された研究者は、その国々へ数学を運んだ。

 ナチスはドイツ数学からユダヤ人を取り除いたつもりだった。

 実際には、数学をドイツから取り除いていた。

 それは復讐でも罰でもなかった。

 数学は誰かを罰するために移動するのではない。

 呼吸のできる場所へ移っただけだった。

 ヒルベルトは、かつてネーターが言った言葉を思い出した。

 代数学は軽いものです。

 頭に入れて持っていけます。

 確かにその通りだった。

 国家は研究室を閉鎖できる。

 教授職を奪える。

 本を焼くこともできる。

 だが、一度理解された定理を、人間の頭から完全に取り出すことはできない。

 それだけが慰めだった。

 しかしその慰めには、別の悲しみが伴った。

 数学は生き残る。

 ゲッティンゲンがなくても。

 ドイツがなくても。

 ヒルベルトがいなくても。

 自分が一生をかけて築いた場所は、数学にとって不可欠ではなかった。

 学問の普遍性とは、国境を越える力であると同時に、どの故郷も見捨てて生き延びられる力でもあった。

九 晩餐会

 晩餐会はベルリンで開かれた。

 ヒルベルトは出席を断ろうとしたが、大学側から、ドイツ科学を代表する者としてぜひ出席してほしいと言われた。

 ドイツ科学。

 近頃、その言葉を聞くたびに、彼は疲れを覚えた。

 かつて科学には、ドイツもフランスもなかったわけではない。

 学派はあり、伝統はあり、国ごとの好みもあった。

 しかし一つの定理がドイツで証明されたからといって、フランスでは偽になるわけではなかった。

 晩餐会場には旗が並び、軍服と礼服を着た男たちが集まっていた。

 給仕が銀の皿を運び、楽団がワーグナーを演奏した。

 ヒルベルトの席は、文部大臣ベルンハルト・ルストの隣だった。

 大臣は礼儀正しかった。

 ヒルベルトの業績を称え、ドイツ民族がいかに彼を誇りに思っているかを語った。

 ヒルベルトは黙って聞いていた。

「教授」

 食事が半ばまで進んだ頃、大臣が尋ねた。

「ゲッティンゲンの数学は、その後いかがですか」

 ヒルベルトは顔を上げた。

「その後、とは」

「ご存じでしょう」

 大臣は微笑んだ。

「好ましくない影響から解放された後のことです。ユダヤ的な影響が強すぎたために、多少の混乱はあったでしょう。しかし、いまは純粋なドイツ科学を再建しておられるのでしょうな」

 周囲の男たちが会話をやめた。

 何人かは、笑う用意をしていた。

 大臣は、自分が気の利いた質問をしたと思っているようだった。

 ヒルベルトは、卓上の白いクロスを見た。

 そこに、一本のまっすぐな線が見えた。

 赤い鉛筆で名簿に引かれた線だった。

 クーラントの名を消した線。

 ネーターの名を消した線。

 何十人もの研究者を、大学から、都市から、祖国から切り離した線。

 彼はミンコフスキーの椅子を思い出した。

 高木が三十年前に座っていた若者の席を思い出した。

 ネーターの閉まらない鞄を思い出した。

 外国の切手を貼った手紙を思い出した。

 質問の出ない講義室を思い出した。

 黒板はある。

 机もある。

 研究所の建物もある。

 予算も、教授の肩書も、大学の印章も残っている。

 だが、それらを数学と呼ぶことができるのだろうか。

「混乱しているのではありません」

 ヒルベルトは言った。

 大臣の微笑が、少し固くなった。

「では、順調なのですか」

「いいえ」

 ヒルベルトは首を振った。

「苦しくなったのでもない」

 声は小さかった。

 長いテーブルの端までは聞こえなかったかもしれない。

 しかし、大臣には聞こえた。

「数学ですか」

 ヒルベルトは言った。

「ゲッティンゲンには、もうそんなものはありません」

 大臣は一瞬、彼を見た。

 それから大きく笑った。

 老人の皮肉を、無害な冗談だと思ったらしい。

 周囲の男たちも笑った。

 ヒルベルトは笑わなかった。

 笑い声の中で、彼には別の音が聞こえていた。

 ケーニヒスベルクの道を歩きながら議論するミンコフスキーの声。

 講義を途中で止め、もっと一般化できると叫ぶネーターの声。

 不慣れなドイツ語で質問する若い高木の声。

 研究所の廊下を走る学生たちの足音。

 それらは遠く、すでに別の時代の音になっていた。

十 最後の問題

 ゲッティンゲンへ戻った夜、ヒルベルトは一人で研究所へ行った。

 守衛は彼の顔を見ると、何も言わずに扉を開けた。

 廊下は暗かった。

 窓から月の光が入り、床に細長い四角形を作っていた。

 ヒルベルトは講義室へ入った。

 黒板には、前日の講義の数式が一部残っていた。

 彼はチョークを取った。

 手が震えた。

 かつては、大きく明瞭な字で黒板いっぱいに式を書いた。いまは、一本の線を引くことさえ難しかった。

 ヒルベルトは黒板の上部に書いた。

 問題。

 そこで手を止めた。

 何を書くつもりだったのか。

 なぜ人間は、自分たちの最も優れた知性を追放するのか。

 なぜ国家は、自らを強くすると称して、自分の未来を破壊するのか。

 なぜ教育を受けた人間が、明らかな虚偽に従うのか。

 なぜ善良な人々は、悪が始まったとき、それが一時的な愚行にすぎないと考えてしまうのか。

 なぜ私は、彼らを救えなかったのか。

 どの問いも、数学の問題にはならなかった。

 未知数を定めることができない。

 仮定を整理することもできない。

 解が存在するかどうかさえ分からない。

 ヒルベルトは、パリで二十三の問題を提示した日のことを思い出した。

 あの頃、彼は、明確に述べることのできる問題は、いつか必ず解かれると信じていた。

 解けないように見える問題も、正しい言葉で表現し直せば、解への入口が見つかる。

 分からないということは、一時的な状態にすぎない。

 われわれは知らなければならない。

 われわれは知るであろう。

 だが、目の前にある問題は、正しい言葉で述べることさえできなかった。

 人間はなぜ、自分が知ることを恐れるのか。

 人間はなぜ、知らないことを誇りに変えるのか。

 人間はなぜ、真理よりも、真理を語る者の血筋を問題にするのか。

 ヒルベルトはチョークを置いた。

 黒板には「問題。」という一語だけが残った。

 番号は書かなかった。

 それは二十四番目の問題ではなかった。

 数学者に解ける問題ではなかった。

 窓の外で、風が木々を揺らした。

 数枚の枯葉が石畳を転がり、研究所の階段の下へ集まった。

 ヒルベルトは空いた椅子を見渡した。

 かつてそこに座っていた人々の多くは、もう遠い国にいた。

 彼らは別の大学で教え、別の学生を育て、別の黒板に式を書くだろう。

 数学は続く。

 ゲッティンゲンがなくても続く。

 それは喜ぶべきことだった。

 けれども、その夜のヒルベルトには、数学が生き延びることと、自分たちの世界が滅びることが、同じ出来事の二つの面のように思えた。

 彼は明かりを消し、講義室を出た。

 扉が閉まる直前、月の光が黒板を照らした。

 そこには、問いだけが残されていた。

 誰も解くことのできない問い。

 あるいは、人類が何度も解いたつもりになり、そのたびに初めから間違え続ける問い。

 ヒルベルトは廊下をゆっくり歩いた。

 彼の後ろで、誰もいない講義室は静まり返っていた。

 数学を失った国には、数学を失ったことを証明する者さえ、やがていなくなるのだった。

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